今日、1月19日は、46回目の誕生日。
妻や子どもたちからの「誕生日おめでとう。」の声。
そして朝早くからさまざまな人からのフェイスブックなどへのお祝いメッセージが届いている。
私には伝えなければならないことがある。
朝、出勤前に母家の両親のところへ行き、
「今日おかげさまで46歳になったよ。ますますがんばるけん。」
という感謝と心意気の言葉を伝えた。
母からは、
「早、46歳になったかい。」
そして父からは、
「46歳か、いい歳やの。床柱を背負う気持ちでやっていかないけんの。」
まさにその通りだと感じている。
自分がこの世に生を受け、これまでやってこられたのも両親あってのこと。
これはどんなにがんばってもお返しすることはできないほどのもの。
お返しできないぶんは、これから未来につながる我が子や地域に返していけばいいのではないだろうか。
家で最も大切な場所の1つである床の間。
それを背に、家を支え、盛り上げていかなければならない。
時には楯となり護り、時にはその大切さを感じながら思いきって行動する。
年老いた父の背中を見ながらそう思う。
孔子は論語のなかで
「十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」
と言っている。
もちろん私とは比べものにはならないが、そのいくぶんかでも見ならいたい。
「四十にして惑わず。」
まさに自分の信じる道を歩む時期。
岬人(はなんちゅう)
妻や子どもたちからの「誕生日おめでとう。」の声。
そして朝早くからさまざまな人からのフェイスブックなどへのお祝いメッセージが届いている。
私には伝えなければならないことがある。
朝、出勤前に母家の両親のところへ行き、
「今日おかげさまで46歳になったよ。ますますがんばるけん。」
という感謝と心意気の言葉を伝えた。
母からは、
「早、46歳になったかい。」
そして父からは、
「46歳か、いい歳やの。床柱を背負う気持ちでやっていかないけんの。」
まさにその通りだと感じている。
自分がこの世に生を受け、これまでやってこられたのも両親あってのこと。
これはどんなにがんばってもお返しすることはできないほどのもの。
お返しできないぶんは、これから未来につながる我が子や地域に返していけばいいのではないだろうか。
家で最も大切な場所の1つである床の間。
それを背に、家を支え、盛り上げていかなければならない。
時には楯となり護り、時にはその大切さを感じながら思いきって行動する。
年老いた父の背中を見ながらそう思う。
孔子は論語のなかで
「十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」
と言っている。
もちろん私とは比べものにはならないが、そのいくぶんかでも見ならいたい。
「四十にして惑わず。」
まさに自分の信じる道を歩む時期。
岬人(はなんちゅう)