けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

爆笑人事と呼ばれて・・・

2012-02-12 14:33:56 | 政治
つい先日のことであるが、民主党が現在11人いる党最高顧問・副代表に対し、特定分野の政策責任者として担当させる方針を固めたそうだ。その中で、最高顧問の鳩山由紀夫元総理は外交、菅直人前総理は新エネルギー政策を担当し、党に対して提言を行うことになった。輿石幹事長からの提案で、本人たちも喜んで引き受けたという。

「ああ、なんということだ、トホホ・・・」と悲しくなるニュースだ。

ネットを検索すれば、「爆笑人事」という見出しまでついている。まさに爆笑・失笑である。このブログでも何度も書いているし、最近では国民の誰もが理解していることであるが、政治には結果責任が求められるのである。言うまでもなく、現在の日本外交が破綻し、日米同盟が危機に瀕していることの責任は誰にあるかは明らかである。そして、その当の責任を負うべき人物は、自分が日本国民に多大なる迷惑をかけたことを明らかに自覚していない。

例えてみよう。もともと煙が燻っていた場所に、「これは液体だから消火に役立つはずだ」と油(ここではガソリンに近かった)を注ぎ、大火事になってしまった。慌てて皆が延焼を食い止めようとしているのに、次の総理は傍観を決め込み、何も手を打たなかった。さらに次の総理も、慌てて消火班を送り込んだがその消火班がド素人で、肝心の消防車を運転できない。そこに、最初に火に油を注いだ犯人が舞い戻ってきて、「この黒い粉を上から巻けば火が消える」と得体の知れない物質を持ち込み火に入れようとしている。よく見れば黒色火薬ではないか・・・まあ、こんなところだろう。

確かに、一度失敗した人が再チャレンジできない世界はおかしいという声もあるかも知れない。しかし、失敗しても被害が限定的なベンチャービジネスと、1億以上の国民を抱えた日本いう国家では事情が違い、ひとたび失敗したなら何がいけなかったのかをちゃんと解析し、その反省の下に立って次なる行動を起こしてもらわねば困る。その鳩山元総理は、先月の早稲田大学での講演で、「先の大戦で日本がアジア諸国にかけた甚大なる損害と迷惑に対する反省の上に立った行動が重要」として、持論の東アジア共同体の話題を語ったそうだが、自分が総理時代に国民に与えた甚大なる損害と迷惑には気がついていないらしい。

菅前総理についても同様だ。「一介の市民運動家」との立場での行動なら好きなようにやっていただいて構わないが、日本のエネルギー問題を迷走させた責任は何も感じていない。「反原発」と言えば、大阪の橋本市長が比較されることがあるが、橋本市長のスタンスと菅前総理のスタンスは似ていて全く非なるものである。菅前総理はこの点を是非理解して欲しい。橋下市長の基本的な考え方は、東電や関電が原発推進の言い訳として安直に電力が足りないということには断固とした態度で臨み、節電協力を断るなどしてきた。その様にして、定量的な議論のためのデータを強制的に炙り出そうとしていた。しかし、それは無条件での反原発を意味していない。冷静に彼の主張を聞くならば、「電力が足りないというのであれば、その根拠となる細かいデータを、包み隠さず出しなさい。良識ある専門家がその内訳を吟味し、真に原発がないと破綻すると分かったなら、その際は安全性を確認(ないしは確立)した上で、原発の再稼働は許容する。しかし、情報を出さずにどさくさに紛れて原発再稼働は許さん!」というものである。菅総理は、その定量的な評価・議論をすることなく、自分の単なる思いを国民に語り、思い切り拳を振り上げながらも閣僚から「オイ、オイ」とツッコミを入れられた途端に拳を下ろしてしまった。無責任にも程がある。エネルギー政策を語れる人は、少なくとも責任感のある人でないと困るのである。実際、昨夏の東北電力管内では、99%の使用率に達し慌てて東京電力から融通してもらい乗り切った日が何日かあった。結果的には融通で乗り切れた訳だが、この様な綱渡りを前提に産業界は経営戦略を立てられる訳がない。根性論や結果オーライ的な発想は捨てて頂き、定量的かつ緻密な戦略を語って頂きたい。民主党は、本当に菅前総理にそれを期待できると思っているのだろうか。

この様に書きながらも、諸悪の根源がどこにあるかは誰もが知っている。そう、この人事の発案者である輿石幹事長である。党内融和や党員の欲求不満解消のために、微妙なバランス人事をやっているのは全てこの人である。田中防衛相を決めたのも実質的にはこの人であった。多分、野田さんは結構したたかな戦略家で、党内No2の幹事長ポストに小沢派筆頭の輿石氏をあてることで彼に一定の責任を与え、彼が無責任な行動に出ることを封じることには成功したが、その返り血を浴びながら政権運営を続けていかねばならない宿命を背負ってしまった。

信念や理念の異なる人たちを寄せ集めて政党を作っていなかったら、こうはならなかったであろうに。

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