けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

ジャーナリズムと国益との対立というタブー

2013-05-29 23:50:54 | 政治
今日は少しタブーともいうべきテーマについて考えてみたい。ジャーナリズムと国益との対立の議論である。

一昨日のTVタックルでも橋下発言の是非が議論されていたが、その中で出演者のアメリカ人、ジェームス・スキナー氏の発言はある種の象徴的な物だったと思う。日本の報道そのものであるが、橋下代表の「日本は明らかに過ちを犯した。反省し、謝罪しなければならない。しかし、今現在も絶えない軍による女性の人権侵害を変えるために、各国も過去の汚点を直視しなければならない」というニュアンスの発言に対し、彼は「他の人もやれば、自分がやっても許されるのか!」と非難した。ここまでは普通のやり取りである。そこで、出演者が「だから、そんな言い訳では許されない、謝罪すると橋下代表は認めているだろう。それはそれとして、じゃあ、アメリカがベトナムや朝鮮戦争、占領下の日本でやってきたことはなんなんだ!」と詰め寄ると、「私は、アメリカは良くなかったと認めている。だから、その話はそれでいいじゃないか!いま議論しているのは橋下市長の詭弁だ!」というキリ返しが返ってくる。その論理が通るなら、「だから、橋下代表は慰安婦を利用した日本軍は悪かったと謝っているじゃないか!もう、それでいいじゃないか!」という主張が通ってもおかしくないのだが、当然、そんなことで許してくれるはずがない。

何を言いたいのかといえば、外国の人々は、明らかに他国が悪意をもって自国を攻撃するかもしれない案件に対しては、国益の視点から時刻を非難する発言が控え目になるという点である。これは別の見方をすれば「単に自分に甘いだけ」ということになるのだが、しかし日本のジャーナリストや報道姿勢はそうではない。「俺は自分(自国)にも厳しいぜ!」とばかりに、これ見よがしに日本政府や日本の権力者に食って掛かる。別にこれ自体は間違っていないのであるが、バランスの問題なのである。自国に厳しければ他国にも同様に厳しければ良いのだが、他国には滅法、寛容なのである。例えば韓国のマスコミは、中央日報に「原爆は神の懲罰」と記載したことに対し、原爆では広島在住の韓国人が多数犠牲になりながらも、中央日報の滅茶苦茶な論調に異を唱えたりはしない。そこで日本の非難に同調すれば、敵(日本)に塩を送ることになるからだ。一方で橋下発言に対しては滅茶苦茶に非難する。これは別に韓国、中国だけでなく、他国のマスコミも厳しい態度を取っていた。外国特派員協会での会見で、丁寧に英文のペーパーまで出しておきながら、そこに書かれた公式見解を引用せず、売り言葉に買い言葉的に報道陣が橋下代表を逆上させる様な質問をした中で引きだした微妙な表現を引用したまま、ケチョンケチョンに非難する。他国の国益が損なわれることは、基本的に自国にとってはプラスかプラマイゼロかのどちらかだから、当然厳しく対処する。一方で日本のマスコミはどうかと言えば、「原爆は神の懲罰」発言についても、産経新聞を除けばあまり積極的に非難しようという雰囲気がなかった。報道ステーションなどは、問題が発覚して菅官房長官が非難したその日にはスルーしていたと思う。中国の人権問題にしても、ひとつのニュースとしては話題にしても、だからそれを是正させるために声高に叫んだりはしない。海外や国内でそれが大々的な話題となれば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的に声高に叫ぶことはあるが、基本的には内政不干渉的な何かがあるようである。

しかし、ジャーナリズムの何たるかを考えれば、海外であれば悪いことをしても許されるなんて議論にはなりえず、常に是々非々で臨まなければならない。大体、「俺は自分(自国)にも厳しいぜ!」ということ自体が誤りで、自国ではあるが自分とは一線を画する他人(日本政府や権力者)の話であり、あくまでも他人に対して厳しいというだけである。例えば、新聞社やテレビ局で自社に問題が発覚したときに、極力、その問題には触れないようにするのが日本の報道の在り方である。反吐が出るくらいに自分に超甘で他人には厳しいのである。これは他国でも同じかも知れないが・・・。

だから、「自国の国益に反することは、いけないことでも報道の手を抜け!」と決して言ったりはしないが、この様な自国に厳しいスタンスを貫くなら、せめて他国に対しても同様に厳しいスタンスを貫いて頂きたいと思う。そして、単純に国益を害する行為だけに手を染めないで頂きたい。

そして、この様に書きながら、今回の橋下騒動で学んだことが一つある。それは、正論を言えば、世界なら分かってもらえるという幻想を抱いていたが、海外のマスコミは、日本のマスコミと異なり自国の国益というものを意識した報道を行うものであり、非難の矛先が自国に向かおうとする際には、水際でそれを防ごうとする自己防衛反応があるということである。これはマスコミに限った話ではない。韓国や中国のロビー活動は、非常に効率的な戦略を行っている。つまり、ロビー活動でアメリカ政府の足を引っ張りアメリカの国益に反するようなことを行おうとしても、それに賛同する米国議会議員や活動を代わりに代行するコンサルタントは見つからない。しかし、アメリカの国益には殆ど影響を与えないところでは、第3国の国益を損ねたとしても自分が何らかの見返りを得ることが出来るならば、金で動く人は多くいる。多分、今回の一件で、橋下代表の一番の主張である強制連行の有無をフェアな立場で議論してくれる人をアメリカ国内に求めても、それがブーメランのように朝鮮戦争やベトナム戦争などでの米軍の闇の部分を暴くリスクがあれば、中々、真面目には話を聞いてくれないだろう。だから、私は極めて不満ではあるが、キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦氏の主張するように、日本軍の強制連行の有無を議論するのはリスクがあり、日本がこれまでに行ってきた謝罪の数々や、アジア女性基金での償い、これに伴う歴代首相の手紙の数々を紹介すると共に、日本が戦後の歴史の中で如何に韓国、中国のために尽くしてきたかをアピールする方が筋が良いのかも知れない。

これは、「臭いものには蓋」的な議論の勝利を意味するようで極めて不愉快だが、これまた「正論」と「国益」の対立の問題に帰着されるのかも知れない。戦後教育を受けたものとしては、「国益=悪」の様なイメージを植え付けられているが、(他国が性善説に立つならそれも真実かもしれないが)他国が性悪説に立つことを前提とすれば、「国益」を是々非々で考えなければみすみす敵の罠に飛び込むことになる。

あくまでも国内的に閉じた話題ならあまり気にならないが、これだけ悪意に満ちた隣国が暴れだしている現状では、国際問題に絡む案件にはジャーナリズムの中で国益をどの様に考えるべきかを、そろそろ真面目に考える岐路に立っているのかも知れない。

こんなことをこれまでは考えたくなかったし、ちょっと前までは、こんな話をすること自体が「暴論」だと思っていた。しかし、現実は少し先を行っている様な気がする。悲しいことだが・・・。

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