サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

勇気/やなせたかし(漫画家)/94歳

2013年10月15日 | 毎日がメメント・モリ

「アンパンマン」シリーズの人気漫画家、やなせたかしさん死去

産経新聞 10月15日(火)15時21分配信


やなせたかしさん=2010年5月(栗橋隆悦撮影)(写真:産経新聞)

 「アンパンマン」などで知られる漫画家、やなせたかし(本名=柳瀬嵩)さんが13日、心不全のため死去した。94歳。葬儀・告別式は近親者のみで執り行った。後日、しのぶ会を開く予定。

 大正8年生まれ、高知県で育つ。東京高等工芸学校(現千葉大工学部)図案科を卒業後、グラフィックデザイナーとして、田辺製薬(現田辺三菱製薬)、三越百貨店(現三越伊勢丹)などに勤務。三越の包装紙にある「Mitsukoshi」の文字は当時、やなせさんが描いた。

 昭和28年に独立し、漫画家デビュー。ラジオドラマの脚本や詩、童話なども手掛け、多彩な才能を発揮。36年に作詞した「手のひらを太陽に」(いずみたく作曲)は大ヒットした。48年には雑誌「詩とメルヘン」を自らが中心となって創刊。詩にイラストを添えて載せた形式が評判を呼んだ。雑誌は平成15年の廃刊まで30年間にわたって刊行され、多くのイラストレーターを輩出した。

 昭和48年に出版した絵本「あんぱんまん」(当時は平仮名表記)は、困った人に自分の顔をちぎって与えるヒーローが高い支持を得て、大ヒット。63年にテレビアニメ化されると、その人気は国民的なものになり、アニメ映画作品も繰り返し作られた。

 アニメ映画の挿入歌の歌詞も大半を自分で書くだけでなく、作曲も手掛け、歌手デビューし、その後、ミュージカルにも出演した。晩年も積極的に活動を続け、平成12年から24年まで日本漫画家協会理事長を務め、その後、同協会会長に退いていた。

やなせたかしさんについて、悪く言う人を見たことがない。
みんな自分のこどもが夢中になった「あんぱんまん」を必ずおつきあいで見てもいるし。
絵本の「あんぱんまん」は昭和48年だから、僕の20歳の時だ。
僕は30歳でこどもに恵まれたが、こどもといっしょにあんぱんまんともずいぶんつきあった。

この昭和48年に、『詩とメルヘン』が創刊されている。
これはサンリオ出版でなんと30年にわたって、続いた。
こういう雑誌としてはまれなことだ。

23歳の時、僕はちょっと就職も考えてみようか、どうしようかと思っていた。
就職活動などはしなかったが、平凡社と講談社と早川書房だけ、試験を受けたりした。
試験の結果はなぜかとても良かったのだが、面接は受けなかった。

誰にも内緒にしていたが、親父の関係で、サンリオの役員がいたので、ここで面接を受けたことがある。
キティちゃんはともかく、僕は『詩とメルヘン』なら入りたいです、と言ったら、「男性はまず倉庫で5年はやってもらいます」と言われてしまい、すごすごと帰ったことを覚えている。
当時は社名はまだ山梨シルクセンターであった。

やなせたかしさんは3.11後も変わることなく、「あんぱんまん」の精神をこどもにも分かるように話し、その主題歌はあらためてみんなの心に勇気をもたらした。
94歳、漫画家としては遅咲きであったが、誰もに愛された人であった・・・合掌!
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿