けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

悪意があることを前提とせざるを得ない悲しい問題

2012-02-23 22:07:28 | 政治
名古屋市の河村市長の南京事件発言がまた話題となっている。

南京大虐殺にしても慰安婦問題にしてもそうだが、歴史問題についての解決の難しさは、その問題のPlayerが全て何らかのバイアスがかかりまくった人達で構成されている点にある。バイアスというのは、例えば、南京大虐殺の否定派であれば「そんな忌まわしい過去などなかったことにしたい」という背景があるし、肯定派であれば「それを政治利用し、その結果として何らかの利益を得たい」という下心が見えていることをいう。一方で議論に関与しない多くの人は、あまり騒ぎ立てずに歴史の中で記憶が薄れることを期待しているところもあり、三者三様の思惑が時間の浪費と問題の複雑さを増すことに至っている。

まず、私のスタンスであるが、一方的な否定派でもなければ肯定派でもなく、あくまでも証拠に基づいて真相を究明すべきであるという立場である。また当てずっぽうで言わせて貰えば、実際の犠牲者は中国側の主張する30万人よりは一桁以上少なく、その多くはゲリラ兵などの非正規戦闘員が多かったのではないかと予想する。さらには、民間人に対する虐殺や強姦もあっただろうが、当時の世界中の戦場(モラルの低下した環境)での平均的な被害程度からは桁外れに残虐ではなかったとも予想する(多分に希望的な観測が含まれることは認める)。ついでに、この立場に立った上で、村山談話も妥当であると評価する。

ところでWikipediaで「南京大虐殺論争」を引けば、比較的、中立の立場から両論併記がなされている。この記述を読んだだけでも、多分、中国側を中心とする被害者30万人という説は少なく見積もっても相当な鯖を読んだ誇張であることは容易に読み取れる。そもそも事件前の南京の人口が20万人で、南京陥落後3ヶ月の人口が25万人で、その中間に位置する時期に30万人が殺されたとすること自体に???がついて回るのだが、それにも色々と言い訳がついて肯定派も30万人の数を引き下げることなく有耶無耶にされたままだ。この結果、南京にある「南京大虐殺紀念館」の入り口には堂々と「犠牲者30万人」と書かれている。

もちろん、どう考えても虐殺がひとりもいなかったと考えるのは不自然であり、少なからず、それなりの犠牲者がいたのは事実であろう。否定派の人達でも、言葉の綾で「南京事件はなかった」と言うが、それは犠牲者がゼロであることを意味してはいないだろう。多分、戦争の歴史の中で、特筆すべき事件とするほどの被害ではなかったという立場(だから「俺たちは責められる筋合いはない」という開き直りは、私には到底許容できないが)から、中国側の「犠牲者30万人」という様な「事件」はなかったと言っているのが殆どだと思う。今回の河村名古屋市長の発言も、この延長線上だろう。

村山談話などでも、具体的な事件や定量的な犠牲者数を限定しない範囲で、その罪を認め謝罪するに至った。この立場は現在も踏襲されている。しかし、それは中国の主張する30万人の被害者を肯定するかといえば、そうではない。そこまで踏み込んではいない。そこまで踏み込むと、謝罪が謝罪として成り立たないから、敢えて定量化せずに両国の良心を前提とした落としどころを模索したのであろう。

一方で、中国側が悪意を持って意図的に犠牲者を水増ししようとしていた事実は、様々な動かしがたい証拠から明らかになっている。例えばテレビでも取り上げられて話題になったが、「南京事件『証拠写真』を検証する」という本では入手できた143枚の写真を検証したところ、全てに対して捏造の証拠を確認できたとしている。今ではネットで検索すれば、143枚全ての写真情報が見て取れる。この本に対する反論は、「何万枚とある写真の一部に捏造があったからと言って『事件はなかった』と何故言えるのか!」というものが多いが、(本に何とかいてあるかは知らないが)著者もテレビで「この事実は南京事件がなかったことを証明するためのものではない」というような内容を答えていたように、その反論はこの本の問題提起を正面から突いた物ではない。つまり、その著者が否定派の人であり思想的にそちらのバイアスがかかっていることは事実だが、この本が問題提起しているのは、「何らかの勢力が南京事件を政治利用しようとして、証拠でもない写真を悪意を持って証拠に仕立てようと活動をしていたことがある事実」があることを証明した点にある。これらの写真の他にも、欧米の南京事件の肯定派学者のことを調べてみたら、中国から相当な援助を受けていたとか、プロパガンダとして中国が国際的な活動を行なっていた証拠も見つかっているようだ。

つまり、この種の歴史問題を議論する際には、性善説に立った議論は既に破綻しており、この様な悪意を持った人達が肯定派、否定派の双方に陣取っているという前提で物事を判断しなければならないのである。もちろん公平に言えば、否定派の中にも悪意を持って活動している人もいるのだろう。それは否定しない。しかし、南京事件に対する中国側の立場は、肯定派の中でも極端に被害を過大評価する者の主張の上に立っているという事実も合わせて認めなければならない。

南京事件を語るときに、その「残虐性」「違法性」が桁違いに酷いというのが問題となっているわけだが、イメージ先行の中で我々は「犠牲者の多くが罪もない一般民間人」という感覚を持ってしまう。私も当初はその様に思っていた。しかし、それが事実かどうかという点でも議論は不十分である。例えば、上述の「ゲリラ兵」的な非正規の軍人に関しては、国際法上も正規の軍人に対して求めれる人道上の配慮とは一線を画した対応を認めている。ゲリラ兵は見つけ次第銃殺という対応は、通常の戦地であれば一般的な対応であったのだろう。スティーブ・マックイーン主演の「大脱走」という映画でも、大脱走からの逃走時の服の下に捕虜を証明する名盤と軍服の徽章類を身に付けていたことから、ゲリラやスパイと正規兵が異なる扱いを受けて当然の風潮は読み取れる。しかし、当時の中国軍は日本軍に破れて総崩れ状態にあり、南京陥落時には軍服もまともに身に付けていない少年兵が大量にいたそうだから、相当数がゲリラ兵と見なされて処刑されたのは容易に予想できる。日本でも、B29の爆撃を受けながら本土決戦を意識して「竹槍を持ってでも、米兵と戦え!」と言われていたぐらいだから、中国でもそれなりの数の非正規の戦闘員がいたとしても不思議ではない。「数千人規模で、ゲリラ兵とおぼしき人を十分な精査なく処刑した」ことを認めることに対してであれは、多分、(被害者の人数という点で意見は多少分かれても)賛成派、否定派が分かれて争うほど複雑な事態にはならないだろう。しかし、「罪もない一般市民が十万人規模で殺された」と言われると、ちゃんと精査して判断しよう!と言いたくなるのは当然である。

平和な日本、完全に法の支配の確立した沖縄ですら、米兵が民間日本人をレイプするぐらいであるから、それよりもモラルの低い戦場では強姦は少なからずあったのだろう。実際、第2次世界大戦後も、様々な国の軍隊が駐留先で民間人を強姦し、その結果生まれた子供達が社会問題化している例は時折見られる。しかし、軍人に加えて10万人もの罪のない民間人を虐殺したのが事実なら、それほどの完全なモラルハザード状態の南京で、強姦で生まれた子供達が話題とならない程に少ないというのは考え難い。

素人が議論するには限界があるが、それでも悪意を持ったプロパガンダを声高に叫ぶ国々に対し、ちょっとばかし異を唱えた日本の政治家(一般化して国民というべきかも)をつるし上げるような対応はして欲しくない。もう少し前向きな対応を相手側に促すぐらいの対応をしてもらいたいものだ。

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