最近、アイス・バケツ・チャレンジが話題になっている。報道によれば、8月22日(昨日)にみんなの党の浅尾代表が安倍総理を指名したそうで、24時間以内に実行or募金がルール化されているので、今日(23日)にデッドラインを迎える(というか、既に24時間経過している)。しかし、現時点で安倍総理が実行したという報道は入ってきていない。多分、安倍総理は寄付はするだろうがチャレンジは行わず、次なる指名も辞退するだろう。
この様な話に剥きになるのも大人げないが、私はこの様な行為が大嫌いである。建前論的な話として、よく言われる「ネズミ講と一緒」とか「心臓麻痺のリスクがある」とか「理由の如何にしろ強制的的に何かを強いるのは良くない」など様々あるが、まあそんな話はオマケの様なもので、単純に生理的に嫌いというのが本音である。
生理的に嫌いというのに論理武装など不要なのだが、私が一番嫌いな理由はこれは「ポピュリズム」の象徴だと思うからである。
若い人はご存じないかも知れないが、1980年代半ば、世界中のミュージシャンがアフリカの恵まれない子供たちの為に募金をしようという動きがあった。きっかけは、1984年にアイルランド出身のミュージシャンであるボブ・ゲルドフが「Do They Know It's Christmas?」という曲を作曲し、ミュージシャン仲間に協力を求め、「Band Aid」というイギリス、アイルランドの著名ミュージシャンによるバンドを結成し、世界にアフリカに向けた募金を呼びかけた。これを受けたアメリカ側のミュージシャンは、ライオネル・リッチーを筆頭に、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズら大物アーティストが集まり、「U.S.A. for Africa」を結成した。彼らが歌う「We Are The World」は大ヒットし、世界中でチャリティ運動の輪が広まった。
私は彼らの行動は非常にスマートだったと思う。ボブ・ゲルドフが作ったバンド名が「Band Aid」で、歌った歌が「Do They Know It's Christmas?」というのは何とも「粋(いき)」である。誰かに何かを強要するのではなく、多くの人の心から自発的に何かが産まれるのを助ける「触媒」の様なもので、そこには強制性のかけらもなかった。幾ばくかのミュージシャンは売名行為的に参加したかも知れないし、仲間から半ば強要されたりした例もあったかも知れない。しかし、その様な人達でもレコーディングやその後のチャリティ・コンサートを楽しんでいたと思うし、その心意気が多くの人々の心を打ち、多くの募金が集まったと思う。その募金が有効活用されたかどうかは知らないし、本当はお金以上に貧しい地域を裕福にするための農業支援や井戸掘りや、医師などの派遣などが求められていたのかも知れない。しかし、彼らの行動がその後の何かを生む連鎖反応の起爆点になったのは間違いない。私は非常に強く心を打たれたのを覚えている。
しかし、今回のアイス・バケツ・チャレンジはその様なものとは別物である。最も嫌いなのは、チャレンジした人達がその動画をネットに流す点である。筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の研究を支援するのが目的のチャリティの一環であるのだが、私はそのチャレンジの映像を見て「募金をしよう」という気持ちが湧きあがりはしない。むしろ、「募金なんかするもんか!」という気持ちが湧きあがる。単純に知名度をあげ、怪しい募金ではないことを世界に知らしめるのが目的なら、もう少しスマートなやり方をすれば異論など湧きようがないのだろうが、今回のアプローチは明らかにそれとは異なっている。そこには異論をはさむ余地が残されておらず、「当然、これって正しいよね!」と正義の押し売りをされている様で、自発的な気持ちを大切にすべきチャリティ精神とは対極にあるような気がする。
しかしそれにも関わらず、このアイス・バケツ・チャレンジは世界中で大流行している様だ。それは何故か?答えは単純で、参加する人の「ポピュリズム」をくすぐるからである。「個人的に、風呂場で氷水をかぶりました。動画は流しませんが、チャレンジ成功です!」とツイッターに流して終わりにするような有名人が多くいるなら分からないでもないが、殆どの著名人は大勢の前で実行したり、ないしはYou Tubeなどで動画を流しまくっており、それを自らの宣伝の様に使っている。ビジネス的な視点で考えれば、強要する側と強要される側は、相互に自らにとっての利点をもっているので、云わばWin-Winの関係になる。ビジネス戦略とみれば理にかなった戦略だろうが、こんなチャリティにビジネス戦略を持ち込まないで欲しいのである。
まあ、野暮なツッコミでしかないのだが、「ポピュリズム」のアプローチが益々先鋭化している様で私は怖いのである。朝日新聞などの扇動で広がる「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」などの反対ネガティブキャンペーンなどは、その本来の意味を考えることなく、上っ面の軽率な「正義感」を焚き付けて半ば暴力的に政治の足を引っ張ろうとしているのだが、その様な政治闘争に今回の様な「ポピュリズム」のアプローチが利用されそうで怖いのである。
少なくとも、安倍総理にはこの流れを断ち切って頂きたいと願う。
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この様な話に剥きになるのも大人げないが、私はこの様な行為が大嫌いである。建前論的な話として、よく言われる「ネズミ講と一緒」とか「心臓麻痺のリスクがある」とか「理由の如何にしろ強制的的に何かを強いるのは良くない」など様々あるが、まあそんな話はオマケの様なもので、単純に生理的に嫌いというのが本音である。
生理的に嫌いというのに論理武装など不要なのだが、私が一番嫌いな理由はこれは「ポピュリズム」の象徴だと思うからである。
若い人はご存じないかも知れないが、1980年代半ば、世界中のミュージシャンがアフリカの恵まれない子供たちの為に募金をしようという動きがあった。きっかけは、1984年にアイルランド出身のミュージシャンであるボブ・ゲルドフが「Do They Know It's Christmas?」という曲を作曲し、ミュージシャン仲間に協力を求め、「Band Aid」というイギリス、アイルランドの著名ミュージシャンによるバンドを結成し、世界にアフリカに向けた募金を呼びかけた。これを受けたアメリカ側のミュージシャンは、ライオネル・リッチーを筆頭に、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズら大物アーティストが集まり、「U.S.A. for Africa」を結成した。彼らが歌う「We Are The World」は大ヒットし、世界中でチャリティ運動の輪が広まった。
私は彼らの行動は非常にスマートだったと思う。ボブ・ゲルドフが作ったバンド名が「Band Aid」で、歌った歌が「Do They Know It's Christmas?」というのは何とも「粋(いき)」である。誰かに何かを強要するのではなく、多くの人の心から自発的に何かが産まれるのを助ける「触媒」の様なもので、そこには強制性のかけらもなかった。幾ばくかのミュージシャンは売名行為的に参加したかも知れないし、仲間から半ば強要されたりした例もあったかも知れない。しかし、その様な人達でもレコーディングやその後のチャリティ・コンサートを楽しんでいたと思うし、その心意気が多くの人々の心を打ち、多くの募金が集まったと思う。その募金が有効活用されたかどうかは知らないし、本当はお金以上に貧しい地域を裕福にするための農業支援や井戸掘りや、医師などの派遣などが求められていたのかも知れない。しかし、彼らの行動がその後の何かを生む連鎖反応の起爆点になったのは間違いない。私は非常に強く心を打たれたのを覚えている。
しかし、今回のアイス・バケツ・チャレンジはその様なものとは別物である。最も嫌いなのは、チャレンジした人達がその動画をネットに流す点である。筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の研究を支援するのが目的のチャリティの一環であるのだが、私はそのチャレンジの映像を見て「募金をしよう」という気持ちが湧きあがりはしない。むしろ、「募金なんかするもんか!」という気持ちが湧きあがる。単純に知名度をあげ、怪しい募金ではないことを世界に知らしめるのが目的なら、もう少しスマートなやり方をすれば異論など湧きようがないのだろうが、今回のアプローチは明らかにそれとは異なっている。そこには異論をはさむ余地が残されておらず、「当然、これって正しいよね!」と正義の押し売りをされている様で、自発的な気持ちを大切にすべきチャリティ精神とは対極にあるような気がする。
しかしそれにも関わらず、このアイス・バケツ・チャレンジは世界中で大流行している様だ。それは何故か?答えは単純で、参加する人の「ポピュリズム」をくすぐるからである。「個人的に、風呂場で氷水をかぶりました。動画は流しませんが、チャレンジ成功です!」とツイッターに流して終わりにするような有名人が多くいるなら分からないでもないが、殆どの著名人は大勢の前で実行したり、ないしはYou Tubeなどで動画を流しまくっており、それを自らの宣伝の様に使っている。ビジネス的な視点で考えれば、強要する側と強要される側は、相互に自らにとっての利点をもっているので、云わばWin-Winの関係になる。ビジネス戦略とみれば理にかなった戦略だろうが、こんなチャリティにビジネス戦略を持ち込まないで欲しいのである。
まあ、野暮なツッコミでしかないのだが、「ポピュリズム」のアプローチが益々先鋭化している様で私は怖いのである。朝日新聞などの扇動で広がる「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」などの反対ネガティブキャンペーンなどは、その本来の意味を考えることなく、上っ面の軽率な「正義感」を焚き付けて半ば暴力的に政治の足を引っ張ろうとしているのだが、その様な政治闘争に今回の様な「ポピュリズム」のアプローチが利用されそうで怖いのである。
少なくとも、安倍総理にはこの流れを断ち切って頂きたいと願う。
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