サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

262日目「芹沢けい介展(渋谷区立松涛美術館)」渋谷区

2011年10月16日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ 先日おじさんと大倉集古館で「彩り伝わる文様の世界」という催しに行ったじゃない。
キミオン叔父 うん。館蔵品展だったから、ほとんどは能衣装がらみの文様だったね。
そうだけどさ、結局「松・竹・梅」とか「鶴に亀」とかの長寿の吉兆にしても、「鯉」のような出世記号にしても、「龍」のような発展の象徴にしても、「七宝」や「打出の小槌」のような富の変換にしても、いろいろあるけど世界中で驚くほど似てるね。
そうだな、漫画の宗像教授だったら世界の神話や民間伝承や信仰から、すぐに動植物や具象でもいいけど、その連関表が描けるだろうね。
あらためて自分の持ち物を見ても、そういう吉兆文様が現在に続くまでデザインされてるのに気づくわけ。もちろん、高度に抽象化されたデザインもあるけど、でもそのもとになっている形象は、やっぱりどこかからシンボルを持ってきているのね。
ふむ。で、何が言いたいわけ?
なんていうのかなぁ。文明や歴史というものがあって、それはそれぞれ国の文化も記憶してるんだけどさ、なんか深いところのシンボルというか象徴みたいなものが、どうも人間の遺伝子に組み込まれているような気がするの。で、最後はやっぱりそのあたりで人類は国を超えて感応し会えるような気がするのよ。
かもな。でもたとえば「蝙蝠」というのがあるじゃない。なんか気味悪いよね。バンパイヤ伝説にありそうで。西洋でも忌み嫌われている。でも中国や台湾では「蝠」と「福」の字が似ているから、富の象徴になっている。
で、日本の文様では、吉兆で扇子がよく使われるだろ。末広がりだし。中国は団扇が多いけど。で、扇子をさかさにして単位文様にしていたりするけど、あれも「蝙蝠」が逆さにぶら下がっているようにも見える。
バットマンみたいね(笑)


そうした文様を「紋様」としてもいいけど、大胆に解釈しなおしてデザイン化したのが芹沢けい介(けいの漢字が化けるのでひらがなに)だな。
使われているのは、やはり吉兆紋様がベースとなっているけど、そこに日本文字の独特の使われ方がある。この人の作品は、そこらの民芸屋にあっても国立博物館にあってもいいけど、一目で「あっ、芹沢さん」ってわかるわね。染色家として、独特の色使いや配色のセンスもあるんだけど。
近くの東工大にもこの人の作品がある。卒業生なんだ。本人は静岡の裕福な商家に生まれたけど、家が全焼したり、後には保証人になってすっからかんになったり苦労もしている。で、商業デザインを学ぶことになる。
何度か転機があるみたいだけど、30代前半に朝鮮旅行をした時に読んだ本が柳宗悦。で、すっかり影響されてしまう。そのあと、沖縄に渡り、そこで伝統的な染色技法である「紅型」に魅せられてしまう。それからは河井寛次郎や浜田庄司などと、「民芸」の道をまっしぐら。
この人は蒲田に研究所を持って活動しておられたけど、時代の寵児になってしまっったので鎌倉にアトリエを構えてそこに通って創作活動をしていた。彼の独特は、やはり「文字」かな。「いろは文字」とか「春夏秋冬」のような一文字の漢字とか。独特のタイポをつくり、染色した。一筆書きならぬ文字布のように一枚の布がつながってひとつの漢字をつくりあげるような。すごいよ。
日本人ではじめて、パリの大会場で単独の作品展をやるじゃない。芹沢はその会場の模型をつくりながら、展示方法を自ら監督したみたいね。パリっ子たちは驚いたの何の。彼の好きな紺色がバックで「風」と言う文字がデザインされ、それがポスターとしてパリ中に張り巡らされたらしい。パリっ子は、漢字の意味はわからなくても、そんなタイポは見たこともなかったでしょうし。
静岡にもアトリエを移築して、芹沢館があるようだけど、収集物もすごいらしいね。朝鮮の「民芸」なんかが多いだろうけど。東北福祉大学にもあるようだ。見てみたいな。もちろん、東京でも「民藝館」含めてあちこちで見ることが出来るし、カレンダーや風呂敷や彼のデザインのものが民芸屋さんなんかで安く庶民に提供されているのもいいことだ。
帰りにショップに寄ったら、着物姿のお姉さんたちが小物をいろいろ買っていたわ。
彼の息子さんとの共同編集みたいだけど、杉浦康平さんが芹沢の「文字絵」を解読した本を編集していたのがあった。なるほどね、と思ったよ。どこか芹沢作品を見ていると、杉浦さんのいう「曼陀羅」のような「アジアの図像学」につながるものが感じられるもの。



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