けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「主権回復の日」論争のもう一つの舞台裏

2013-05-03 23:47:47 | 政治
少し時間が経ってしまったが、4月28日に行われた主権回復の日の式典のことについて撃腰コメントしておきたい。

3月29日のブログ「『主権回復の始まりの日(1952年4月28日)』と『主権完全回復の日(1972年5月15日)』」にも書いたが、沖縄県民の反発は非常に強い。私の主張のように、「主権回復の始まりの日(1952年4月28日)」と「主権完全回復の日(1972年5月15日)」を両方同列に祝えば良いのだろうが、現実はそうはならなかった。そこで安倍総理がどの様な演説を行うかに興味があったが、翌日の産経新聞に安倍総理の談話の全文が載っており、それを読む限りかなり沖縄に対する配慮の言葉が述べられている。対話を拒否する形で意思表明するのではなく、対話を通して意思表明をすれば良いのだが、現実はそうはなっていない。サンフランシスコ講和条約で日本から切り離されたのは、沖縄以外にも奄美群島、小笠原諸島などが該当する。毎日新聞に寄れば、沖縄での反政府運動の盛り上がりを受けて奄美でも抗議集会が行われたが、小笠原では何も集会などなかったという。もちろん、その時に既に島民が本土に疎開していた小笠原ではそれほどインパクトがなかったのかも知れないし、日本から切り離されながら1年程度で本土復帰し、且つ米軍基地がない奄美などは沖縄と事情が異なるから一概には言えないが、沖縄の過激さは群を抜いている。この点を少し掘り下げてみたい。

これだけ過激な沖縄であるが、では昔はどうであったかといえば、私は本土復帰後の70年代、80年代に沖縄で日本政府を非難する抗議集会などの話題を聞いた覚えがない。勿論、その頃は幼かったこともありあまり政治に興味がなかったということもあるが、記憶の中でその様な動きが目立ち始めたのは、1995年の少女暴行事件あたりからではないだろうか?(間違っていたらスミマセン)。勿論、基地の返還の要求はそれ以前からもあっただろうが、産業に乏しい背景もあり、米軍との共存共栄的な考え方が主流だったのだと思う。しかし、今回の「主権回復の日」を「屈辱の日」と位置づけ過激に振舞う人達は、その大半が戦後生まれの人達だろう。日本からの切捨てにより最も辛い思いをした当事者である人達は、少なくとも今現在よりも本土復帰直後の70年代、80年代の方が記憶が鮮明であり、その当時の方が政府に対する怒りは強かったはずである。しかし、政府に対する怒りの声は今の方が遥かに大きい。これは一体何を意味するのであろうか?

私の理解では、これは教育の賜物以外の何者でもない。つまり、米軍基地問題に関しては今現在も沖縄県民は当事者であるが、日本からの切捨てに対する屈辱をリアルタイムで味わった当事者はそれ程多い訳ではない。多分、1996年当時の橋本政権が普天間飛行場の返還交渉を開始して以来、それでも県外移設とならないことに業を煮やした政府に対する批判教育が徹底しだしたのだと思う。もちろん、その後の数回にも及ぶ選挙で県内移設容認派が選挙で勝ち続けた時期もあるのだからそう単純ではないのだろうが、鳩山元首相が「最低でも県外」と言ってからは一気に雪崩現象が起きてしまった。しかし、この雪崩現象は何処まで県民の真意であるのだろうか?

2009年の衆議院選で政権交代が起きたが、今では多くの国民があの選挙を日本の汚点のように認識している。根拠の乏しいポピュリズムに流されての選挙だったからである。沖縄の現状がポピュリズムという訳ではないが、何を言いたいのかと言えば、「声が大きい奴が勝つ」という悲しい日本の現状がそこに象徴されているのではと感じている。本当の意味での真意の分布がどうであるかを正確に知る手法があれば別だが、世論調査を含めて微妙なニュアンスをそこに込めることは出来ない。鳩山元総理の大失策で普天間飛行場に関する意見が反政府的になるのは理解できるが、しかしその議論と主権回復の日の議論は論理的には全く異なるものである。最も切り捨ての直接的な被害者が、その怒りが最も強かった時期に怒りの声をそれ程上げていなかったのに、今頃になって本土復帰以降に生まれた世代までが屈辱の日と叫ぶのにはそれなりの理由があるはずである。それは、人数的には少数の意見ではあるが、声の大きな者たちが大々的な宣伝活動を行い、気がつくと周りの人がそれに取り込まれるという状況である。政治家たちも、変な踏み絵を提示されて、その踏み絵を踏まないと政治的なネガティブキャンペーンを行われるのではないかとの恐怖に苛まれ、結果的にその罠に落ちるのである。

少々刺激的な言い方をしたのでフォローしておくが、私は本当に屈辱を味わった人達が「屈辱の日」と訴えることには全く異論はない。平和な時代に平和な場所で生まれた私が文句を言えたものではない。同様の例としては、福島第一原発の被害を受けた周辺住民が原発に対して無条件で拒絶反応を示すことは当然だと思う。しかし、日本全国の地方都市で東日本大震災の震災瓦礫の受け入れをしようとしたのに対し、猛烈な激しい過激な声で「絶対反対」を叫ぶ人達のマイナーな意見が自治体の判断を大きく支配するという現実に対しては、私は憤りを感じるのである。つまり、是々非々で議論しなければならない立場の人達が、野蛮な少数の声の影響を受けて「あたかも多数意見」のように一人歩きしてしまう現実が今の日本にはある。今回の主権回復の日の顛末を見ると、その様な動きを感じざるを得ない。そしてその流れを決定的にしたのは沖縄のマスコミなのである。震災瓦礫の話題では、比較的マスコミは冷静な対応をしていたが、沖縄の主権開封の日に関してはマスコミは「火に油を注ぐ」教育役を演じた感がある。ここまで来ると、政府と対話を通して沖縄の意見を伝える道を模索しようとする勢力ですら、売国(県?)奴と罵られる可能性すらある。

これらの状況は日本だけではない。共産党一党独裁の中国は勿論であるが、最近の韓国もまさにこの様な教育の効果が如実に現れている。この様な教育が「対話による解決の道を探ることを拒否する」ことへの疑念の思いを打ち砕く。つまり「洗脳」である。

だから彼らを責めるためにも、少なくとも身内に対してその問題を提起して議論の場に引き戻す努力が必要だと考える。触らぬ神に祟りなしという気持ちも分かるが、本当にそれで良いのだろうか?それをマスコミに対して私は問うてみたい。

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