
桜井センリさん孤独死? クレージーキャッツの名脇役
夕刊フジ 11月12日(月)16時56分配信
戦後バラエティー番組で一世を風靡したバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーでタレントの桜井センリさんが10日、都内の自宅で死去した。86歳だった。
テレビ朝日の報道などによると、桜井さんは東京都新宿区の自宅で倒れているのを近所の住民が発見し、110番通報。警察官が駆けつけたときには亡くなっていたといい、孤独死の可能性もある。
桜井さんは、クレージーキャッツでピアニストとして活躍。金鳥CMの「ルーチョンキ」は流行語になった。
遺作となったのは2006年に公開された映画「待合室-Notebook of Life-」。最後に公の場に姿を見せたのは、10年11月11日に行われたメンバーの谷啓さんお別れの会だった。クレージーキャッツのメンバーは次々と他界し、これで犬塚弘(83)だけとなってしまった。
これまで1930年3月20日生まれとされていたこともあったが、死後、所属事務所から公表された実際の年齢は1926年生まれの86歳だった。
クレージキャッツを若い人たちはコント集団としてみなしている人もいるかもしれないが、れっきとした音楽バンドである。
もちろんきわめてエンターテイメントに富んだ特異なバンドであり、いかりや長介率いるドリフターズとはまったく異なっている。
クレージーキャッツでは、団長のハナ肇とスターの植木等が両雄で、谷啓がボケ役でうまくそのふたりと絡んでいた。
結成時のメンバーは異なるが、僕たちの記憶の中では、犬塚弘、石橋エータロー、安田伸そして桜井センリが脇役をつとめた印象がある。
桜井センリは石橋エータローの病気療養中に代役で起用された。
ピアノの腕は評価が高く、エータローが復帰後もふたりで連弾をして楽しませてくれた。
桜井センリは父親の赴任先のロンドンで生まれた。
いわば「帰国子女」である。
クレージーキャッツは、都市的な感性と、戦後日本のばたくささの両方をバランスよく重ねた集団であったが、桜井センリもまたおしゃれな人だった。
ある時期から、クレージーキャッツはそれぞれのソロ活動のようになり、桜井センリも役者やCMで持ち味を出している。
孤独死のように伝えられているのが、なんだか寂しい。
これで、残るは犬塚弘ひとりになってしまった・・・合掌!
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