けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

公平公正な報道は幻想か?

2013-07-06 23:24:59 | 政治
先日、6月26日放送のTBS「NEWS23」での国会終盤での与野党のドタバタ劇について、自民党がTBSに対する取材、出演の一時停止を宣言した。その後、TBSは自民党に対して公正な報道を心掛ける旨を説明し、自民党はTBSの謝罪を受け入れ取材、出演の一時停止を解除したが、TBS側は「謝罪などしていない、回答しただけだ!」と言っている。今日は、報道における特定政党への肩入れについてコメントしてみる。

最初に個人的な意見を言わせて頂けば、選挙期間中で公職選挙法に抵触しない限り、何処かの報道機関が特定の政党に肩入れしようがそれはそれで構わないと思う。分かり易いところでは、共産党の赤旗が滅茶苦茶に共産党をヨイショしたところで誰一人として文句を言う人間はいない。ポイントは、それがあくまでも公平で客観的な情報ではなく、ある種の主観が相当入っていることが視聴者に分かるように行うというのが大切である。アメリカで言えば、大統領選というのは1年がかりの大仕事だから、実際の選挙期間中を除けば、各報道機関は「うちはオバマ支持!」とか「共和党支持!」とか堂々とやっていても、誰も文句は言わない。誰もが、何処の報道機関が何処に対するバイアスをかけているのかがバレバレなので、話を聞く側もそのバイアスをキャンセルしながら、バランスを取って話をしているのである。勿論、政権交代可能な2大政党制が確立している国だから、短絡的に「反体制的」とかいう立場は存在せず、近い未来のあるべき姿を追い求めることを目的として、バイアスをかけながらも自分たちの考え方を明確にするのである。

しかし日本ではどうかと言えば、日本国民の誰もが「報道機関は公平公正であるはず」という共同幻想を描いている。NHKなどを見れば分かり易いが、一部の例外のケースを除けば、どう考えてもどっちが正しいかは明らかな状態でも両論併記を貫き、客観的な事実を伝えようとする姿勢を貫いている。しかし、例外とも言うべきNHKを除けば、多くのテレビ局は系列の新聞社をもっていて、その新聞の中では社説という形で「自らの立場の表明」を行っている。日本維新の会の橋下代表などは彼のブログの中で毎日新聞に対して口を酸っぱくして言い続けているが、公平公正な立場で一般市民に情報を提供するニュースと、その客観的な事実を主観的に読み取って、個別の案件に対する賛成/反対、擁護/批判、支持/不支持などのあくまでもその新聞社の主観的な意見としての社説は、読者に対して明確に区分して提示すべきであると主張しており、その考えは私も賛同するところである。だから、ニュースキャスターやコメンテータがその場で好き勝手なことを言っているのであれば見ている人も、「ああ、この人はこの様に考えているんだ」とかそのバイアスを視聴者側でキャンセルすることが可能であるが、今回のTBSの様に如何にも思想的な偏りのない一般市民であると視聴者が思いそうな人にビデオ映像の中で発言をさせ、それらのビデオ映像をつないで演出的には「客観的事実はこうですよ!」と視聴者に素材を提供しているかのように番組を構成したら、それは自民党としては「文書で抗議」したくもなるのは理解できる。しかも、公式な抗議を文書でしても誠実な回答が得られなければ、その後の判断として取材、出演の一時停止という判断があったとしても仕方がないだろう。別に褒めれた話では決してないが・・・。

ちなみに、先ほど紹介した如何にも思想的な偏りのない一般市民のように思わせて登場していた人の所属が、実は思いっきり思想的に偏りがあり、特定の政党ないしは政治家に肩入れしている団体であるとするならば、報道側の誠実さは相当疑わしいと言わざるを得ない。

同様のニュース番組の例を取り上げれば、6月24日のテレ朝の報道ステーションを見ていた人は私の様に「おやっ?」と思ったに違いない。丁度ビデオにとっていた人の中には、何度も見返した人もいるだろう。それは、都議選が終わった総括を共同通信社の田崎史朗氏と古館一郎氏がしている最中に、番組スタッフから(なぜか堂々と)メモが入ったという話である。誰もが、「んん?何だ、何だ!」と思ったのだろうが、古館一郎氏が多分、報道ステーションのスタッフの意図に反旗を翻し、その内幕をばらしてしまったのだから笑ってしまった。そのメモに書かれていた内容を古館氏が要約していたが、早い話は番組スタッフは「みんなの党を支持するものとして、田崎氏が『みんなの党もゴタゴタがあって維新の会と同類』的な発言をしていたのを訂正し、みんなの党は頑張ったと評価して欲しい」という内容のメモだったようである。バレるのを覚悟の上でそこまで明け透けな指示を古館氏相手に出すというのは、相当、テレビ朝日には考えがあるのだろうと思うのだが、実際にはそれが白日のものとなり、報道の中立性というのは口先だけであることが明らかになってしまった。

もうひとつ例に出せば、日本報道検証機構という機関があって、この期間が公平な期間かどうかは知らないが、ここではマスコミの間で行われる誤報を詳細に評価し告知している。下記のページを読んでいただければ分かるが、相当、朝日新聞が偏った記事を書いていることは明らかである。

日本報道検証機構GoHoo 2013年7月5日「『市立幼稚園全廃 橋下市長が撤回』はミスリード

これは大阪市議会での橋下市長と市議会議員とのやり取りであるが、大阪市で市立幼稚園を廃止して民営化する方向で検討をしているが、一方的に決め撃ちで見直しを一切しないというのではなく、1年2年と経過したところで状況判断を行い、そこで見直しがないとまでは断言しない(つまり、見直しはあり得る)との発言に対し、質問者の方が何とか「方針変更」という言質を取ろうとして、玉虫色のまま質問を終えたことに対して朝日新聞が「撤回」と報じたというのが経緯である。しかし、当然質疑であるので何度も言葉のキャッチボールをしており、その中では明らかに「民営化方針は僕は変えておりません」と何度も言っており、文脈全体を見れば日本語を解する者であれば十分に朝日新聞の報道が正しいか否かは分かる内容になっている。それを極めて意図的にやっているのだからタチが悪い。

この様な例は幾らでもあるが、その多くは「反権力」的な思考で行われることが多い。権力に逆らうなら何でもアリという思考がマスコミにはあり、中国共産党の主張する愛国無罪の様なものを信じ込んでいるというのが日本の報道機関の危うさである。これを何とかする自浄能力が日本のマスコミにあるように思えないのが悲劇であるのだが、それは民主主義を歪める効果にもつながり、先日のブログの減点方式ではないが、ここ最近の政治の漂流とも関わりがあるのだと思う。その意味では、「言うべきことを言う」行為は悪くはないと思う。

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