けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

削除されていない韓国版、英語版「原爆は神の懲罰」記事の意味すること

2013-05-26 11:44:10 | 政治
先日のブログ「神様は原爆など落とさない!」について、その後わかったことを今日は整理しておく。

まず、「原爆は神の懲罰」問題について、私の好きな「ぼやきくっくり」さんのページにも詳しい記載があり、そこから色々遡ってみた。まず、例の中央日報の記事は既に削除済みだが、「ぼやきくっくり」さんご指摘の様に中央日報の記事の魚拓が下記に残っている。

中央日報2013年5月20日(魚拓)「【時視各角】安倍、丸太の復讐を忘れたか(1)
中央日報2013年5月20日(魚拓)「【時視各角】安倍、丸太の復讐を忘れたか(2)

ここで、全文を読むことが出来る。ちなみに、日本版サイトでは削除されているが、韓国語版と英語版サイトでは堂々と掲載され続けている。

中央日報2013年5月20日(韓国語版)「【時視各角】安倍、丸太の復讐を忘れたか
中央日報(Korea JoongAng Daily)2013年5月20日(英語版)「Abe tempts God’s vengeance」

この二つの削除されない記事が存在するという事実が意味している背景には、非常に恐ろしいものがあると私は感じている。それは、我々日本人はこの記事を読んで、「流石に、常識的な精神を持った人であれば、こんな記事を読んで嫌悪感を持たない人はいないだろう!」と思うのだが、実際には韓国人にはウケが良いということを暗示している。さらには、英語版にもこれが掲載され続けるということは、欧米の韓国系住民もこの記事を読んで違和感を感じないということである。これらのサイトにはTwitterやFacebookのおすすめボタンがあるが、この「おすすめボタン」の数を見れば、韓国語版で279、英語版で653となっている。どうやら、違和感を感じないどころか共感を覚える人が結構いるということである。

また、原文を読んで思うことは、ここでの内容はこれまでの報道の通りであるが、これまでの報道の中には若干抜けた感じがあることのひとつが、「著者が強烈に『安倍、憎し!』という怨念でこの記事を書いている」ということである。英語のタイトルを見るとこの著者の気持ちがさらにダイレクトに伝わってくる。「Abe tempts God’s vengeance(安倍総理が『神の復讐』を誘惑する/安倍総理の最近の言動が、神が、さらに日本に復習をしてやろうという気持ちとなる誘惑をしている)」というタイトルは、文末の「彼の行動は彼の自由だ。だが、神にも自由がある。丸太の寃魂がまだ解けていなかったと、それで日本に対する懲罰が足りないと判断するのも神の自由だろう。」に直結する。文脈から「懲罰」とは「(神の意志による)原爆投下(ないしは原爆に匹敵する爆撃)」と分かるから、その様に読み替えると「日本に対する“原爆の投下”が足りないと判断するのも神の自由だろう」というのが著者の言いたいことである。そして、安倍総理が「神がその様な行動をしたくなる誘惑を導いた」という意味である。つまり、「なんなら、もう2、3発、原爆落したろか!」ということである。

最近は北朝鮮が核開発を行い、韓国世論は微妙な空気を帯びている。「韓国も核を持とう!」とか、「核を持った北朝鮮と半島統一すれば、韓国は濡れ手に粟で核を手に入れることが出来る」というニュアンスで、シンプルに「北朝鮮の非核化」には向かっていない。ドサクサに紛れて核を手に入れれば、対日本で優位に立てるという魂胆だ。一方で、そのドサクサで日本が核を持つことを非常に恐れている。韓国での核の保有のハードルに比べて、日本のハードルは1万倍ほど高いから、日本国内でも「核の議論はしても良いのでは」という形で、「隣国が核で日本を脅すなら、いつかは核を持ってしまうかも知れないよ!」と、実際には核を持たずにブラフを効かせる戦略が日本では一般的である。多分、(実際のところは知らないが)日本で最も右寄りの政治家との評価であろう石原代表ですら、実際に核を持つと日米同盟に影響があるから、原子力技術の維持により核開発の能力を保持しながら、(核の議論をすることでブラフを効かせ)実際には核を持たずに米軍の核の傘の下に入ることを志向している。石原代表ですら望まない核の保有を日本が選択する訳がない。しかし、韓国国民はいつの日か、日本と韓国が核で対峙する事態をある程度のリアリズムを持って肌で感じ、その時には確実に韓国が先に核を保持して優位に立つということを望んでいるということを、この記事は示しているのだと思う。だからこそ、ちゃんと韓国国民には指示さえるはずだと感じ、韓国版や英語版の記事の削除はないのである。

ちなみに、この「神の懲罰」の記事の根拠は非常に貧弱である。著者がこの記事を書くに至ったきっかけは、安倍総理が自衛隊の訓練機に搭乗したとき、その期待に書かれていた機体番号が731であったことを、「731部隊」の肯定と断定したからである。しかし、この様な記事を読むと当然ながら誰しも疑問に思うことがある。それは、その主張が正しいか間違っているかが判定できる簡単な方法があり、その方法をその記者が確認したのかという疑問である。簡単な方法というのは、その訓練機の機体番号が不自然に意図的に仕組まれた731という番号であったのか、それとも偶然にその番号になったのか?を確認することである。常識的に考えれば、この手の練習機には通し番号が付けられているだろう。車のナンバープレートと同じようなものだから、連番でつけて行けば何処かで731番に辿り着く。その番号が連番で与えられたものならば、当然のごとく「偶然」と断定できるし、ひとつだけ不自然につけられたものであれば「必然」的な意図が裏にあることになる。ネット上で調べてみると、この問題の答えを見つけることが出来、答えはこの自衛隊基地には他にも720番、725番~730番の機体番号の訓練機が存在している。その次の番号が731番だから、そこに731号機が存在するのは作為など、変な意図がそこに入り込む余地はない。日本人は誰もが「おいおい、そう来るか!」と思ったはずだから、これは客観的にみれば「偶然性が高い」という証拠だと考えられる。常識的に考えれば、この様なケースではカメラ映りの良い最も整備された綺麗な機体を報道用に使うだろうし、安倍総理がご指名でその機体まで選ぶとは考えられない。そこまで暇ではない。だから、この記事の背景にはこの記者の妄想が根底にあり、その妄想に原爆の被害者の苦しみや悲しみは踏みにじられたのである。

この様に考えると、この問題は少なくとも「社としての意見ではない」とか、「多くの韓国民がどの様に考えている訳ではない」とかの弁解で許してはいけない。もっと議論することで理解を高める努力をすべきである。今回の件、橋下発言などは、そのためには良い機会である。

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