今、自分が見ているこの光景は、当時のそれと全く同じだったのだろうか。
今、自分が感じていることを、当時の人たちも感じたのだろうか。
ヴァポレット(水上バス)に乗りながらそんなことを考えていた。
というわけで、今回はパラツッオ・ドゥカーレについても書きたかったのだけれども、時間の関係上じっくりと見れず、大した写真も撮れなかったので、申し訳ないけれども割愛。
ただ、小さな発見が。
「ドゥカ」というのは「ドージェ(首相・総統という意味で、要するにヴェネツィア共和国のトップ)」という意味らしい。
故に、パラツッオ・ドゥカーレは「ドージェの館」。
加えて、だいぶ前にヴェネツィアの発行していた「ドゥカート」という金貨を見に大英博物館行ったことがあるが、これも「ドージェのコイン」という意味になる。
で、パラツッオ・ドゥカーレを書かない代わりに、ドージェ繋がりで「ダニエリ」を紹介してみたいと思う。
このダニエリ、元々は「ダンドロ家」というヴェネツィアの名家が14世紀の終わりに建てた豪邸。
ダンドロ家と言えば、第41代目ドージェに就任していたエンリコ・ダンドロが有名。第四回十字軍では、自ら軍を率いて十字軍に参加、色々な政治的な理由があったにせよ、コンスタンティノープルを攻撃・陥落し、ラテン帝国を創設、ヴェネツィアの貿易発展に大きく貢献したという功績を残している。
その超名門のダンドロ家、その後もドージェを輩出するなど名門としての地位を保ち続けていたが、ヴェネツィアが1797年にナポレオン・ボナパルトにより侵略されてからは一気に没落、「ダンドロ屋敷」も最終的には人手に渡ることになった。
この「ダンドロ屋敷」、しばらくは複数の人たちが間借りをするような状態が続いたのだが、その間借りをしている内の一人、Giuseppe Dal Niel という人物が "Royale" というホテルを開業。これが大流行し、少しずつ拡張し、今のような形になっている。
ちなみに、このホテル、元々は "Royale" というのが正式名称であったにも関わらず、"Dal Niel" のあだ名である "Danieli" の名の方が世間に広まってしまい、「もういっそのこと Danieli で良いんじゃね?」ぐらいの軽いノリで名が変わったらしい。
というわけで、せっかくなのでホテルのロビーでコーヒーの一杯でも飲んで行くことに。
バール・ダンドロ。
素晴らしいネーミング。
先ほどから写真を紹介しているので、ダニエリの400年の歴史が織り成す内装の重厚さは改めて説明をするまでも無いとは思うが、
やはり、このヴェネツィアングラスのシャンデリアは素晴らしかった。
大航海時代の到来により、その貿易国家としての絶対的な優位性を失ったヴェネツィアが頼ったのがこういう工芸品だった。これが実はヴェネツィアの衰退の始まりの象徴の一つだったのだけれども、そういうヴェネツィア史のしょっぱさみたいなものも含めて、何とも感慨深いものがある。
ちなみに気になるダニエリのお値段なのだけれども、
「地球の歩き方」などを読んでいると一泊900ユーロ(約10万円 = 並牛263杯)ぐらいするらしく、アホかと思っていたのだけれども、さっき調べたところ、時期によっては300ユーロ(4万円弱 = 並牛96杯)で泊まれるらしい。次回のヴェネツィア訪問時にはちょっと奮発してみようかなと思わないでもない。
というわけで、長々とお送りしてきたイタリア旅行記ですが、これで終わりにします。
まだネタっぽいのが幾つかあるので折を見ながら紹介していきますが、クソマジメな内容はこれで終わりにします。
それにしてもヴェネツィア「は」面白かった。
塩野七生の作品に感化されてやって来たヴェネツィアだけれども、やはり小説だけでは読み取りきれないものを十二分に感じることが出来たんじゃないかと思います。
また近々行きたいと思います。
今、自分が感じていることを、当時の人たちも感じたのだろうか。
ヴァポレット(水上バス)に乗りながらそんなことを考えていた。
というわけで、今回はパラツッオ・ドゥカーレについても書きたかったのだけれども、時間の関係上じっくりと見れず、大した写真も撮れなかったので、申し訳ないけれども割愛。
ただ、小さな発見が。
「ドゥカ」というのは「ドージェ(首相・総統という意味で、要するにヴェネツィア共和国のトップ)」という意味らしい。
故に、パラツッオ・ドゥカーレは「ドージェの館」。
加えて、だいぶ前にヴェネツィアの発行していた「ドゥカート」という金貨を見に大英博物館行ったことがあるが、これも「ドージェのコイン」という意味になる。
で、パラツッオ・ドゥカーレを書かない代わりに、ドージェ繋がりで「ダニエリ」を紹介してみたいと思う。
このダニエリ、元々は「ダンドロ家」というヴェネツィアの名家が14世紀の終わりに建てた豪邸。
ダンドロ家と言えば、第41代目ドージェに就任していたエンリコ・ダンドロが有名。第四回十字軍では、自ら軍を率いて十字軍に参加、色々な政治的な理由があったにせよ、コンスタンティノープルを攻撃・陥落し、ラテン帝国を創設、ヴェネツィアの貿易発展に大きく貢献したという功績を残している。
その超名門のダンドロ家、その後もドージェを輩出するなど名門としての地位を保ち続けていたが、ヴェネツィアが1797年にナポレオン・ボナパルトにより侵略されてからは一気に没落、「ダンドロ屋敷」も最終的には人手に渡ることになった。
この「ダンドロ屋敷」、しばらくは複数の人たちが間借りをするような状態が続いたのだが、その間借りをしている内の一人、Giuseppe Dal Niel という人物が "Royale" というホテルを開業。これが大流行し、少しずつ拡張し、今のような形になっている。
ちなみに、このホテル、元々は "Royale" というのが正式名称であったにも関わらず、"Dal Niel" のあだ名である "Danieli" の名の方が世間に広まってしまい、「もういっそのこと Danieli で良いんじゃね?」ぐらいの軽いノリで名が変わったらしい。
というわけで、せっかくなのでホテルのロビーでコーヒーの一杯でも飲んで行くことに。
バール・ダンドロ。
素晴らしいネーミング。
先ほどから写真を紹介しているので、ダニエリの400年の歴史が織り成す内装の重厚さは改めて説明をするまでも無いとは思うが、
やはり、このヴェネツィアングラスのシャンデリアは素晴らしかった。
大航海時代の到来により、その貿易国家としての絶対的な優位性を失ったヴェネツィアが頼ったのがこういう工芸品だった。これが実はヴェネツィアの衰退の始まりの象徴の一つだったのだけれども、そういうヴェネツィア史のしょっぱさみたいなものも含めて、何とも感慨深いものがある。
ちなみに気になるダニエリのお値段なのだけれども、
「地球の歩き方」などを読んでいると一泊900ユーロ(約10万円 = 並牛263杯)ぐらいするらしく、アホかと思っていたのだけれども、さっき調べたところ、時期によっては300ユーロ(4万円弱 = 並牛96杯)で泊まれるらしい。次回のヴェネツィア訪問時にはちょっと奮発してみようかなと思わないでもない。
というわけで、長々とお送りしてきたイタリア旅行記ですが、これで終わりにします。
まだネタっぽいのが幾つかあるので折を見ながら紹介していきますが、クソマジメな内容はこれで終わりにします。
それにしてもヴェネツィア「は」面白かった。
塩野七生の作品に感化されてやって来たヴェネツィアだけれども、やはり小説だけでは読み取りきれないものを十二分に感じることが出来たんじゃないかと思います。
また近々行きたいと思います。