学生時代に岸田秀の「幻想を語る」という本を読んだことがある。教養部時代の何かの授業で先生から「1冊本を選び、受講しているほかの人に内容を紹介(プレゼン)しなさい」というテーマが与えられ、その一例として先生が挙げていた本である。読んでみて非常に明快で面白く、今でも人生の教訓の様に感じている。
毎度であるが非常に雑な紹介をしておくと、この著者の岸田氏は、世の中には「幻想」が溢れていて、身の回りにある「常識」の殆どは「幻想」であり、逆に言えば「常識」を「幻想ではないか?」と疑ってかかることで見えてくる何かがあるということを言っている。わかりやすい例で言えば、フェティシズム(通称、フェチ)とは性的倒錯であり精神医学的の扱う対象(病気?)として捉えられているが、本来の人が性的な興奮を受けるのは直接的な快楽(物理的な刺激)ないしはその快楽を想像させる直接的な情報(裸の写真やAV等)であるべきなのに、女性の靴下などに異様な興奮を示す現象というのは、快楽とは一切相関のない靴下に何らかの幻想を抱くからである。この様な幻想は、フェティシズムという一見特殊な人に特有のことではなく、幻想の対象は様々に異なるが、誰もが様々な幻想を抱いていてそれに気がつかない・・・ということを説いている。彼はそもそも精神分析学者であるのだが、例えば自分の子供を愛せないということで悩んで訪ねてくる患者に対して、「人間は、自分の子供を愛するのが当然」ということが幻想であることを説明し、動物界などではそれが寧ろ普通であるなどという情報を提供すると、子供を愛せないことで苦しむ母親を救えるという例もあるそうだ。この様に、世の中には幻想が溢れているのだが、その「幻想」が複数の人が集まったコミュニティの中で「共通幻想」となり得ると、それがいつしか「常識」と変わっていく。そしてその「共通幻想」は、誰もが根底を疑ってかかると説明がつかない故に非常に気味が悪い中で、「共通幻想」として安定化することで非常に心地よい世界が生まれてくる。しかし、時として「これは幻想ではないか?」と疑ってかかることも必要な場合があるのも事実である。
実は私は、十日ほど前から少しモヤモヤした気持ちが続いていた。黒木メイサと赤西仁のデキ婚の報道を聞いての反応である。別に私は黒木メイサのファンではないのだが、どうしてあれだけの人たちがデキ婚に走るのかが疑問だった。私の頭の中では、デキ婚とは3パターンに別れていて、貧困で結婚などできないと感じている人たちが「思い切って結婚するためのきっかけ」となるケース、結婚したい女性が結婚したくない男性を結婚に引き込むための戦略のケース、結婚したくない男女が成り行きで妊娠して中絶が嫌で結婚するケース、のいずれかだと思っていた。しかし、彼女らのケースはいずれでもない。何でちゃんと手続き(結婚)してから子供を作らないのか・・・と疑問だった。もちろん、CMやテレビ、映画、音楽業界などの関係者のビジネスに直結する話だから、何の準備も与えずに「事後報告、よろしく!」と開き直られたら困るので、その様な視点から無責任の謗りを受けるのは仕方ない。しかし、その様な常識的な考え方とは違う考え方が台頭し、時代が変わりつつあることを暗示した出来事なのかも知れないと考えるようになってきた。
というのは、直接的には関係ないが、昨日の夜中に放送された「朝まで生テレビ」の中で少子化の問題が部分的に議論され、出生率1.3を2まで改善するためには、結婚という制度自体を破壊しなければならないのかも知れないと感じた。夏野剛氏が断言してハッとしたが、今までは出生率1.3というのは「マズイ状態」ではあるが、枝野前官房長官のお得意の「直ちに危険な状態ではない」的な理解の仕方をしていた。しかし本当は、「出生率1.3が続けば国が滅びる!」ことに目を向けなければならない。同じく出演者の東浩紀が指摘していたが、「『結婚』や『家制度』など、日本に長く信じられていた制度を捨てたら『国が滅ぶ』的なことを言う人がいるが、もはや事態は全く逆になっている。『結婚という制度』を前提としては国が持たない(出生率1.3は改善できない)。もはや『結婚という制度』取るか『国の発展(存続)』を取るか、二者択一だ!」という現状を我々は受け止めなければならないのかも知れない。
と言うのも、出生率危機を乗り越えて現在は出生率2.0以上を達成したフランスなどでは、結婚せずに子供を産む率が50%を超えているという。しかも、一人目を結婚せずに産んだ後で、すったっもんだの挙句に最後は結婚に至るという夫婦が多いともいう。国ごとに事情が異なるから、必ずしも日本でどうなのかは分からないが、この様な選択肢を高齢の方々を中心に大半の方が全く検討に値しないというのはやはりまずい。
これはもしや「幻想」ではないか?という疑念が私の頭の中に芽生えてきた。「デノミ」という制度は、国民の「幻想」「錯覚」を逆手に取る経済政策であり、全ての人が論理的に行動したら絶対に成功するはずのない政策である。しかし、それでも選択肢のひとつとして利用されているのは、その「幻想」「錯覚」が時として人の経済活動を活性化させる可能性があるからである。「結婚」という制度を見直すということは、ひょっとしたら「恋愛・出産のデノミ」的な効果として出産のハードルを引き下げることになるのかも知れない。
それが「モラルハザード」なのか「日本の活性化(出生率大幅増)」なのかは私には分からない。細かい理論付、検証などは専門家がやるのであろうが、この様な不連続性への挑戦もこの国には必要になってしまっている様な気がした。
そして更に言えば、実は多くの若者の考え方は既にその先(専門家の先)を走っていて、「結婚」という制度と「出産」というイベントは既に相関が小さくなっていて、その順番などあまり重要ではないという考え方が定着してきた結果がデキ婚の増加なのかと感じた。黒木メイサほどの失うものが多い女優さんでも、既に我々古典的な世代の周回先を走っているのではないかと思う。こう考えて、不思議とモヤモヤが晴れてきたのが我ながら面白かった。
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毎度であるが非常に雑な紹介をしておくと、この著者の岸田氏は、世の中には「幻想」が溢れていて、身の回りにある「常識」の殆どは「幻想」であり、逆に言えば「常識」を「幻想ではないか?」と疑ってかかることで見えてくる何かがあるということを言っている。わかりやすい例で言えば、フェティシズム(通称、フェチ)とは性的倒錯であり精神医学的の扱う対象(病気?)として捉えられているが、本来の人が性的な興奮を受けるのは直接的な快楽(物理的な刺激)ないしはその快楽を想像させる直接的な情報(裸の写真やAV等)であるべきなのに、女性の靴下などに異様な興奮を示す現象というのは、快楽とは一切相関のない靴下に何らかの幻想を抱くからである。この様な幻想は、フェティシズムという一見特殊な人に特有のことではなく、幻想の対象は様々に異なるが、誰もが様々な幻想を抱いていてそれに気がつかない・・・ということを説いている。彼はそもそも精神分析学者であるのだが、例えば自分の子供を愛せないということで悩んで訪ねてくる患者に対して、「人間は、自分の子供を愛するのが当然」ということが幻想であることを説明し、動物界などではそれが寧ろ普通であるなどという情報を提供すると、子供を愛せないことで苦しむ母親を救えるという例もあるそうだ。この様に、世の中には幻想が溢れているのだが、その「幻想」が複数の人が集まったコミュニティの中で「共通幻想」となり得ると、それがいつしか「常識」と変わっていく。そしてその「共通幻想」は、誰もが根底を疑ってかかると説明がつかない故に非常に気味が悪い中で、「共通幻想」として安定化することで非常に心地よい世界が生まれてくる。しかし、時として「これは幻想ではないか?」と疑ってかかることも必要な場合があるのも事実である。
実は私は、十日ほど前から少しモヤモヤした気持ちが続いていた。黒木メイサと赤西仁のデキ婚の報道を聞いての反応である。別に私は黒木メイサのファンではないのだが、どうしてあれだけの人たちがデキ婚に走るのかが疑問だった。私の頭の中では、デキ婚とは3パターンに別れていて、貧困で結婚などできないと感じている人たちが「思い切って結婚するためのきっかけ」となるケース、結婚したい女性が結婚したくない男性を結婚に引き込むための戦略のケース、結婚したくない男女が成り行きで妊娠して中絶が嫌で結婚するケース、のいずれかだと思っていた。しかし、彼女らのケースはいずれでもない。何でちゃんと手続き(結婚)してから子供を作らないのか・・・と疑問だった。もちろん、CMやテレビ、映画、音楽業界などの関係者のビジネスに直結する話だから、何の準備も与えずに「事後報告、よろしく!」と開き直られたら困るので、その様な視点から無責任の謗りを受けるのは仕方ない。しかし、その様な常識的な考え方とは違う考え方が台頭し、時代が変わりつつあることを暗示した出来事なのかも知れないと考えるようになってきた。
というのは、直接的には関係ないが、昨日の夜中に放送された「朝まで生テレビ」の中で少子化の問題が部分的に議論され、出生率1.3を2まで改善するためには、結婚という制度自体を破壊しなければならないのかも知れないと感じた。夏野剛氏が断言してハッとしたが、今までは出生率1.3というのは「マズイ状態」ではあるが、枝野前官房長官のお得意の「直ちに危険な状態ではない」的な理解の仕方をしていた。しかし本当は、「出生率1.3が続けば国が滅びる!」ことに目を向けなければならない。同じく出演者の東浩紀が指摘していたが、「『結婚』や『家制度』など、日本に長く信じられていた制度を捨てたら『国が滅ぶ』的なことを言う人がいるが、もはや事態は全く逆になっている。『結婚という制度』を前提としては国が持たない(出生率1.3は改善できない)。もはや『結婚という制度』取るか『国の発展(存続)』を取るか、二者択一だ!」という現状を我々は受け止めなければならないのかも知れない。
と言うのも、出生率危機を乗り越えて現在は出生率2.0以上を達成したフランスなどでは、結婚せずに子供を産む率が50%を超えているという。しかも、一人目を結婚せずに産んだ後で、すったっもんだの挙句に最後は結婚に至るという夫婦が多いともいう。国ごとに事情が異なるから、必ずしも日本でどうなのかは分からないが、この様な選択肢を高齢の方々を中心に大半の方が全く検討に値しないというのはやはりまずい。
これはもしや「幻想」ではないか?という疑念が私の頭の中に芽生えてきた。「デノミ」という制度は、国民の「幻想」「錯覚」を逆手に取る経済政策であり、全ての人が論理的に行動したら絶対に成功するはずのない政策である。しかし、それでも選択肢のひとつとして利用されているのは、その「幻想」「錯覚」が時として人の経済活動を活性化させる可能性があるからである。「結婚」という制度を見直すということは、ひょっとしたら「恋愛・出産のデノミ」的な効果として出産のハードルを引き下げることになるのかも知れない。
それが「モラルハザード」なのか「日本の活性化(出生率大幅増)」なのかは私には分からない。細かい理論付、検証などは専門家がやるのであろうが、この様な不連続性への挑戦もこの国には必要になってしまっている様な気がした。
そして更に言えば、実は多くの若者の考え方は既にその先(専門家の先)を走っていて、「結婚」という制度と「出産」というイベントは既に相関が小さくなっていて、その順番などあまり重要ではないという考え方が定着してきた結果がデキ婚の増加なのかと感じた。黒木メイサほどの失うものが多い女優さんでも、既に我々古典的な世代の周回先を走っているのではないかと思う。こう考えて、不思議とモヤモヤが晴れてきたのが我ながら面白かった。
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