第二次世界大戦終了後、B級戦犯裁判をたった一人で戦い抜いた岡田資(たすく)中将の誇り高き生涯を描く感動作。戦争文学の第一人者である大岡昇平の「ながい旅」を原作に、『博士の愛した数式』の小泉堯史監督が構想15年をかけて映画化。敗戦直後の混乱の中で自身の責任と信念を貫き通した岡田中将を、ベテラン藤田まことが熱演する。軍人の夫を愛情深く見守る妻に富司純子がふんするほか、西村雅彦、蒼井優ら多彩な顔ぶれが共演し、ナレーションを竹野内豊が担当していることでも話題。[もっと詳しく]
商業作品としては困難なテーマに、小泉監督はよく挑んでくれた。
岡田資中将を重厚に演じている現在から見れば、ちょっと想像し難いものがあるが、僕が小学校の時は、藤田まことは「てなもんや三度笠」(62年~)のコメディアンであった。
白木みのると財津一郎とのトリオで、決めのシーンになると前田製菓がスポンサーであったことから「あたりまえだのクラッカー」と、ミエを切るのである。
牧歌的ないい時代でもあったかもしれない。
その後は、役者としては少し不遇な時代が続くのだが、73年に突然のように「必殺仕置人」の中村主水役で大ブレークすることになる。
勤務中は「昼行灯」といわれ周囲からは半ば馬鹿にされる存在であり、家でも母や嫁に頭があがらない。しかし、ほんとうの姿は、極悪人相手に恨みを晴らす、仕事請負人の頭である。
嫌な上司をやり過し、もう「強い父親」像を仮構する事も出来ずに、「けれど俺だって」というサラリーマンの気持ちを鷲掴みにしたのであろう。
80年代はちょっと違うことで、騒がれることになる。
妻が事業に失敗し、40億の負債を背負うことになったのだ。
しかし、彼の人柄といおうか、債権者が一生懸命、返済のための仕事の世話をしてくれた、というような逸話も残っている。
その後も、「はぐれ刑事」のシリーズなど、人情豊かな演技で、ドラマに欠かせない役者となっている。
そして、今回の「明日への遺言」では、藤田まことの集大成とでも呼べる、内面的で重厚な演技をみせている。
岡田資中将役は、思い浮かべれば他にも何人かの候補になりうる役者は存在するのだが、結果として藤田まことしかいなかったじゃないか、と思わせるほどのはまり役であった。
小泉堯史監督は、黒澤組に入り実に28年間、黒澤監督の呼吸を、近くに感じてきた。
だから、黒澤の遺作である「雨あがる」(00年)を小泉監督が黒澤組を引き連れて映画化したとき、誰もが奇異に思わなかったし、その作品は、海外の映画批評家からも、「まるでクロサワが撮ったようだ」と絶賛されたのだ。
その後「阿弥陀堂だより」(02年)、「博士の愛した数式」(06)年と、邦画ファンの期待を裏切ることはなかった。
しかし、今回の「明日への遺言」は、「雨あがる」以降の小泉+黒澤組3部作とでも呼べる作品群とは、大きく異なっている。
黒澤監督は、常々、「美しい人間を描く美しい映画」を撮りたい、そのための脚本が必要なんだ、と口癖のように言っていたという。
小泉監督は、大岡昇平の「ながい旅」を原作としたこの脚本を、十数年前にすでにしたためていたという。
けれど、最初から最後まで、拘置所と裁判所の法廷だけで終始するセミドキュメントのようなこの作品は、興行的には誰がどうみたって、厳しくならざるを得ないのは、目に見えている。
小泉堯史監督は、原正人プロデューサーの後押しもあっただろうが、前3作の高い評価を受けて、ようやくこの作品のような、地味に人間性を問い詰める作品に、あるいは現在の日本に喪失した「誇り」「矜持」を正面から提起するような作品に、着手することが可能となったのだろう。
冒頭、映し出されるのは、ピカソの「ゲルニカ」だが、理由がある。
1939年、人民戦線が持ちこたえていたスペイン人民戦争で、フランコ反乱軍の要請を受けたドイツ空軍が、ゲルニカの町に、史上初となる「無差別空爆」を行ったのだ。
当時、パリにいたピカソはその報に衝撃を受け、「ゲルニカ」の制作を開始し、「無差別空爆」への抗議として、発表したのである。
第一次世界大戦後の戦時法規制委員会で米・英・仏・伊・蘭・日の6カ国により、「爆撃は軍事的目標に対して行われた場合に限り、適法とする」という取り決めがあるにかかわらず・・・。
ドイツのポーランドへの無差別空爆もそうだが、イギリスもベルリン・ドレスデンなどドイツの諸都市に無差別爆撃をしている。
日本の重慶・南京への空爆も、無差別爆撃だとも言われている。
そしてなにより、米軍による「戦争終結を早めるため」という、理由にもならない国際法違反の、B-29による絨毯爆撃、無差別空爆、無差別機銃掃射、焼夷弾による無差別殺戮が、日本本土に展開されたのである。
そして、その総仕上げが、ヒロシマ・ナガサキである。
こうした対日焦土化作戦は、有名なルメイ司令官が具申したものである。
Wikiによれば、ルメイの作戦のポイントは次の4点。
- 高高度からの爆撃をやめ、低空(1,800メートル以下)からの爆撃とする。
- 爆弾は焼夷弾のみとし、最大積載とする。
- 搭載燃料を最小限とし、防御用の銃座は外す。
- 攻撃は夜間とする。
これらはすべて、徹底的に街を焦土と化し、老若男女を問わず非戦闘員を躊躇なく殺戮せよ、ということに他ならない。
「東京大空襲」をはじめ、大都市から中小都市まで、全国の都市が街が焼き払われ、無差別に住民が虐殺されたのである。
1964年、日本政府からルメイは勲一等旭日大授賞を授与されている。
推薦人は小泉純一郎の父の当時防衛庁長官であった小泉純也。
恥知らずのこの行為こそ、日本人に対する「A級戦犯」である。
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「明日への記憶」は、この無差別空襲の時期に、東海軍司令官の職にあった岡田資中将が、爆撃機の米兵27名を軍律に従い処罰し、そのことでB級戦犯として、部下19名と共に被告となり、横浜地方裁判所で、国際法廷として裁かれたそのさまが描かれている。
1945年5月14日の名古屋大空襲時の、米兵処罰である。
フェザーストン主任弁護人は、国際法違反の無差別爆撃が、処罰の因であると、擁護する。
バーネット主任検察官は、正式な裁判手続きを経ずに、野蛮な斬首を執行したことは、犯罪であると、主張する。
岡田資中将は、この裁判を「法戦」ととらえ、正々堂々と真正面から己の信念を、語るのである。
彼の主張は、主要には、次の3点である。
1.米軍による無差別爆撃は、ハーグ法違反である。
2.爆撃の中で正式の裁判を行う余裕などなく、また軍規に照らしても、正当な処罰である。
3.すべては、司令官である自分の責任であり、部下には寛大な措置をお願いする。
その堂々とした潔い身の処し方は、裁判では「絞首」刑を言い渡されるが、弁護人のみならず検察官からも助命の嘆願書を出されるに至っている。
また、ラップ裁判委員長も「米軍では報復は認められている」と助け舟を出すのだが、岡田資中将は、毅然として「報復ではなく、処罰である」と言い放つのである。
岡田資中将は、若くしてロンドンにも赴任しており、英語もかなり、堪能である。
もともと、若い人たちへの面倒見もよく、部下からは敬愛をこめて「青年将軍」と呼ばれていたようだ。
日蓮宗を深く研究しており、獄中の若い被告人たちに、教えも説いていた。
一方で、妻である温子(富司純子)や子どもたちに対して、良き父親であり、信頼の眼差しは揺ぎ無い。
「笑顔を交換するだけで結構、結構」といいながら、「愛する人へ遺したいものがある」として、自分の「法戦」を、自分の遺言のように、なんら怯むことなく誠実に潔く、披露するのである。
「明日の遺言」という、作品に関しては、本当のところは、最初の10分ぐらいの戦争のドキュメントフィルムの映像は、もう戦争のことをあまり知らないだろう(伝達されていないだろう)、若い世代を意識したものであろうが、少しかったるい。
とくに、竹野内豊のナレーションは、あまり褒められたものではない、と思えた。
法廷の緊迫感も、こんなものかなといわれれば、そうかなと頷くしかない。
400坪のスタジオの横浜地裁法廷のセットを再現し、3台のカメラで緻密に重厚に撮影しているが、テーマがテーマだけに仕方が無いところもあるが、不謹慎を承知で言えば、商業作品としては、やはり退屈さは否めない。
けれど、藤田まことと富司純子の夫婦像は、日本人としての、もういまではほとんど望みようのないものかもしれないが、凛とした美しさを、感動的に表現している。
加古隆史のサウンド、最後の森山良子の「ねがい」の調べと共に、あえてこういう作品を僕たちに贈ってくれた小泉堯史監督に、感謝したい。
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「博士の愛した数式」
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小泉堯史監督作品では「雨あがる」が依然一番のお気に入りですが、昨日黒澤明の「八月の狂詩曲」を再鑑賞してみて、この作品のタッチに似たものを感じました。もし小林監督がモノクロ時代に御大に接していたら、もっと違う作風になっていたでしょうね。
>竹野内豊のナレーション
最近の作品は内面モノローグとしてのナレーションが多いですが、本当のナレーションでしたね。
しかし、ぎこちなくて相当興醒めました。登場人物に関係ないなら実績のある人に任せるべきだったでしょう。
本年も旧年同様宜しくお願い致します。
僕も、黒澤明の全DVDをあらためて、半年ぐらいかけて、年末に見終わったところです。
あと、あらためて、黒澤監督、周囲の方々の証言、黒澤映画の作品批評集などは膨大にありますが、20冊ぐらいは昨年に新しく手に取ったり、再読したりしました。
自分なりに、どこかで、自分なりの把握ができればいいのになあ、と思っています。