けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

まさに「Dead Man Walking」・・・

2012-02-20 22:38:46 | 政治
今日、光市母子殺害事件の最高裁判決が下った。前回の差し戻し審で死刑判決が出ていたので、差し戻しした最高裁が追認するのは当然の結果であり、これで実効上の死刑が確定し裁判が終結となる。

以前、被害者の夫であり父である本村さんの闘いを綴った「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」(門田 隆将著、新潮文庫)という本を読んだことがある。図書館から借りてきて、たった1日で全部読みきってしまった。殆ど読みながら、目から涙がこみ上げてきて、中々先を読めなかったことも覚えている。本を読めば、如何に本村さんが苦しみ、怒り、絶望の中で戦ってきたかが良く分かる。別の事件である女子高生コンクリート詰め殺人事件でも、少年であるが故に相対的に軽い刑期で出所した犯人がその後も再犯し、過去の犯罪に対する反省の念が全くないことが明らかになっていたが、少年であるということと更生可能であるということは相関が低く、やはり年齢以上に個人個人の性格によるところが大きい。光市母子殺害事件の犯人も全く同様で、犯人が友人に宛てた獄中からのあまりにも卑劣な手紙が暴露され、結局、情状酌量の余地がないことの証拠となった。

この裁判のニュースを見るたびに私が印象的だったのは、裁判後の記者会見で感想を述べる本村さんの発言内容であった。彼の言葉は非常に理路整然としており、まるで完璧なまでに推敲された文章を読み上げるかの如く、一言一言、説得力のある発言だった。変な言い方だが、御伽噺を聞くかのように、心に沁み入る言葉であった。一方これと対比されるのは、差し戻し審以降の弁護士の裁判後の記者会見の言葉である。もちろん、凶悪犯を弁護するからといってそれだけで弁護士が非難されるべきものではなく、自分に与えられた仕事を誠実に履行しているのであれば、むしろ同情の余地さえある。しかし、前回の差し戻し審判決後の弁護士の言葉は、本村さんの理路整然とした言葉とは全く対照的であり、全くもって説得力の欠片もなく、ただただ被害者の心の傷に塩を塗りこむかのごとく、弁護士の人間性にすら疑問を抱かざるを得ない内容だった。多分、あの弁護士達は気づいているに違いない。その説得力の格差を。

本村さんの行動を見ていると、その信念の強さに感銘を受ける。もともと健康に不安を抱えた彼だから、多分、命を削る思いでこの裁判に臨んだのだろう。自分の命が尽きようとも、あの犯人と刺し違えても、愛する妻と子供の敵を討ってやろうという覚悟は凄まじいものがある。あれだけの才能を、あれだけのエネルギーを、この様な形で使わなければならないことが残念でならない。この裁判をこれで終えて、その後の彼の人生がどの様になるのかを周りの人は温かく見守ってやって欲しい。大きな目標を達成し、急に力が抜けて廃人の様になってしまわないかが心配である。

多分、彼は望まないだろうが、彼の様な人こそ、今の政治に求められる人材なのだと思う。彼の様に強い信念と、理路整然とした判断能力が、政治家には必要不可欠である。彼が新たな目標として政治家を目指すことはないだろうが、あの彼のエネルギーを社会の中で有益な形で活用できることを祈って止まない。

余談であるが、先日の報道ステーションSundayでも、交通事故の「危険運転致死傷罪」に関するハードルの高さが問題となっていた。昨年名古屋で起きたひき逃げ事件の犯人は、無免許で、膨大な量の飲酒をし、その直前に事故を起こして一方通行を逆走して逃走し、その逃走途中でひき逃げ死亡事故を起こしたのにも係わらず、検察もテレビ出演していた有識者も「危険運転致死傷罪」の適用は困難との判断を下していた。同じくテレビ出演していた国会議員は、この様になってしまったのは国会議員の怠慢によると自らも反省の弁を語っていた。犯罪や事故の被害者の声は、中々、政治の場には届き難い。どうしても、被害者の権利よりも加害者の権利が優先される世界である。「たら、れば」の議論であるが、もし仮に「危険運転致死傷罪」を国会で議論している最中に、今回の名古屋の事例を引き合いに出して政治家に問うことができたならば、全ての議員が「『危険運転致死傷罪』を適用すべき」「適用できるように、法律の記述を定めるべき」と答えたのではなかろうか?しかし、現実の明文化された法律の文言は、そこまでをカバーする記述とはなっていない。逆の場合もあるだろうが、国会議員には想像力も必要であることを示す良い例ではないかと思う。

このブログを書きながら、最新の情報をネットで探したところ、産経新聞の中で前回の差し戻し審で死刑判決が出た後、犯人が死に直面し、自分の罪の重さを噛み締めている状況が報じられていた。まさに、1995年の映画「Dead Man Walking」を思わせるストーリーだ。映画の中での犯人も、死刑執行が目前に迫り本当の意味での死を見つめて、初めて人の心を取り戻すことができた。

今後も犯罪はなくならないだろうし、今回の裁判が今後の犯罪予防に役立つことはないだろう。しかし、犯罪被害者に勇気を与える判決であることは間違いない。

亡くなられたふたりの尊い命に対し、ご冥福を祈る。

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