橋下発言が炎上している。報道を見る限り、石原共同代表、松井幹事長以外で橋下発言を擁護する声を一切聞くことがない。渡辺みんなの党代表に至っては、参院選の選挙協力の解消を匂わせるに至っている。異様な状態であるが、背景を考えれば当然と言えば当然の結果である。今日はその背景について整理してみようと思う。
まず、橋下代表とその他の人の議論では、大きな前提条件の乖離がある。それは、慰安婦というものの捉え方である。報道などでの扱われ方では、慰安婦というものは軍隊や政府により奴隷の様に集められ、人権のかけらもない非人道的な環境で強制的に働かされていた人のことのようである。しかし、現実の証拠が示す事実は、その多くが当時の一般人の収入の10倍以上の収入を得て働いていたということである。日本でも驚くことにお金目当てに女子高生の援助交際が問題になったくらいで、生きるか死ぬかの瀬戸際の中で、生きるために自ら慰安婦に身を落とした人は多数いたはずである。勿論、1日に何人も何人もお客を取らせられ、非常に苦痛に感じてはいただろう。しかし、当時はまっとうな工場に稼ぎに出ていた女工ですら極限的な環境で働かされていて、業務内容が「イカガワシイ」か「まっとう」かの違いだけで、相対的に見ればその労働環境の劣悪さは大して違いはない。一方は大金を報酬として得ていて、他方は二束三文の賃金でこき使われている差はあるが・・・。
ただ、それと同様に、農村で食うに困った家庭において、口減らしとお金を目当てに親が娘を金で売って、その結果、女郎に身を落とした女性の話も(日本においても)多く聞かれる。この場合、慰安婦を雇う側は相応する報酬を払って雇っていても、雇われた側は親に騙されて金で売られ、本人は覚悟が出来ていないで慰安婦になるから当然その後の生活は(お金をもらっても)地獄の様に苦しく感じていただろう。今現在でも世界中に風俗産業が多数存在し、(その中には借金のカタに)本人の意に反して嫌な仕事を強要されている人もいるのであろうが、その大半は自ら選択して身を落としている人たちだろう(本人は身を落としているという意識があるか分からないが・・・)。
であれば、慰安婦というものを「上述の報道での扱いの様な一部の不幸な人」と見なすか、それとも「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」と見なすかで、その後の議論は分かれる。例えば女性の人権活動家などは、まかり間違っても女性が自らその様な職を選ぶなど認められないだろうから、建前論的には慰安婦とは「上述の報道での扱いの様な一部の不幸な人」となるのだろう。さらに言えば今現在の感覚では、仮に数は少なくとも一部に不幸な人がいるならば、その様な不幸な人を前提に議論をしましょうと考えるのかも知れない。その方が、人から好意的に受け止められそうだから・・・。しかし、私からすればその様な不幸な事例で最も責められるべき相手は娘を金で売った親であり、その娘が親を責めもしないで雇い主(ないしは人買い人)だけを一方的に責めるというのには違和感を感じる。だから、橋下代表が慰安婦というものを「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」と定義して議論していたとして、それはそれには一通りの筋が通っているものと私は感じる。実際、その当時の時代背景を考えれば、(軍との関係があるかないかを別にすれば)その様な職の女性は世界中で決して珍しくはなかったはずである。
以下は、慰安婦というものを「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」という定義のもとで議論している。この定義が異なれば、当然、結論も全く異なるものになるだろうから、橋下代表も議論の前にこの点を確認すべきだったのかもしれない。
次に、マスコミは鬼の首を取ったように街角インタビューを行い、ありとあらゆる一般市民が橋下発言を非難していることを紹介し、この発言が如何に卑劣で常識外れの内容かをアピールしている。しかし、このインタビューの質問は多分、以下の様な問いなのであろう。
「橋下代表は『慰安婦は必要だ!』と従軍慰安婦を肯定する発言をしているがどう思うか?」
多分、この発言が誰によるものかを隠して質問されたら、私も「酷い発言ですね」と応えるかも知れない。しかし、この質問が以下の様な質問だったらどうだろうか?
「戦後、進駐軍が日本に駐留した時、多くの日本人女性がレイプの被害を受けたことをご存知でしょうか?また、ベトナム戦争では韓国軍が現地のベトナム人女性を大量にレイプし、『ライダイハン』と呼ばれる混血児が(人によっては人数に差はあるが)3万人も生まれたとして問題になっている。これらは共に、今から50年以上も昔の話で、且つ倫理観の欠如していた戦場や占領地での話だ。しかし、少なくとも日本ではレイプ被害者をなくすために慰安施設を積極的に活用しようという動きが戦後のその当時にはあった。進駐軍向けの慰安施設を当時の日本政府は作り、結果としてレイプ被害者を減らすことに寄与したといわれている。この様な状況を考え、橋下代表は『今現在の基準では慰安婦は許されるものではない。しかし、当時の一般市民の収入の10倍にも及ぶ相応の対価を払って慰安婦を集めていたとすれば、(当時の状況で当時の基準に照らし合わせば)それは必要悪と認めざるを得ないのではなかろうか』という趣旨の発言をしている。これに対してどう思うか?」
多分、この質問をされたら、7割方の人が同意をするのではないだろうか?つまり、質問をする側は何らかの回答を誘導するため、質問の仕方を選ぶというのは常套手段である。だから、適切に橋下代表の主張を理解した上で、一般市民の反応が報道の通りだったのかといえばそうではないのは明らかだろう。
実はこの点がポイントで、今朝の報道番組の中のあるコメンテータによる以下の解説を参考にポイントを整理したい。その解説とは、「橋下代表は当時は国際的に慰安婦は特別なものでなく、それを根拠に『必要だった』と言っているのであろうが、じゃあ昔、『奴隷は一般的で必要だった』と言ったらあなたは賛同するのか?」と例を出し、だから橋下代表は間違っていると主張していた。しかし、ここでは大きく問題を勘違いしている。奴隷制度は、その制度が無いからといって変わりにとばっちりを受ける被害者というものは存在しない。黒人がいなければ、金持ちは貧乏な白人を雇うだけである。その場合、主従関係があるから結構乱暴に扱われていただろうが、同じ人間であるから法律が人の行動を縛り、貧富の差があっても人を虫けらのように扱うことは許されない。だから、黒人の奴隷を否定したとしても、その代わりに同種の白人被害者が生まれることを想定する必要はない。被害者がいなければ、「奴隷なんかいなくても、我慢すれば良いじゃないか!」という議論となり、当然ながら奴隷制度は否定されてしかるべきである。
しかし、慰安婦に関しては事情が全く異なる。現実に多くのレイプ被害者が多数存在し、実効的には「慰安婦を取る」か「レイプ被害を我慢する」ことを取るか、その2者択一に迫られていた。ベトナムはその最も顕著な例である。公明党の山口代表は、「弁護士であれば人権を第一に考えなければならないはずなのに、これはどういうことだ!」という趣旨の発言をしているが、これは建前論でしかなく、彼はレイプ被害者の人権を決して意識はしていない。口先だけで「けしからん」とは言うかも知れないが、口先だけなら誰でも言えるのであって、政治家には結果責任が問われるのである。
そこで、より議論を分かりやすくするために、ここでシミュレーションをしてみよう。進駐軍が日本を占領した時の日本政府の立場で考えてみて欲しい。選択肢はふたつある。
(選択肢1)==================================
日本人女性が多数、進駐軍の兵隊によりレイプされている現状に対し、口先だけで「連合軍として、適切に対処して頂きたい」と要請する。GHQは建前上、「売春行為は法律で禁止されているから慰安施設では対応できない。兵隊にはようく言って聞かせるからそれで良しとしてくれ。」と応える。それでも後を絶たないレイプ被害に、同じく「適切に対処して頂きたい」と要請を繰り返す。
(選択肢2)==================================
被害者を減らすための具体的な手段としてGHQに慰安施設の設置を進言する。GHQは建前上、慰安施設を受け入れないが、名称を変えて実効的な慰安施設を作り、それ相応の対価を払って女性を雇い入れる。
ここで、選択肢2の場合を想定してみよう。あっという間にレイプ被害者が激減し、この件が社会問題化することがなくなる。管理された場所で、管理された活動を行い、その結果、性病(今で言えばエイズだろうか)などの性感染症の被害者も出ることは無く、何事も無かったかのように時は流れていく。その後、女性の人権活動家などが慰安婦制度を取り上げ、女性の人権を踏みにじる野蛮な行為を容認したとして、慰安施設設置の責任者を糾弾するかも知れない。自ら望まずにレイプ被害を受ける女性の人権の問題が顕在化しなかったために、もう一方の自ら望んで慰安婦となった女性の人権の方がクローズアップされ、その責任を問われることになる。
では、選択肢1の場合はどうか?何処までいってもレイプ被害は減ることは無く、膨大な数の被害者が続出する。日本版「ライダイハン」がそこら中に生まれ社会問題化するが、まもなく米軍宿舎の周辺に私的な売春婦が集まってきて、気がつくと慰安施設を作ったのと同様の結果となる。しかし、管理されていない売春であるために性病が蔓延し、進駐軍と日本国民の双方で大問題化する。この性病の恐怖でまもなくレイプ被害は減少し、気がつくと何事も無かったようになってくる。口先だけでGHQに「適切に対処を!」と叫んでいた人は、さも勝ち誇ったように「私の活動で、レイプ被害者問題が解決した!」と勝利宣言するが、相変わらず性病は蔓延し続けている上、巷には日本版「ライダイハン」が溢れて別の社会問題となっている。
この様なふたつのシミュレーションを比べて、あなたならどちらの決断をする人(政治家)を支持するのか?選択肢1の様に、人から揚げ足を取られない様に細心の注意を払い、美味しいところは全部自分の手柄の様にアピールする戦略性の高さは見事なものだが、上述のシミュレーションをみれば国民はとばっちりを受けて結局不幸になっている。一方、選択肢2は敵に隙を見せまくりだが、結果責任を意識した政治家の行動である。これらのシミュレーションから、橋下代表の主張のポイントが見えて来るだろう。
最後に、もうひとつ忘れてはならない議論のポイントを指摘しておく。橋下代表は沖縄の米軍基地で米軍司令官に合法的な風俗の活用を提言したが、司令官は凍り付いて固まってしまったという。常識的には橋下代表の主張は分かり易いと思うのだが、司令官が凍り付くにはそれなりの理由がある。それを忘れてはいけない。例えばWikipediaで「慰安婦」という言葉の検索をする中で、「在韓米軍慰安婦問題」という用語が出てくる。これは日本の慰安婦とは全く無関係で、1960年ごろから1990年ごろまでの長きにわたり、韓国軍によって強制的に、韓国軍と在韓米軍を相手に売春を強要させられていた女性たちの問題のことをいう。アメリカでの裁判において、米軍、韓国政府などを告発し、2009年にニューヨークタイムズなどでもこれが取り上げられた。戦時下の異常な状況での日本の慰安婦とは異なり、完全に平時で民主主義が確立した時代においての出来事である。それこそ性奴隷そのものであるが、この様なパンドラの箱を米軍は決して開けたくはない。それを開けたが最後、魑魅魍魎が次から次へと溢れてくる。だから、沖縄での米兵少女暴行事件の際に海軍大尉が「レンタカーを借りる金で女が買えた」と発言して更迭された経緯がある。この様に、それが法に触れる売春行為か合法行為かにかかわらず、慰安婦的な連想をさせる行為はタブー視され、結果としてそのために婦女暴行事件が多発しても、魑魅魍魎を見るよりはましだという考え方に立っている。しかし、その考え方と橋下代表の考え方のどちらが沖縄県民に寄り添っているかといえば、それは聞くまでもない話である。
さらに話をややこしくさせるのは、現在、日本にしても米国にしても売春防止法的な法律で売春行為は禁止されているが、自由な男女交際を縛るものではないから、結果的にこれがザル法となっている。だから、誰もが売春行為がそこらじゅうで蔓延していることを知っているし、AV女優などは売春行為でお金を得ていることを知っている。報道関係者の誰一人として、その本音と建前の乖離を指摘して非難することをしないが、橋下代表の「風俗の活用」という言葉を聞いて当然のごとく「売春婦の活用」を想像し、結果的に「売春を肯定している」と見なして非難をしている。しかし、橋下代表もその辺は弁護士として熟知しているから「売春婦の活用」ではなく「(合法的な)風俗の活用」と遠回しな発言をしている。しかし、両者とも本音では「売春なんて、そこらじゅうで当たり前の様にあるだろ!」と認めながら、それを決して口に出したりはしない。米軍も、「米軍は高潔だから、風俗など一切禁止している」とこれまた建前を主張している。だから、これは(日本及び諸外国の)報道関係者も米軍も結託した、魑魅魍魎封じ込め作戦のための橋下代表バッシングという意味合いもある。しかし、日本の慰安婦問題だけは既にパンドラの箱が空いてしまったから、これだけは認めてその他を全て封じ込めようという、何ともいびつな建前論のオンパレードとなっている。
これは例えて言えば、「裸の王様」に他ならない。誰もが王様が裸だと知っているのに、それを認めた途端に袋叩きに会うことを知っているから、全員が全員、口裏を合わせて「王様の着物は素晴らしい!」と称賛する。「王様は裸だ!」と橋下市長が叫んだが、現時点では「馬鹿なことを言うな!王様の衣装は素敵だ!」と言う人ばかりのようだ。ある程度はその様な人がいるのは理解できるが、どうして「えっ、王様は裸じゃないの?」と言ってくれる人がここまでいないのかが私には不思議でならない。
問題は相当根深いのだろう。
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まず、橋下代表とその他の人の議論では、大きな前提条件の乖離がある。それは、慰安婦というものの捉え方である。報道などでの扱われ方では、慰安婦というものは軍隊や政府により奴隷の様に集められ、人権のかけらもない非人道的な環境で強制的に働かされていた人のことのようである。しかし、現実の証拠が示す事実は、その多くが当時の一般人の収入の10倍以上の収入を得て働いていたということである。日本でも驚くことにお金目当てに女子高生の援助交際が問題になったくらいで、生きるか死ぬかの瀬戸際の中で、生きるために自ら慰安婦に身を落とした人は多数いたはずである。勿論、1日に何人も何人もお客を取らせられ、非常に苦痛に感じてはいただろう。しかし、当時はまっとうな工場に稼ぎに出ていた女工ですら極限的な環境で働かされていて、業務内容が「イカガワシイ」か「まっとう」かの違いだけで、相対的に見ればその労働環境の劣悪さは大して違いはない。一方は大金を報酬として得ていて、他方は二束三文の賃金でこき使われている差はあるが・・・。
ただ、それと同様に、農村で食うに困った家庭において、口減らしとお金を目当てに親が娘を金で売って、その結果、女郎に身を落とした女性の話も(日本においても)多く聞かれる。この場合、慰安婦を雇う側は相応する報酬を払って雇っていても、雇われた側は親に騙されて金で売られ、本人は覚悟が出来ていないで慰安婦になるから当然その後の生活は(お金をもらっても)地獄の様に苦しく感じていただろう。今現在でも世界中に風俗産業が多数存在し、(その中には借金のカタに)本人の意に反して嫌な仕事を強要されている人もいるのであろうが、その大半は自ら選択して身を落としている人たちだろう(本人は身を落としているという意識があるか分からないが・・・)。
であれば、慰安婦というものを「上述の報道での扱いの様な一部の不幸な人」と見なすか、それとも「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」と見なすかで、その後の議論は分かれる。例えば女性の人権活動家などは、まかり間違っても女性が自らその様な職を選ぶなど認められないだろうから、建前論的には慰安婦とは「上述の報道での扱いの様な一部の不幸な人」となるのだろう。さらに言えば今現在の感覚では、仮に数は少なくとも一部に不幸な人がいるならば、その様な不幸な人を前提に議論をしましょうと考えるのかも知れない。その方が、人から好意的に受け止められそうだから・・・。しかし、私からすればその様な不幸な事例で最も責められるべき相手は娘を金で売った親であり、その娘が親を責めもしないで雇い主(ないしは人買い人)だけを一方的に責めるというのには違和感を感じる。だから、橋下代表が慰安婦というものを「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」と定義して議論していたとして、それはそれには一通りの筋が通っているものと私は感じる。実際、その当時の時代背景を考えれば、(軍との関係があるかないかを別にすれば)その様な職の女性は世界中で決して珍しくはなかったはずである。
以下は、慰安婦というものを「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」という定義のもとで議論している。この定義が異なれば、当然、結論も全く異なるものになるだろうから、橋下代表も議論の前にこの点を確認すべきだったのかもしれない。
次に、マスコミは鬼の首を取ったように街角インタビューを行い、ありとあらゆる一般市民が橋下発言を非難していることを紹介し、この発言が如何に卑劣で常識外れの内容かをアピールしている。しかし、このインタビューの質問は多分、以下の様な問いなのであろう。
「橋下代表は『慰安婦は必要だ!』と従軍慰安婦を肯定する発言をしているがどう思うか?」
多分、この発言が誰によるものかを隠して質問されたら、私も「酷い発言ですね」と応えるかも知れない。しかし、この質問が以下の様な質問だったらどうだろうか?
「戦後、進駐軍が日本に駐留した時、多くの日本人女性がレイプの被害を受けたことをご存知でしょうか?また、ベトナム戦争では韓国軍が現地のベトナム人女性を大量にレイプし、『ライダイハン』と呼ばれる混血児が(人によっては人数に差はあるが)3万人も生まれたとして問題になっている。これらは共に、今から50年以上も昔の話で、且つ倫理観の欠如していた戦場や占領地での話だ。しかし、少なくとも日本ではレイプ被害者をなくすために慰安施設を積極的に活用しようという動きが戦後のその当時にはあった。進駐軍向けの慰安施設を当時の日本政府は作り、結果としてレイプ被害者を減らすことに寄与したといわれている。この様な状況を考え、橋下代表は『今現在の基準では慰安婦は許されるものではない。しかし、当時の一般市民の収入の10倍にも及ぶ相応の対価を払って慰安婦を集めていたとすれば、(当時の状況で当時の基準に照らし合わせば)それは必要悪と認めざるを得ないのではなかろうか』という趣旨の発言をしている。これに対してどう思うか?」
多分、この質問をされたら、7割方の人が同意をするのではないだろうか?つまり、質問をする側は何らかの回答を誘導するため、質問の仕方を選ぶというのは常套手段である。だから、適切に橋下代表の主張を理解した上で、一般市民の反応が報道の通りだったのかといえばそうではないのは明らかだろう。
実はこの点がポイントで、今朝の報道番組の中のあるコメンテータによる以下の解説を参考にポイントを整理したい。その解説とは、「橋下代表は当時は国際的に慰安婦は特別なものでなく、それを根拠に『必要だった』と言っているのであろうが、じゃあ昔、『奴隷は一般的で必要だった』と言ったらあなたは賛同するのか?」と例を出し、だから橋下代表は間違っていると主張していた。しかし、ここでは大きく問題を勘違いしている。奴隷制度は、その制度が無いからといって変わりにとばっちりを受ける被害者というものは存在しない。黒人がいなければ、金持ちは貧乏な白人を雇うだけである。その場合、主従関係があるから結構乱暴に扱われていただろうが、同じ人間であるから法律が人の行動を縛り、貧富の差があっても人を虫けらのように扱うことは許されない。だから、黒人の奴隷を否定したとしても、その代わりに同種の白人被害者が生まれることを想定する必要はない。被害者がいなければ、「奴隷なんかいなくても、我慢すれば良いじゃないか!」という議論となり、当然ながら奴隷制度は否定されてしかるべきである。
しかし、慰安婦に関しては事情が全く異なる。現実に多くのレイプ被害者が多数存在し、実効的には「慰安婦を取る」か「レイプ被害を我慢する」ことを取るか、その2者択一に迫られていた。ベトナムはその最も顕著な例である。公明党の山口代表は、「弁護士であれば人権を第一に考えなければならないはずなのに、これはどういうことだ!」という趣旨の発言をしているが、これは建前論でしかなく、彼はレイプ被害者の人権を決して意識はしていない。口先だけで「けしからん」とは言うかも知れないが、口先だけなら誰でも言えるのであって、政治家には結果責任が問われるのである。
そこで、より議論を分かりやすくするために、ここでシミュレーションをしてみよう。進駐軍が日本を占領した時の日本政府の立場で考えてみて欲しい。選択肢はふたつある。
(選択肢1)==================================
日本人女性が多数、進駐軍の兵隊によりレイプされている現状に対し、口先だけで「連合軍として、適切に対処して頂きたい」と要請する。GHQは建前上、「売春行為は法律で禁止されているから慰安施設では対応できない。兵隊にはようく言って聞かせるからそれで良しとしてくれ。」と応える。それでも後を絶たないレイプ被害に、同じく「適切に対処して頂きたい」と要請を繰り返す。
(選択肢2)==================================
被害者を減らすための具体的な手段としてGHQに慰安施設の設置を進言する。GHQは建前上、慰安施設を受け入れないが、名称を変えて実効的な慰安施設を作り、それ相応の対価を払って女性を雇い入れる。
ここで、選択肢2の場合を想定してみよう。あっという間にレイプ被害者が激減し、この件が社会問題化することがなくなる。管理された場所で、管理された活動を行い、その結果、性病(今で言えばエイズだろうか)などの性感染症の被害者も出ることは無く、何事も無かったかのように時は流れていく。その後、女性の人権活動家などが慰安婦制度を取り上げ、女性の人権を踏みにじる野蛮な行為を容認したとして、慰安施設設置の責任者を糾弾するかも知れない。自ら望まずにレイプ被害を受ける女性の人権の問題が顕在化しなかったために、もう一方の自ら望んで慰安婦となった女性の人権の方がクローズアップされ、その責任を問われることになる。
では、選択肢1の場合はどうか?何処までいってもレイプ被害は減ることは無く、膨大な数の被害者が続出する。日本版「ライダイハン」がそこら中に生まれ社会問題化するが、まもなく米軍宿舎の周辺に私的な売春婦が集まってきて、気がつくと慰安施設を作ったのと同様の結果となる。しかし、管理されていない売春であるために性病が蔓延し、進駐軍と日本国民の双方で大問題化する。この性病の恐怖でまもなくレイプ被害は減少し、気がつくと何事も無かったようになってくる。口先だけでGHQに「適切に対処を!」と叫んでいた人は、さも勝ち誇ったように「私の活動で、レイプ被害者問題が解決した!」と勝利宣言するが、相変わらず性病は蔓延し続けている上、巷には日本版「ライダイハン」が溢れて別の社会問題となっている。
この様なふたつのシミュレーションを比べて、あなたならどちらの決断をする人(政治家)を支持するのか?選択肢1の様に、人から揚げ足を取られない様に細心の注意を払い、美味しいところは全部自分の手柄の様にアピールする戦略性の高さは見事なものだが、上述のシミュレーションをみれば国民はとばっちりを受けて結局不幸になっている。一方、選択肢2は敵に隙を見せまくりだが、結果責任を意識した政治家の行動である。これらのシミュレーションから、橋下代表の主張のポイントが見えて来るだろう。
最後に、もうひとつ忘れてはならない議論のポイントを指摘しておく。橋下代表は沖縄の米軍基地で米軍司令官に合法的な風俗の活用を提言したが、司令官は凍り付いて固まってしまったという。常識的には橋下代表の主張は分かり易いと思うのだが、司令官が凍り付くにはそれなりの理由がある。それを忘れてはいけない。例えばWikipediaで「慰安婦」という言葉の検索をする中で、「在韓米軍慰安婦問題」という用語が出てくる。これは日本の慰安婦とは全く無関係で、1960年ごろから1990年ごろまでの長きにわたり、韓国軍によって強制的に、韓国軍と在韓米軍を相手に売春を強要させられていた女性たちの問題のことをいう。アメリカでの裁判において、米軍、韓国政府などを告発し、2009年にニューヨークタイムズなどでもこれが取り上げられた。戦時下の異常な状況での日本の慰安婦とは異なり、完全に平時で民主主義が確立した時代においての出来事である。それこそ性奴隷そのものであるが、この様なパンドラの箱を米軍は決して開けたくはない。それを開けたが最後、魑魅魍魎が次から次へと溢れてくる。だから、沖縄での米兵少女暴行事件の際に海軍大尉が「レンタカーを借りる金で女が買えた」と発言して更迭された経緯がある。この様に、それが法に触れる売春行為か合法行為かにかかわらず、慰安婦的な連想をさせる行為はタブー視され、結果としてそのために婦女暴行事件が多発しても、魑魅魍魎を見るよりはましだという考え方に立っている。しかし、その考え方と橋下代表の考え方のどちらが沖縄県民に寄り添っているかといえば、それは聞くまでもない話である。
さらに話をややこしくさせるのは、現在、日本にしても米国にしても売春防止法的な法律で売春行為は禁止されているが、自由な男女交際を縛るものではないから、結果的にこれがザル法となっている。だから、誰もが売春行為がそこらじゅうで蔓延していることを知っているし、AV女優などは売春行為でお金を得ていることを知っている。報道関係者の誰一人として、その本音と建前の乖離を指摘して非難することをしないが、橋下代表の「風俗の活用」という言葉を聞いて当然のごとく「売春婦の活用」を想像し、結果的に「売春を肯定している」と見なして非難をしている。しかし、橋下代表もその辺は弁護士として熟知しているから「売春婦の活用」ではなく「(合法的な)風俗の活用」と遠回しな発言をしている。しかし、両者とも本音では「売春なんて、そこらじゅうで当たり前の様にあるだろ!」と認めながら、それを決して口に出したりはしない。米軍も、「米軍は高潔だから、風俗など一切禁止している」とこれまた建前を主張している。だから、これは(日本及び諸外国の)報道関係者も米軍も結託した、魑魅魍魎封じ込め作戦のための橋下代表バッシングという意味合いもある。しかし、日本の慰安婦問題だけは既にパンドラの箱が空いてしまったから、これだけは認めてその他を全て封じ込めようという、何ともいびつな建前論のオンパレードとなっている。
これは例えて言えば、「裸の王様」に他ならない。誰もが王様が裸だと知っているのに、それを認めた途端に袋叩きに会うことを知っているから、全員が全員、口裏を合わせて「王様の着物は素晴らしい!」と称賛する。「王様は裸だ!」と橋下市長が叫んだが、現時点では「馬鹿なことを言うな!王様の衣装は素敵だ!」と言う人ばかりのようだ。ある程度はその様な人がいるのは理解できるが、どうして「えっ、王様は裸じゃないの?」と言ってくれる人がここまでいないのかが私には不思議でならない。
問題は相当根深いのだろう。
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