「またか!」という感想だが、中国の李克強首相は一昨日ドイツ訪問中のポツダムで演説し、「(尖閣諸島を)日本が盗み取った」と主張し、「世界平和を愛する人々は、第二次大戦の勝利の成果を破壊したり否定したりしてはいけない」と述べたという。これを受けて菅官房長官は、「あまりにも歴史を無視した発言だ。尖閣諸島を巡る中国独自の主張に基づくものであるとすれば、受け入れられない」と中国を非難したが、これに中国外務省が再反論し、ポツダム宣言、カイロ宣言を引き合いに「日本は常識を欠いた言動をしないでほしい」と非難し返した。類似の発言は過去にも何度もあるが、最近の中国・韓国の歴史問題攻撃がますます先鋭化しているという象徴的な事件である。今日は、この問題に対してコメントしたい。
さて、この手の問題への対処法には共通の処方箋がある。それは過去のブログ、「次のキーワードは『法の下の支配』」でTPPについて書かせて頂いたように、キーワードは「法の下の支配」である。
まず、現在、韓国と日本の間には竹島という領土問題の紛争地が存在する。この紛争地という表現は、実効支配をしている側からすれば拒否するのが定石であり、係争地であることを認めれば自らの立場として譲歩したことになる。だから、自ら進んで係争地と認めることは常識的にはしない。しかし、問題を解決させようという気持ちがあるのであれば、これまた常識的には裁判で決着を付けるか、軍事力ないしは経済力でねじ伏せるかの、ふたつの選択肢しかない。前者を選択する場合、これが国際紛争であれば国際司法裁判所に提訴するのが筋だろう。日本は韓国に対して、竹島問題を国際司法裁判所に提訴することを狙っているが、多分、(政治的な思惑・下心がないという条件下では)中国、韓国を除けば世界中のあらゆる国家が裁判で決着を付けることを支持してくれるだろう。韓国が歴史問題を主張したいなら、この国際司法裁判所の裁判の中で歴史問題を主張すれば良い。
慰安婦問題も同様で、日本からの国家賠償を求める韓国であるが、日本側の主張は日韓基本条約の第2条に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とあり、これを根拠に国家としての賠償を拒否している。これはもっともなことで、交通事故の示談をした後で、「示談時には痛くなかったが、後で腰も痛くなってきたので、追加でもっと金をくれ!」と言われて素直に払うことは自殺行為である。だから、この様に言われたら誰もが裁判に訴えるのである。だから、請求している側が韓国なのだから、韓国がそれに納得できなければ日韓基本条約の第3条に規定があるように第三国ないしは第三者機関への仲裁を求めれば良いのだが、これまた第3条を理由に「外交上の経路を通じて解決する」と主張し、第三者機関の関与を拒否している。つまり、一方的に日本が譲歩することを要求しているのである。しかし、これまでも多くのケースでそうだったように、日本と韓国の主張ははっきり言ってかみ合うことはない。キリスト教徒とイスラム教徒が、「どちらの神の方が真実の神か?」を競い合っているように、前提として立つべき土俵が異なるのである。議論がかみ合わない以上、両者の合意で着地点を求めるのは不可能であり、次のステップに進むしかない。それは、やはり国際司法裁判所のようなところでの裁判に託すしか答えは得られない。なお、日韓基本条約では第3者として当事国の者を仲裁者に含めないこととしているから、例えば雅子妃殿下の父、小和田亘氏などが裁判員となることを排除しなければならないが、既に昨年、裁判所長は退任しているから、この辺の問題は回避されるだろう。もし不服なら、完全に小和田氏が裁判官すら退任してからでも良いだろう。韓国にしても、国際社会で生きていく以上、何処かで国際司法裁判所は利用せざるを得ないから、自分に都合の良い時だけ利用し、自分が都合が悪いと利用しないというのは無責任国家の烙印を押されることになる。
これを中国に当てはめればどうだろうか?日本は自ら進んで尖閣問題を国際司法裁判所に提訴する必要はないし、その様なことをしてはいけない。しかし、世界に対して以下の様に情報発信することは有益なはずだ。
「我々は民主主義国家として、法の支配を支持する。我々日本の施政下にあることが明らかである尖閣に対し、その状況に異を唱えたいなら、どうぞ、国際司法裁判所に提訴して下さい。我々は逃げも隠れもしない。提訴されたら、裁判で正々堂々と戦う。」
つまり、「日本が尖閣を盗んだ!」と言うなら、「それを国際司法裁判所に訴えるのが筋じゃないですか?訴えもしないで、そこら中で日本を貶めるような発言をするのはフェアじゃないですよ!」と、地道に訴えれば良い。
幸いにも、中国は今回、ポツダム宣言、カイロ宣言などの根拠を口にしている。つまり、「ちゃんと根拠があるんだよ!」というスタンスを取っている。カイロ宣言など引き合いに出すと説得力がありそうな気になるが、要は日清戦争の終結前の1995年の尖閣の沖縄編入の妥当性と、その後に日本の支配下に安定的に置かれていたことが確認できればカイロ宣言の対象とする「第一次世界大戦により占領した太平洋の全島」、「日本が中国領土から奪った領土」などには該当しないから、カイロ宣言が切り札となるようなことにはならない。しかし、良く知らない中国国民は裁判でも勝てると確信するだろうから、多分、その発言を聞いて中国国内に「日本を訴えろ!」という声が沸きあがることが予想される。ないしは逆に、裁判では勝ち目がない!という情報が中国国内に漏れ伝わってもそれでも良い。どちらにしても、理屈での物事を考えるようになってくれれば、「法の下の支配」の土俵にて議論が可能になるのである。
ジャイアンの様に、理屈もへったくれもなく、一方的に「俺の物!」と言われると返す言葉がないが、理屈を捏ねるなら「法の下の支配」を合言葉にフェアな戦いを進めることができる。これは日本の望むところであり、決して悪い話ではない。相手が橋下発言で調子づいて隙を見せている今がチャンスなのである。
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さて、この手の問題への対処法には共通の処方箋がある。それは過去のブログ、「次のキーワードは『法の下の支配』」でTPPについて書かせて頂いたように、キーワードは「法の下の支配」である。
まず、現在、韓国と日本の間には竹島という領土問題の紛争地が存在する。この紛争地という表現は、実効支配をしている側からすれば拒否するのが定石であり、係争地であることを認めれば自らの立場として譲歩したことになる。だから、自ら進んで係争地と認めることは常識的にはしない。しかし、問題を解決させようという気持ちがあるのであれば、これまた常識的には裁判で決着を付けるか、軍事力ないしは経済力でねじ伏せるかの、ふたつの選択肢しかない。前者を選択する場合、これが国際紛争であれば国際司法裁判所に提訴するのが筋だろう。日本は韓国に対して、竹島問題を国際司法裁判所に提訴することを狙っているが、多分、(政治的な思惑・下心がないという条件下では)中国、韓国を除けば世界中のあらゆる国家が裁判で決着を付けることを支持してくれるだろう。韓国が歴史問題を主張したいなら、この国際司法裁判所の裁判の中で歴史問題を主張すれば良い。
慰安婦問題も同様で、日本からの国家賠償を求める韓国であるが、日本側の主張は日韓基本条約の第2条に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とあり、これを根拠に国家としての賠償を拒否している。これはもっともなことで、交通事故の示談をした後で、「示談時には痛くなかったが、後で腰も痛くなってきたので、追加でもっと金をくれ!」と言われて素直に払うことは自殺行為である。だから、この様に言われたら誰もが裁判に訴えるのである。だから、請求している側が韓国なのだから、韓国がそれに納得できなければ日韓基本条約の第3条に規定があるように第三国ないしは第三者機関への仲裁を求めれば良いのだが、これまた第3条を理由に「外交上の経路を通じて解決する」と主張し、第三者機関の関与を拒否している。つまり、一方的に日本が譲歩することを要求しているのである。しかし、これまでも多くのケースでそうだったように、日本と韓国の主張ははっきり言ってかみ合うことはない。キリスト教徒とイスラム教徒が、「どちらの神の方が真実の神か?」を競い合っているように、前提として立つべき土俵が異なるのである。議論がかみ合わない以上、両者の合意で着地点を求めるのは不可能であり、次のステップに進むしかない。それは、やはり国際司法裁判所のようなところでの裁判に託すしか答えは得られない。なお、日韓基本条約では第3者として当事国の者を仲裁者に含めないこととしているから、例えば雅子妃殿下の父、小和田亘氏などが裁判員となることを排除しなければならないが、既に昨年、裁判所長は退任しているから、この辺の問題は回避されるだろう。もし不服なら、完全に小和田氏が裁判官すら退任してからでも良いだろう。韓国にしても、国際社会で生きていく以上、何処かで国際司法裁判所は利用せざるを得ないから、自分に都合の良い時だけ利用し、自分が都合が悪いと利用しないというのは無責任国家の烙印を押されることになる。
これを中国に当てはめればどうだろうか?日本は自ら進んで尖閣問題を国際司法裁判所に提訴する必要はないし、その様なことをしてはいけない。しかし、世界に対して以下の様に情報発信することは有益なはずだ。
「我々は民主主義国家として、法の支配を支持する。我々日本の施政下にあることが明らかである尖閣に対し、その状況に異を唱えたいなら、どうぞ、国際司法裁判所に提訴して下さい。我々は逃げも隠れもしない。提訴されたら、裁判で正々堂々と戦う。」
つまり、「日本が尖閣を盗んだ!」と言うなら、「それを国際司法裁判所に訴えるのが筋じゃないですか?訴えもしないで、そこら中で日本を貶めるような発言をするのはフェアじゃないですよ!」と、地道に訴えれば良い。
幸いにも、中国は今回、ポツダム宣言、カイロ宣言などの根拠を口にしている。つまり、「ちゃんと根拠があるんだよ!」というスタンスを取っている。カイロ宣言など引き合いに出すと説得力がありそうな気になるが、要は日清戦争の終結前の1995年の尖閣の沖縄編入の妥当性と、その後に日本の支配下に安定的に置かれていたことが確認できればカイロ宣言の対象とする「第一次世界大戦により占領した太平洋の全島」、「日本が中国領土から奪った領土」などには該当しないから、カイロ宣言が切り札となるようなことにはならない。しかし、良く知らない中国国民は裁判でも勝てると確信するだろうから、多分、その発言を聞いて中国国内に「日本を訴えろ!」という声が沸きあがることが予想される。ないしは逆に、裁判では勝ち目がない!という情報が中国国内に漏れ伝わってもそれでも良い。どちらにしても、理屈での物事を考えるようになってくれれば、「法の下の支配」の土俵にて議論が可能になるのである。
ジャイアンの様に、理屈もへったくれもなく、一方的に「俺の物!」と言われると返す言葉がないが、理屈を捏ねるなら「法の下の支配」を合言葉にフェアな戦いを進めることができる。これは日本の望むところであり、決して悪い話ではない。相手が橋下発言で調子づいて隙を見せている今がチャンスなのである。
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