けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

夫婦間で小切手を発行してどうする!(「年金交付国債」の発行)

2012-02-10 21:58:34 | 政治
政府は今日、年金の国庫負担による不足分の2兆6千億を賄うための財源として「年金交付国債」発行を盛り込んだ国民年金法改正案を閣議決定し、国会に提出した。

最初は意図が良く分からなかったが、よくよく調べると事態はかなり深刻なようだ。政府は昨年の8月、2012-14年度の財政運営戦略を定めた中期財政フレームを閣議決定しており、この中で「12年度の新規国債発行額は11年度当初予算の水準(約44兆円)を上回らないものとするよう全力を挙げる」と明記していた。つまり、これまで「やるやる詐欺」と言われて財源を発掘できずに殆ど出来ずじまい、ないしはやるにはやったが借金を垂れ流して自転車操業状態の政策が多かったことを反省し、「流石にこれは守らないと国民に対して示しがつかない」と考えて実現性を考えに考えた上で張った借金の予防線に対し、明らかな「白旗降参」であるにもかかわらず、負けを認めずに済むための方便を必死になって考えて、その考えに考えた末の「Good Idea!」として、満を持して出した答えがこの「年金交付国債」なのである。

この交付国債というのはネットで調べてみると、通常の国債とは異なり、発行した瞬間に現金に化けるものではなく、受け取った側が必要になったときにその都度現金化できる債権であり、現金化されなければ会計処理的にはその金額を計上する必要がなく、したがって一般会計の予算としても計上する必要がないとのことである。つまり、この債権を年金積立金を運用する独立行政法人に引き受けてもらい、その代わりに年金積立金を取り崩して年金給付に充てることになるが、引き受け手からすれば将来は現金化できる訳なので論理的に積立金が目減りしたわけではなく、一方でまだこの時点で現金化されていないので、政府の借金が確定していないから一般会計に計上しなくて良いということである。

例えて言えば、こんな状況だろう。ある家庭で、新車を購入したくなったとしよう。購入代金の260万円を捻出するのに頭を痛めた夫婦が相談し、旦那さんが良いことを思いついた。「そうだ、俺が260万円の小切手を切るから、その小切手を担保に俺に260万円くれ。その金で車を買うから!」こう言って、奥さんも喜んで子供の学費として積み立てていた預金から260万円を引き下ろし、夫婦揃ってディーラーに車を買いに行った・・・。まさに、こんな状況なのだろう。確かに、奥さんからすれば、その小切手を換金すれば260万円は補填できる。だから、決して預貯金は目減りしていないことになるが、結果としてその小切手を現金化する際にはそれを穴埋めする財源が必要になる訳だから、夫婦で納得しても単なる自己満足であり、対外的には純粋に借金が膨らんでいるのは疑う余地もない。

だから、意図的に誰かの目を欺くのが目的の便宜上の措置であるのは間違いない。これを称して今月1日の衆院予算委員会で小池百合子氏が「オリンパスと同じ、粉飾決算だ!」と政府を責めたところ、安住財務相は「オリンパスと比較するのは適当ではない。粉飾との言い方は納得行きかねる」と答えたそうだ。多分、安住財務相の言葉を翻訳するならば、「『殆ど粉飾』というのは反論できないが、狭義の粉飾決算の定義と照らし合せればこれに該当しない。また、オリンパスは滅茶苦茶酷かったので、流石にオリンパスとは一緒にしないでくれ。それよりはましだよ。」ということだろう。

その言葉の意図することは分かるが、「だから、いつも民主党はそうじゃないか!あれだけボロクソに言われて、流石にこれではマズイと感じて中期財政フレームを閣議決定したんだろ。それすら、粉飾まがいのことをして真顔で言い訳して、これ以上何を信じてくれと言うのか!」との声がどこからも飛んでくるのは目に見えてる。本気で信頼を取り戻したいのであれば、せめて過ちを認めて謝罪する精神ぐらいは持って欲しい。

私は今回のニュースで、民主党という党は「何があっても必ず過ちを認めない党」であることを公言したのだと理解した。もし違うなら言い訳を聞いてみたい。

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喜んでいる場合ではない!

2012-02-09 23:59:38 | 政治
先日、普天間問題と切り離して沖縄海兵隊のグアム移転のニュースが流れた。「普天間の固定化につながる」とか、「結果オーライで、沖縄からの米軍縮小になってよかった」とか、色々言われている。

その細かい点については言われている通りの部分があり、少なくとも沖縄の負担軽減には役立っているのは間違いないようで、手放しではないにしろ多くの人が好感を持って歓迎している。しかし、私はこのニュースを聞いて何とも暗い気持ちになりたまらなかった。その理由は、あのニュースは米国(ないしは世界)から「日本よ、お前の言うことなどもう信用できん。これからは、お前の言うことなど聞かないで勝手にこっちで決めさせてもらう!」とナイフを喉元に突きつけられたに等しいと感じたからだ。

自民党政権時代も、政治が機能できずにそれなりに末期的な状態となっていたのは確かではある。しかし、それでも「世間様に顔向けできない」ということはしないという常識は持っていたような気がする。しかし、政権交代時に鳩山元首相がパンドラの箱を開けてしまい、それに続く首相も態度を改めようとはしない。外交の基軸となるべき日米同盟にしても、鳩山元総理がぶち壊した普天間問題を、全く持って興味のかけらも示さない菅前総理は問題外にしても、少しは常識の通じるはずの野田総理ですら、察するに「ねじれ国会故に現実的な総理在任期間は限られており、その期間内では(私の使命である)社会保障と税の一体改革(≒消費税増税)だけに絞る」と覚悟を決めたらしく、ズタズタの日米関係を修復しようという熱意が全く見えない。日米同盟の鍵を握る防衛相も、ド素人の一川前防衛相に続けて『超』ド素人の田中防衛相を任命している。民主党には何人も防衛通がいるのだから、何故、彼らを起用しなかったのかと聞きたい。

とにかく、国際的な場での発言が全く国内の議論を経ずして行われることが多く、だから、総理や大臣が変れば方向性が180度変ったりする。思いつきで、自分の好みを一方的に国民に語りかけ、「内閣総理大臣が、政権の方針を表明した」のかと思えば「個人の気持ち」だと言い訳する。総理も任期が短いが、大臣はそれ以上に短い。諸外国からすれば、誰を相手にすれば責任ある対応が期待できるのか分からないし、実際、責任者が責任を取る気が微塵もないことを前の2代の総理は行動を持って示してしまった。この背景には、思いつきの行動を法律に絡めて実行に移すことに、民主党が非常に疎いということもあるのだろう。法律に弱い政権与党というのは笑うに笑えない。

多分、人間関係で友人からこの様な無責任な仕打ちを受けたら、「何かあっても、こいつには相談せずに勝手に決めてしまえ!」と思うはずだ。今回の様に国家間であからさまにそれを態度で示すことは非常に稀である。おりしも、ロシア軍機5機が日本上空に飛来し、挑発行為をしてきたというニュースも伝わってきた。諸外国は、虎視眈々と日米同盟の綻びを狙っているのである。人間関係でも、弱い相手にちょっかいを出し、「ここまではやっても怒られない」というボーダーを少しずつ高めていこうとする人がいる。中国・ロシアも、日本に隙ができた瞬間にこの様な既成事実を作り上げ、その後に同様のことをしても日本が手も足も出せないようにしていくのである。尖閣問題にしても、中国漁船が尖閣の周りで漁をしても何もできない既成事実の積み重ねから、少しづつエスカレートさせてあの様な事態になった。であれば、また中国が次のステップにエスカレートしないという保証はない。その時、米国務長官が「尖閣は日米同盟の対象外」とでも発言したら、一気に中国は尖閣に上陸してくるかも知れない。なにせ、「尖閣は中国の核心的利益」と断言しているのであるから、チベットに対する強硬な態度と同レベルの行動だって十分に想定内である。そうなったら、二度と元には戻れない。戻るためには戦争が必要になるのである。

だから、そんな今だからこそ、世界に対して誠意ある態度を日本は示さなければ成らない。まずは米国に対してだろう。第1歩は田中防衛相の更迭かも知れない。

総理の決断を求む。

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政治家用語の標準化の提案

2012-02-08 21:58:58 | 政治
以前、枝野経産相が官房長官だった菅内閣の時代に、「ただちに、人体に影響を与える事態ではない」とか「必ずしも、健康に影響が出る放射線量ではない」とか発する言葉が話題になった。一昨日のニュースでも、民主党の最低年金制度の導入に際し、国民年金加入者の月額保険料が現在約15000円から制度移行後は50000円に膨れ上がることに対し、小宮山厚労相が「必ずしも、損する訳ではない」と弁明していた。

毎度、聞くたびにトホホな気分にさせられる政治家特有の言い回しである。私は提案したい。政治家(大企業の経営陣などの責任ある人々も含む)の公の発言において、この様な曖昧な表現を禁止するルールを徹底することを・・・。

具体的な提案内容はこうである。

まず、マスコミや有識者を中心に、これまでに政治家達に多用されてきた言葉遣いを列挙するのである。そして、その表現を常識的な日本語で解釈した場合の意味と、政治的な場面で用いた場合の真の意味を明確にするのである。そして、その対比表をマスコミで公開すると共に、政治家や企業の経営陣に配るのである。仮に配る冊子の名称を『誰にでも分かる、政治家用語の基礎知識』としておこう。

この政治家用語には分かり易い例がある。以前、政治家の「前向きに善処する」という言葉を英訳すると、英語(を翻訳した日本語)では「その件に関しては、何もするつもりはない」という意味になることが話題になった。だから、枝野前官房長官の「ただちに、人体に影響を与える事態ではない」という発言を解釈すると、常識的な日本語としては「危険ではないから安心しなさい」と聞こえるが、真の意味は「長期的には危険であるから早めに対処すべきである」である。小宮山厚労相の「必ずしも、損する訳ではない」という発言も、常識的な日本語としては「損する訳ではないから安心しなさい」であるが、真の意味は「大多数の人は損をするが、例外的には損をしない人もいる」である。小宮山厚労相の立場に立ってもう少し丁寧に言えば、「今までと比べて、支払う額が3倍以上になっても受給額は大して増えないので損していると捉えるのが常識的な判断ではあるが、結果的に少しは受給額は増えるので、『やっぱり良かった』と感じることになるかも知れないので、損したとは一概には言えない」と理解して欲しいと言われるかも知れない。しかし、その差額を個人年金にでも積み立てておけば、絶対、そっちの方が沢山の金額を受給できるようになるので、やっぱり損をしているのは事実である。あまりにも具体的な事例の解釈までは手が及ばないが、大体の傾向的な理解は整理してまとめることができるであろう。その結果として『誰にでも分かる、政治家用語の基礎知識』を作成するのである。

さて問題はその後である。例えば、国会答弁や記者会見である政治家がこの様な表現を使ったとする。すると、新聞記者や野党は次の様に質問する。「あなたの発言は、『誰にでも分かる、政治家用語の基礎知識』の○×ページの△行目に書かれている通り、・・・(中略)・・・という意味に理解されます。そして、その冊子には、『この様な誤解を与える目的でこの表現を使用している危険性が高いので、騙されてはいけない』と書かれています。この理解で宜しいですか?」こうなると、政治家は曖昧な表現を避けて、多くの言葉で語る必要に迫られる。都合の良い曖昧な表現を避けていると、必然的に、真の意味が透けて見えてくる。もはや、国民の誤解を狙った発言はできなくなる。

ここまで、子供じみたことをしなければいけない理由は、最近の政治家は言葉が達者になり、記者からの質問に対して「私の発した言葉の通りです。それ以上でも、それ以下でもありません。」といなす術を身に付けている。しかし、その様な言い訳が通用するのは、その言葉の意味として、常識的な日本語としての意味と、それと間逆の政治家用語としての意味のどちらを指しているかが不明瞭であり、本音はミエミエでもその尻尾をつかめないからである。であれば、政治家用語の意味を『標準化』してしまえば良いのである(『標準化』とは、何らかのルールを(世界)標準として定めましょうという活動を指す言葉である)。使用する人と時と場所で意味が異なる利用方法を禁止し、単一の理解に使用方法を統一するのである。そして、それを明文化したものを普及させ、野党の誰かから政府に「質問主意書」にて「国民へのミスリーディングを防止するため、閣僚は『誰にでも分かる、政治家用語の基礎知識』のガイドラインに沿った答弁をすべきだと思うが、政府の見解を求む」と問うのである。曖昧な回答であれば、その時の政権は曖昧さで国民の目を欺こうというスタンスであることが明らかになるし、明確にガイドラインに沿った発言をすると回答が得られれば、もはや逃げられない。

何度も書いているが、堕落した政治を再生させるための第一歩は「責任の所在を明確にする」ことから始まる。そのためには、自分の言った発言をうやむやにはさせない工夫が必要である。もはや、小学生のレベルから、物事を改めないといけない現実に目を向けるべきである。

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イザという時のための尊厳死の議論

2012-02-07 20:37:26 | 政治
自民党の石原幹事長の「胃ろう」患者への「エイリアン」発言に対し、小宮山厚生労働相が「言葉遣いは慎重に」と噛み付いた。上辺の議論としては至極ごもっともな発言であり、言葉を武器とし戦う政治家として、石原幹事長の発言は何とも言葉足らずの失言と言われても仕方がない発言だった。しかし、ここで言葉狩りをしていても生産性はないので、もう少し違う議論をしようと思う。

別に石原幹事長の肩を持つわけではないが、何となく、云わんとしている事は予想できる。現在、終末期医療が進歩し、昔であればとっくに死んでいたであろう患者が死なずに延命している。年齢で切るのは不適切ではあるが、議論のたたき台として乱暴に言わせてもらえば、例えば20歳そこそこの若者が事故か病気で自力で生き続ける能力を失い、「胃ろう」や人口心肺などで命を繋いでいたとする。分かり易く言えば、意識はちゃんとあり、何かを聞けば意思表明ができる状態だったとする。彼らの両親からすれば、将来の医術の進歩も勘定に入れた上で、少しでの長く子供に生き続けて欲しいと願うであろう。一方で、80歳を過ぎたお年寄りが、老衰や病気などにより、同様に自力での生存ができない状況になったとする。多分、本人からすれば非常に多くのケースにおいて「これ以上、苦しませずに死なせてくれ」と尊厳死を望むだろうし、その家族もその意思表示が確認できれば、早く安らかにしてあげたいと思うだろう。

たまたま具体的な年齢を上げたが、実際にはケースバイケースで、若くても殆ど再生の余地がなく、一生を半ば植物状態で生き続けなければならないとなれば、若者本人が尊厳死を希望するかもしれないし、高齢でも本人、家族共に生き続けることを望むかも知れない。だから、年齢以上に個別の事情が優先するのは間違いないが、過度に発達する終末期医療と尊厳死の問題を、少しは正面切って議論すべき時期が来ているのかも知れない。人間の尊厳に関する議論は、これまでタブーとして多くの場合に議論が避けられてきたが、今後、更に終末期医療が進歩して、殆どの人が最後は生命維持装置をつけて生活するという時代が来ないとも限らない。であるならば、今から治療を拒否する権利としての尊厳死について、国民のコンセンサスが得られるような議論の場を作り上げるべきである。多分、日本国内でコンセンサスが得られたとしても、諸外国からは非難されるかも知れないし、世界的な議論に広めていく必要もあるかも知れない。

ネットで検索すると、安楽死について先進的なオランダでは、医療機関の受け取る保険料が登録された患者の人数に比例する制度になっており、安楽死が早くから議論された背景には、オランダでは病院側が高額な医療費がかかる治療を好まないという事情もあると指摘されていた。つまり、金のことを考えだすと医療機関も安楽死(尊厳死)に積極的になるということが批判されている。日本においても社会保障費の伸びは年々1兆円とも言われ、多くの部分で高齢者の医療費が負担として重くのしかかっている。今後、高額な終末期医療が財政を更に圧迫する事態は予想できる。金に困ったから・・・という動機は不純かも知れないが、予測可能な好ましくない事態に目を背けずに向かっていく勇気を、政治家・マスコミ(そして一般国民も)は持たなければならない。仮に尊厳死を容認する制度を導入するにしても、特に制度が定着するまでの間(例えば10年間)は、尊厳死が認められる条件(ハードル)をかなり高く設定する必要があるだろう。また、そこまでハードルを高くしても、多分、議論して法律に落とし込むだけでも10年以上は最低かかるだろう。だから、イザ、事が逼迫するかも知れない20年前には議論を始める必要がある。

石原幹事長がどの様に考えてあの様な失言を発したのかは定かではない。しかし、言葉狩りよりも、生産的な方向に繋げていくことを提案したい。望まない人に尊厳死を強いるのはあり得ないが、望む人に対しても許さないのかどうか、石原幹事長の記事を読んで考えるようになった。答えは、遥か彼方にあり、私にはまだ見えない。

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「この指とまれ!」の前に問題を切り分けろ!

2012-02-05 20:56:34 | 政治
小沢一郎氏が「野田総理が増税法案を採決にかけたならば造反する」ことを明言するとの報道が流れてきた。

何ともこの人は、幾つもの政党を壊し、日本の政界に揺さぶりをかけるのが好きらしい。宮沢内閣時代の不信任案のときもそうだが、造反するということは当然ながら離党をすることを前提としているが、離島は否定しているというから訳が分からない。まあ、この人のことを分かろうという気もないのだから別にどうでも良いのだが・・・。

ところで、今回の増税に関して、増税反対者には大きく分けてふたつのタイプがある。これを忘れてはいけない。ふたつのタイプとは、「今の日本において増税はいつかは避けて通れない道だから、増税そのものには賛成だが、景気が低迷しているこのタイミングは明らかに常軌を逸している」というタイプと、「増税なんてチャンチャラおかしい。ギリシャ危機など日本は無縁なのだから、無駄をなくせば増税なんて全く必要ない」というタイプだ。両方とも、野田総理の増税を阻止しようと必死に共闘しようとしているように見えるが、それは全くもってお門違い。歴史の中で何度も誤った道を、また同じように繰り返してはいけない。

思えば、自民党の安倍政権時代に、道路特定財源の一般財源化を試みて失敗したが、それにも反対派にはふたつのタイプがあった。道路特定財源で道路や箱モノを作りまくり、その利益を地元に還元することで票を集めていた族議員からすれば、「自分の身分を確保する上で死活問題だ」ということで反対する。もちろん、正面切って、そんな利益誘導を公言する人はいないだろうが、本音はその様な立場の人は明らかにいた。一方で、もうひとつの考えもあった。元々は受益者負担の原則で、自動車を利用する人が、自分が享受すべき何かのために負担した税金なのに、それを一般財源化して他の用途に利用するのは、原理原則に反して「法体型的に美しくない」という立場だ。これらの人の多くは、道路特定財源がジャブジャブの現状を良しとは思っていない人が多いのだろうが、しかし、例えばガソリンの暫定税率の廃止とか、別の形で対処するのが本来のスジであるという考え方である。そもそも論に照らし合せれば、この人達の考え方はもっともであるが、じゃあ、暫定税率を廃止する代わりに消費税を上げましょう・・・と言って、世間がそのそもそも論を認めてくれるかと言えば、多分、そのようにはならない。だから、中間的な解として、一時的ではあるが緊急避難的に道路特定財源を一般財源化するという道を経由するということを試みたのである(と私は理解している)。しかし、結局、こららのふたつのタイプが共闘したがために、道路特定財源の一般財源化は失敗し現在に至っている。しかし、後者の方々が現状に満足しているのかと言えば、それは大分疑わしい。

他にもあった。郵政民営化の問題である。小泉元総理は、郵政マネーが財政投融資にジャブジャブに流れ、無駄な箱モノがいっぱい作られている現状を憂いて、それを断ち切るひとつの方法として郵政民営化を選んだ。しかし、その反対者の中には、財政投融資に無駄な金が流れる問題は大いに認識しているが、全国津々浦々の村々の郵便局の維持は、地域の住民のために必要であるから反対・・・という人も多かったはずだ。しかし一方で、郵便局を取り巻くネットワークが集票マシンとなっている人々にとっては、この集票ネットワークを守ることが自分の身分を守る上で死活問題と考えているから必死なのである。岡田元代表時代の民主党は、郵貯の預入限度額を500万円に減額すると言っていたのに、国民新党に振り回されて鳩山元総理は2000万円に引き上げると言うことになった。多分、岡田代表時代は方法論は違えども、根本の考え方には小泉元総理と共感するものがあったのだと思う。しかし、限度額引き上げという考え方は、小泉元総理に破壊(実際には破壊されていないが)される前の郵便局を復活させ、またまた自分の身を安泰にしようという考えが根底に流れている。まあ、それ以外の事情が色々あるのは分からないでもないが、隠せない下心がモロ見えの状態であり何を言っても信用できない。このような状況を、郵政民営化に反対した議員の人達が快く思っているかと言えば、多分、「それは違うだろう!」と思っている人も多いはずだ。

話は色々逸れてしまったが、この様に、ある議題に対して「賛成」「反対」を問うた時に、「反対」の側に加担しながらも、根底にある考え方は「賛成」に近いということはよくあることである。しかし、十把一絡げに「反対」としてしまうがために、結果として本意でない状況に導いてしまうことは歴史的に多いのだ。

このような考えのもとに今の消費税増税論議に立ち返るならば、まずは「長期的な視野に立って、そう遠くない将来に消費税増税は必要か?」という問いを投げかけ、「賛成(必要)」という人たちを結集して方向性を定めながら、適切な時期をその後で議論するのが正しい考え方だと思う。

私の提案は、消費税増税法案自体は成立させながらも、法案の付帯決議(素人なので、正しくは別の表現かもしれませんがご容赦を)などで、「ただし、消費税率の増加の実施時期(法律の施行時期)において、その時の経済状況に鑑み、国会決議によりこの開始を1年単位で延期させることを可能とする。」というような文言を加え、大きな方向性としては成立する法案に記載の施行日(当然、未来の日付に設定)に増税を実施する意思を示しながらも、緊急避難的な安全ボタンは残しておく仕組みで事に望むという方法である。このようにすれば、増税反対派の二つのタイプを明確に整理して対処することが可能である。さらには、その後に解散総選挙となったとしても、その際に「甘い誘惑の罠」を仕掛ける人と、「厳しい現実」をしっかり見つめる人を区分けすることが出来るのだと思う。

思ったとおりの議論を進めるには戦略が必要である。だから、問題を明確に切り分けてから「この指とまれ!」と声をかけるべきである。

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自民党よ、総裁選を前倒しにしてやってくれ!

2012-02-04 11:15:09 | 政治
誰もが疑わないことであろうが、今年中に解散総選挙があり、そして今まで以上の政界再編が行われることが予想される。その台風の目は大阪維新の会の橋下大阪市長であったり、石原新党で話題の石原都知事である。

橋下市長の政策や考え方は広く知られるようになったが、伝え聞く石原新党の政策はかなり保守色の強い政策で、非常に最もな共感できることが多いが、民主党の甘い言葉(バラマキ型のマニュフェスト)に熱をあげた国民には耳に痛いことが多い。日本の政治家特有のオブラートにくるんだモノの言い回しもしないし、橋下市長ですら大阪維新の会の候補者擁立のために遠慮している個人的な思想・信条をモロに全面に押し出しているので、アレルギー的な反応を示す人も多いだろう。

この様に考えると、石原新党結成を国民新党の亀井静香氏が主導しようとしていたが、実際には気が付けば国民新党や民主党の小沢派などは決して加われない、強固なコテコテの保守勢力の結集となるに違いない。自民党ですら、民主党ほどではないが右から左、タカ派からハト派が揃っていたが、大分、統計的な意味での「分散」の非常に小さな分かりやすい政治集団が出来上がるような気がする。そこには、多分、自民党の中でも安倍晋太郎元総理などが加わり、自民の中でも再編が行われるような気がする。ここまで来ると、大阪維新の会にしても、地方分権という分野でのパーシャル連合と、住み分けされた一部地域での選挙協力程度に、両者の協調の範囲は限定されるだろう。

この様な状況では、何処かの政党がずば抜けた勝利を収めることにはならないだろうから、多分、多くの政党によるガラス細工の連立となり、石原都知事を総理大臣に担いで連立政権を樹立することは不可能に近いだろう。もし、石原新党を中心とする政権が樹立されることになっても、総理大臣はきっと平沼赳夫氏ならざるをえない。以前、自民党にも総(理)総(裁)分理論があったように、石原新党の代表が石原都知事でも、石原氏が総理大臣になる必要はない。そして、強いリーダシップを発揮するため、副総理、外務大臣、防衛大臣など(複数兼務?)で石原都知事が入閣するというシナリオである。

ただ、私は振り子の振幅が大きく振れすぎることは日本のためにならないと思うから、そのもう少し手前のところで何とか落ち着いて欲しいとも思う。つまり、石原新党や大阪維新の会が大きな勢力を持とうと、石原都知事が重要閣僚になろうと、それは非常に望むところではあるが、その軸となるものはせめて自民・公明辺りでないと、その次の選挙での振り戻しがまた怖いものを見ることになりそうで心配なのである。だからこそ、次に上げることを私は切にお願いしたい。

それは、「4月までに自民党の総裁選を繰り上げて実施して欲しい」ということだ。

今、解散総選挙があるとすれば6月とか8月という説が最もらしく語られている。しかし、仮に6月に選挙が行われるとすれば、その3ヶ月後には民主党も自民党も党首選を迎えることになる。民主党に関して言えば、一昨年の6月に鳩山前総理が辞めて菅内閣が成立したたった3ヶ月後、本気で総理の首をすげ替えるかも知れない民主党の代表選挙を内輪でやった例がある。結局、たった3ヶ月で総理が変わることはなかったが、小沢元代表は本気で総理の椅子を取りに行っていた。同様のことが次に起きない保証は何処にあるのであろうか?この状況は自民党も同様である。例えば6月に解散総選挙があり、自民党を中心とした連立政権で谷垣総裁が総理になったとしよう。きっと、3ヵ月もすれば谷垣総裁の決断力のなさに痺れを切らした人たちが、総裁選での続投を認める訳がない。実際、そこで代表が交代することになるかどうかは微妙であるが、そんなゴタゴタはもう2度と見たくはない。しかし聞こえてくる声は、谷垣総裁は「9月までに解散総選挙に追い込めなければ自らが総理になれるチャンスがなくなる。もはや背に腹はかえられない。なりふり構って居られない。」ということのようだ。天下国家のことよりも利己的な都合が大事なわけである。こうなると、選挙になっても自民党などに政権を任せられるか・・・ということになる。

細かい事情は横に置いたとしても、新しく内閣総理大臣になる人には、少なくとも3年間(ないしは衆議院の任期の4年間)は日本のリーダーとして君臨できる人になって欲しい。そのためには、自民党も民主党も、党則を変えるなり代表選を繰り上げるなりなんなりして、党として、システムとして、安定政権をサポートする体制を整えて欲しい。

サミットのたびに「初めまして!」と挨拶する日本の総理をもう見たくはない。

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沖縄防衛局長と公平な判断

2012-02-03 21:17:51 | 政治
何かと話題の防衛省であるが、沖縄防衛局長の選挙に向けての講和が問題となっている。マスコミや野党の皆さんは鬼の首を取ったような勢いで盛り上がっている。しかし、ちょっと待って欲しいのである。ここではふたつの大きなポイントが忘れられている。その点について今日は議論する。

まず、ひとつ目のポイントは、公平な判断についてである。最初に断っておくが、沖縄県民の思いや感情を考えて、誰かを吊るし上げても生産性はないので、丁寧に公平性を考えてみる。最初に今回の局長の行動が法に抵触するかどうかであるが、私の予想では、この局長は前局長が更迭されて再任されるぐらいの人だから、官僚の中でも(良い意味でも悪い意味でも)有能な人なのだと思う。だから非常に巧みな言い回しで、直接、「どの候補者に投票しろ」とは言っていないのだと思う。つまり、イザ、裁判となった時には言い逃れできる、ギリギリの講話だったのだろう。この様な情報が内部からリークされていると言うことは、そのリークした人は思想信条的には「沖縄から米軍基地を追い出せ」と思っている人に違いない。だから、確実に法に触れるネタを掴んでいれば(つまり、具体的な候補者への投票の呼びかけ)、その情報も合わせてリークするはずである。にもかかわらず、それが未だに出てこないと言うことは、本人も「国家公務員法、公職選挙法などに抵触する『恐れ』があることを認識している」と言っている通り、その最後の一線を越えないギリギリのところで勝負しているはずである。仮に勤務時間中であっても、防衛省の活動を国民に知らしめる活動であれば、(「選挙」というメガネを通してみなければ)誰からも非難される筋合いのものではない。

しかし一方で今回大騒ぎする人たちの多くは、大阪市役所内の労働組合が、自分たちの身分と高い給料を安定的に保証してくれる候補者(前市長)を当選させるために、税金から給料が支払われている勤務時間中に、堂々と違法な政治活動をしていたりすることに対しては無頓着なのである。彼らは、自治体の財政再建を行うために「身を切る努力」をさせない様に、候補者を明示的に組織立てて応援するのである。ギリギリのところで一線を越えずに踏みとどまるのではなく、堂々と一線を越えて「何が悪い!」と開き直っているのである。

国家公務員と地方公務員の差はあるにせよ、同じ公務員なのであり同様のことが求められる。だから公平な目で見れば、(後で示すもうひとつのポイントであるが)沖縄防衛局長の行動も問題ではあるが、それ以上に問題である別の公務員の政治活動には、その違法性に見合った非難のされ方がされてしかるべきである。そうでないならば、明らかに公平性を欠いたボヤキと見なされても仕方がない。如何だろうか?

さて、ふたつ目のポイントであるが、こちらはちょっと趣が違う。防衛省の特殊性に関連した問題だ。防衛というのは国家の根幹に係わるもので、戦時中であれば各国がスパイによる諜報活動を繰り広げていた。今の平和ボケした日本ではあまり重要視されていないが、今でも外国では必至になって合法・非合法の活動を繰り広げている。ロシアの美人スパイが捕まったという話題も紙面を賑わせていた。だから、スパイ活動をしても捕まらない日本においては、中国やロシアの諜報員が当然ながら暗躍している。彼らには倫理観など無いのだから、例えば色仕掛けで罠を仕掛けてくるというのも常套手段である。以前にも、某元総理大臣と中国系スパイと疑われる女性との親密交際が噂されたことがある。「女を抱かせて、機密情報を取って来い」という様なやり方は、政治家、防衛省職員(その他の省庁の職員も同様)には常に付きまとうものである。

だからこそ、防衛省の特に幹部連中は、危機・リスク管理に十分に気をつけなければならない。その様なことを踏まえて今回の問題を見ると、自分の言動・行動がどの様な影響として跳ね返ってくるかのリスク評価を、正確に管理できることが幹部連中には最低限求められる。昨年末の発言で更迭された前局長も全く同じである。「オフレコだから良いだろう」とか、「身内の職員だからいいだろう」などと言う甘ったれた考えは、国家の防衛の中枢にいる人達には持ってもらっては困るのである。ここのところは自覚してほしい。

だから、法的にはどうかという意味で言えば沖縄防衛局長の更迭は不要かも知れないが、今後の沖縄との交渉という政治的な判断では、更迭はやむを得ないのだろう。しかしその様な判断がなされたからといって、「沖縄防衛局長の行動はNGで、市役所の労組の活動はOK」ということを意味しないと言うことを、ここでははっきりしておきたい。

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データに基づいた議論をしよう!(騙されてはいけないふたつのポイント)

2012-02-02 23:15:20 | 政治
最近、国会を中心に年金制度の試算の公表について喧々諤々やりあっている。民主党の言い分は、誰がどう聞いても子供の弁解レベルで、臭いものには蓋という方針があからさまに見えている。まあ、これについてはこれ以上語っても意味がないので止めておくが、ここではあまり話題になっていない見落とされていると思える二つの点を議論したい。

まず、ひとつ目のポイントは、あの試算に対するマスコミの論調は「『更なる増税』があることがけしからん」ということのようであるが、誰の目にも将来「更なる増税」が必要となるのは自明である。高齢化社会が極端に進み、若年世代の人口比率が驚異的に減る。保守系の人がいう「自助を前提とする小さな政府」を極端に進めない限り、ある程度の年金、福祉にお金がかかり、増税が避けられないのは必然である。それほど高齢化が深刻でないスウェーデンでも食品などを除く一般的な物にかかる消費税は25%なのだから、高齢化が進む日本で10%で足りる訳がない。だから、あの試算のニュースを聞いたとき、私はあたかも「60年先まで見込んでも、消費税率が17.1%(=0%+7.1%)で足りるとは驚き!」という誤解をしてしまった。しかし、これは明らかにミスリードされた理解である。民主党は、多分、小沢氏が代表だった2007年の時点で、「7万円の最低保証年金は、年収1200万円以上の高額所得世帯には遠慮してもらう」と言っていた。2009年の衆院選の時には、「野党にはデータがないから試算できない」と言って、あたかも2007年時点での試算(主張)が生き残っているかの様に振舞った。しかし、昨年春の試算は「最低保証年金を満額受け取れるのは年収260万円までで、690万円を超えると支給はゼロとなる。結果として、年収420万円以上の世帯では、現行制度よりも大幅に受給額が減る。」という前提での試算である。現行制度であっても、受給額は今の年金受給者よりは減るのである。であれば、財源として消費税率をどの程度にするかに関係なく、現役世代がその時の高齢者を扶養する賦課方式を続ける限り、将来的に破綻することは確実なのである。「50年後でも消費税率は17.1%で足りるんだ!」と糠喜びをしてはいけないのである。

次に、ふたつ目のポイントであるが、今回のこの試算が、何故このタイミングでマスコミに大々的に取り上げられたかについてである。別に素人だから、裏を取ることなどできないが、民主党内の「増税反対派」ないしは「反主流派(小沢派)」が増税潰し、さらには野田内閣潰しのために仕掛けた戦術であるとみるのが妥当だろう。何と言っても、(単なる内容のリークではなく)「民主党」とでっかく真ん中に書かれた資料のコピーが出てきているのだから、内部の確信犯が情報を流したのは間違いない。だから、その様な意図を持った集団に踊らされる議論をするのも問題なのである。だから、これを機会に「前向き、建設的な議論」をすることに心がけなければ、彼らの術中にまんまとはまることになる。これではいけない。

これらのポイントを意識して、前向きな議論をするためにはどうすれば良いか?

与党でも野党でも目的はひとつなのだから、例えば「(名目)成長率の推移をどの様なモデルとすべきか」「積立金の運用益をどの様にモデル化するか」「少子高齢化の推移のモデルをどの様に考えるか」「何年先までの試算をするか(最低、50年以上先が見通せないようでは困る)」などといった評価の前提のあるべき姿を最初に各党の専門家で決めればよい。その先は、最低保証年金の有無や、賦課方式、積立方式など各党の提案を導入した場合の試算を各自で行うのである。少なくとも、民主、自民、公明などはある程度の試算のもとになる情報を持っているはずなので、相互に検証を行うことも可能なはずである。大学の先生方もパラレルに検証し合えば、誰の試算が信頼できて、その結果、どの提案方式が最も優れているのかを議論できるはずである。

ある程度、議論がこなれてきたら、例えば生涯の平均年収を基準とするならば、年収1200万円、800万円、600万円、400万円、200万円、100万円などと細かく分け、さらに家族構成や専業主婦/共働きなどを組み合わせた場合の年金受給額の試算を個別に行い、それをネット上で公開すればよい。マスコミは典型的な条件を幾つか例に取り、「さあ、国民の皆さんはどれを選びますか?」と問えば良い。何事もそうなのであるが、議論は定量的なデータ・情報に基づいて行われるべきである。単独の政党が提供する情報は、常に情報操作を意図したものである可能性が高い。幸いにして、政権交代により複数の政党が相互に検証できる状態なのである。

明確なデータに基づいた議論を前向きに是非とも進めて欲しい。

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覚悟はあるのか!?

2012-02-01 21:57:17 | 政治
最近、田中直紀防衛相の話題が紙面を賑わせている。沖縄防衛局の問題もそうだが、ここで触れたいのは国会の予算委員会での話である。

国会の予算委員会での質疑の中で、野党の防衛の専門家から矢継ぎ早に質問され、完全に目が泳いだ状況でしどろもどろに自信なさそうに返答する。すると、大臣秘書官や副大臣などが慌てて田中防衛相のところに来て訂正を繰り返す。しまいには、委員長や与野党理事に断りなく予算委員会を抜けだし、「失踪」騒動まで繰り広げた。産経新聞では、この時の写真を15枚ほど紙芝居的に掲載している。野党からも「二人羽織はやめろ!」というツッコミもあり、この様な的を得た野次は個人的には大歓迎だ。多分、田中防衛相自身が一番、「早く問責決議でも出してもらって早く辞めたい」と思っているのではなかろうか?

テレビニュースの映像でこのシーンが流れるので、見ている方からは腹を抱えて笑いたくなる状況だが、皆さんの目にはどう映るのであろうか?民主党支持者からすれば、「エゲツない虐めだ!」とでも言って質問者を責めたいのであろうが、それは全く違う。我々国民が国会に求めるのは、真剣勝負の議論である。質問者がどんなに真剣に質問しても、答える側がド素人で、何を言っても後で訂正されるかも知れないような適当な返答しか返ってこないのでは議論にならない。いっそのこと、渡辺周防衛副大臣に全ての国会対応を任せて大臣は横で座っているだけにしたらどうだろうか?きっと、問責決議などしたらもったいないだろうから野党はその状況を放置し、いつ、野田総理が更迭を決断するかが次なる話題となる。サッカーで言えば、監督(野田総理)が前半15分で選手交代(一川前防衛相から田中防衛相へ)を決断したが、投入した選手をその5分後にさらに選手交代(田中防衛相から渡辺副大臣?)するようなものだから、試合としては相当厳しくなるはずである。

チャンチャラおかしな話だが、下手をすれば国民の生活に大きな影響が出るかもしれない重要なポストである閣僚(防衛相は命に直接係わるかも知れないポスト)になるというからには、政治家はそれなりの覚悟を持って望んでもらいたい。自分の器には相応しくないと判断したなら、自発的に辞任をしていただきたい。今回の話でいえば、最終的な任命責任は当然野田総理にあるのだが、実質的なA級戦犯は輿石幹事長であろう。閣僚と党役員の人事は総理、幹事長、官房長官ぐらいで決めるのであろうから、カリスマ性のある総理がイエスマンの幹事長を任命しない限り、総理が全ての人事を決定することはできない。

野田総理と輿石幹事長の連帯責任でなんとかして欲しい。

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