あれからもう4年が経つ。
国立大洲青少年交流の家で勤務していた時に
東京大学自転車部6人のみなさんが宿泊された。
退所の時、「今日はどこに行きますか?」
と訪ねると、
「佐田岬灯台をめざします。」
との返事。
「それはいいですね。私のふるさとです。
どちらに泊まりますか?」
と訪ねると、
「野宿します。」
とのこと。
その日は天気が崩れる予報。
灯台は風も強く、たいへんになると思い、
「よかったら、うちの郷に泊まりませんか?
空き家を利用したボランティアハウスがあるんです。
そして今、アメリカ出身のエバンという若者が一人で住んでいます。」
と声をかけてみた。
みなさんは、きょとんとした表情をしていた。
都会の人にとってみれば、それはそうかもしれない。
何の縁もない人にいきなりそんなことを言われても
何かかんぐりたくなる。
そこで「喜久家プロジェクト」のことを説明し、
よくわかってもらえた。
その場は別れ、彼らは佐田岬灯台をめざし、
私は、勤務に就いた。
そして夕方に平礒で再会することを約束した。
予定の時間よりも遅くなり、真っ暗になったころ
ライトを照らした自転車集団が平礒に入ってきた。
喜久家に上がり、大鍋でカレーライスを作り、みんなで食べた。
エバンも含め大いに盛り上がった。
その後、リーダーの松尾君とは年賀状のやりとりが今でも続いており、
中田君とも先日フェイスブックでつながった。
そしてもう一人、郷づくりの話で一番盛り上がった安藤君とは、
その後も彼の活動を教えてもらったり、
喜久家プロジェクトの様子を伝えたりなど
つながりが続いていた。
その安藤君から連絡があり、
平礒に再び来たいということだった。
すばらしい縁だ。
岬人(はなんちゅう)
」