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ブログ的なアレです。

Random Talk

2010年02月03日 | 仕事とか堅苦しい話
(その1)
会社の食堂に行ったときの話。

お釣りをもらう際に、レジの人がカウンターの上に小銭を落としてしまった。
レジの人、そのコインを取ろうとしているのだが、爪を切ったばかりなのか、うまくとれないでいる。
「お前、どんだけ深爪したんだ」なんて思っていると、その店員、突然カウンターの下を「ガン!」と叩き、その衝撃で浮いたコインをキャッチしてお釣りを渡してくれた。

なるほど。
その発想はまるで無かった。
まさにout of the box thinking (既成概念に捉われない考え方)。



(その2)
それで思い出したのだけれども、まだ入社2年目ぐらいのときの話。
たまたま出張に来ていた某イギリス人が、とある業務プロセスに目を付けた。

「何でこんな効率の悪いやり方をしているんだ」

「いや、どうやら昔からそういうやり方をしていたらしいので・・・」

「なるほど。確かにこの進め方は、当時は正しかったかもしれない。でも、当時と比べて環境も状況も担当者たちも変わってしまった今、そのプロセスが昔と同じように正しく機能するとは限らないだろう?」

目から鱗だった。

他にも「昔からあるやり方で進めれば、昔と同じ結果しか出ない」だとか「間違ったことを正しくやるのはやめよう。正しいことを正しくやろう」など、幾つか心に響くアドバイスを頂いた。

ちなみに、その某イギリス人、今はロンドンの某有名大学で教鞭を執っている。



(その3)
人は「変化」に対して多かれ少なかれ抵抗を示す。
例に違わず、私も「変化」は嫌いだ。イギリスに来たときも、新しい環境やら仕事やらに慣れなくちゃいけないという、その一連の行為が苦痛以外の何者でもなかった。「新しい環境、良いじゃない、楽しいじゃない!」なんて言う人もいるのだが、まぁ・・・無理。先輩の奥さんが作ってくれた弁当ばりに無理。

ただ、「変化」と「前に進むこと」というのは全くの別物だ。
「変化」を起こすことが目的になってしまうと、多くの場合は、ただ状況が混乱するだけで終わってしまう。
一方で、「何かを達成しなければならないから頑張る、だから前に進む」という目的がある場合、「変化」というのは副産物的に発生する「過程」でしかなく、変化が起きる・起きないは然したる問題ではないし、恐らく意識すらしない事象なのだとは思う。

そういう意味で言うと、イギリス赴任は、確かに「変化」という大きな苦痛を伴ったけれども意義のあるものだったのだろう。

ただ、それはあくまでも結果論。
「○○を達成する」という明確なゴールが最初からあれば、もっと早い段階で「変化」を前向きに捉えることが出来たのだろうし、1年強、腐ることも無かったのだとは思う。

そして、ついでだけれども、先輩の奥さんの弁当という「変化」も、何かしらのゴールがあれば前向きに食えたのだろう。ただ、そもそもそんなところにゴールがあるわけは無いし、それを目的として設定するつもりもハナクソ程も無いので、やはりアレは「目的の無い変化」であり、混乱を招いただけであり、故に無意味であったと結論付ける。

ちなみに、先日、たまたまその奥様とお会いする機会があって「またお弁当作ってあげるよ!」みたいなことを言われたのですが、「あのー、いや・・・大丈夫ッス。むしろ、こう・・・大丈夫ッス」としどろもどろになりながらお断り申し上げておきました。


コメント
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