サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

みだれ髪/星野哲郎(作詞家)/85歳

2010年11月15日 | 毎日がメメント・モリ

星野哲郎氏死去=作詞家、「三百六十五歩のマーチ」



 「三百六十五歩のマーチ」「アンコ椿は恋の花」などで知られる作詞家の星野哲郎(ほしの・てつろう、本名有近哲郎=ありちか・てつろう)さんが15日午前11時47分、心不全のため東京都武蔵野市の病院で死去した。85歳だった。山口県出身。自宅は東京都小金井市梶野町3の6の10。葬儀は19日正午から東京都港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所で。日本作詩家協会、日本音楽著作権協会との合同葬で、葬儀委員長は船村徹氏。喪主は長男有近真澄(ますみ)氏。
 1946年、高等商船学校(現・東京海洋大)卒業後、遠洋漁船の乗組員に。腎臓結核を患い4年の闘病生活中に文芸誌への投稿を始め、作品が雑誌「平凡」の懸賞に入選したことなどをきっかけに作詞家の道に進んだ。
 デビューは53年。日本コロムビア、クラウンレコードの専属を経てフリーとなり、数々のヒット曲を生み出した。手掛けた曲は4000曲以上。正統派演歌からポップスまで多彩なジャンルに及んだ。代表曲に「黄色いさくらんぼ」「男はつらいよ」「函館の女」「昔の名前で出ています」「兄弟船」などがある。
 作詞家として活躍する一方、日本音楽著作権協会会長や日本作詩家協会会長なども務め、作詞家の地位向上にも尽力した。86年に紫綬褒章、2000年に勲三等瑞宝章を受章。このほか、日本レコード大賞作詩賞など受賞歴多数。随筆集「歌、いとしきものよ」などの著書もある。

現存する作詞家では、トリのポジションに居た人だ。
作詞家協会会長も最近までやっておられた。
手がけた曲は4800曲ともいわれるし、未発表の作詞も2000曲はあったらしい。
遠洋漁船の乗組員から、投稿作詞で認められたが、1925年生まれだから戦時や戦後の諸相を見つめてきた人だったと思う。
好きな曲はたくさんあるが、最初は1964年小林旭の「自動車ショー歌」かもしれない。
小学校5,6年生ぐらいか、遠足で歌っていた。
一番の歌詞で「ここらで一発シトロエン」という歌詞がつまらない理由で放送禁止となり、僕たちは事情も知らず、「ここらで止めてもいいコロナ」と変更されたほうを歌っていたかもしれない。
そして「三百六十五歩のマーチ」。これは、学校の行進マーチで採用された。水前寺清子を世に出したのも星野哲郎であり、チータのニックネームも彼の命名だ。
その後だと、美空ひばりの「みだれ髪」が87年。ひばりの長期入院の後の歌だったが、船村徹との名コンビだ。
高いキーは出ないのだが、今でも僕の持ち歌のひとつで気味悪がられる(笑)。
また、場末のスナックで星野先生を偲んで、しみじみとカラオケで数十曲歌うことにしようか・・・合掌!


 


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