喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

30年の時を経て、「ストレンジャー・カンパニー」テニスサークルに感謝

2016-04-22 | 感動
 双子の娘たちが、今春愛媛県立三崎高等学校に入学した。
入学する前から、部活動の選択で悩んでいた。

 三崎中学校では、ソフトテニス部に入り、それなりの充実感があったようだ。
指導者は、父親の私だった。

 高校になったら進学をめざしたいと、体育会系の部活動をあきらめようと考えていた。
ところが先輩の誘いもあり、硬式テニスを選んだ。
 先日、テニスラケットを一緒に買いに行った。


 思いおこせば30年前、一人福岡の大学に行った私は、同じアパートの佐瀬合一先輩との出会いがあり、
思いもよらないテニスをすることになった。
ところがやりだすと、これがおもしろかった。

 松岡修造さんとは、同じ年齢。
ずいぶんと有名になり始めたころだった。
 世界的には、ステファン・エドバーグやボリス・ベッカー、そして晩年のジョン・マッケンロー。
女性では、ナブラチロワが圧倒的な強さを誇っていたころ。

 そんな人たちのプレーを夢見て、練習が終わった後や休日に西部運動公園で、一人で壁打ちをよくしたものだ。
ある時、勢いあまってラケットをすべらし、地面にたたきつけてしまった。
そして折れてしまったのだ。
貧乏学生の自分にとって、それは大きな痛手だった。
 そして買ったのがこのプリンスのでか面のラケット。




 もう25年くらい使っていないが、大切に残している。
久しぶりに取り出し、振ってみた。
まだまだこれで打てそうだ。

 この年代物を見て娘たちも驚いていた。
さすがにこれを使うとは言わなかったが、まだまだ打てるということを見せてあげたくなった。
 ラケットの古さ以上に自分の体が古くなっているだろうが、連休中いっしょに親子でテニスをする約束をした。

 娘たちが買ったラケットが、このウィルソンとバボラのラケット。
軽くて性能もよくなっている。



「ストレンジャー・カンパニー」テニスサークルのおかげで、30年の時を経て娘たちとテニスができる。
何て幸せなことだろう。
「ストレンジャー・カンパニー」の人たちとの出会いが当時の自分を変え、
未来の今を豊かなものにしてくれている。

 出会いが、人を変える。
出会いが、未来を変える。


                    岬人(はなんちゅう)