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ブログ的なアレです。

ワークシェアリング、再び(1)

2009年02月16日 | 仕事とか堅苦しい話
ワークシェアリングに関して面白い記事を発見。

電機大手のしみったれた副業解禁に見る、「副業の自由」確立の必要性

山崎元の記事は、物事の本質を捉えた上でロジックを積上げる意見が多いので割りと好んで読んでいる。

それにしてもワークシェアリング。
先日も少し書いたが、やはり他人事ではないというのが実情。
うちの会社でもそういう雰囲気が立ち込め始めており、会社の(日本の)上司とも「ワークシェアがどうあるべきなのか」についてやりとりをしている。

ただ、こうやって色々と書いている割には、不況だとかワークシェアだとかがピンと来ないというのが本音。不況が起きていて、それに対して自分にどういう影響が出て、どういう予防策をとらなければならないのか、と頭では漠然と理解していて、だけれども体感レベルでそれが起きていないので実感が湧いていない。それが自分の身に起きた場合に備えて考えてはいるけれども、何もアクションは起こしておらず、結果的に頭でっかちな考えばかりが膨らんでいくというのが実際のところ・・・あんまりよろしくないな。



そういった反省を踏まえても、前回の記事は、まぁ、改めて読んでみても非常に浅はかな意見だったと思う。稚拙というか、もっと熟考を重ねてから話すべき話題だった。

実は、あれ以降も色々と考えていて、このワークシェアリングについて一つ考えなくちゃいけないのは「立場によってこの問題の捉われ方が相当変わってくる」ということなんだろうなと。

例えば、政府だとか経団連からしてみれば、どうしても「国全体として景気の安定化・底上げをどう図るか」というところにフォーカスがいってしまうのだろう。雇用を安定させなければならない、景気の底上げのために中小企業を守らなければならない、などなど。

企業の視点からしてみれば、市場全体で減少してしまった需要に対して、労働量含めたコストをどうやって適正化出来るかというところが焦点の一つとなるはずだ。会社としてのReputation(社会的な評判・評価)にも関わってくるだろう。

個人ベースで考えると、前回も書いたように、「自分の生活をいかにキープできるか」という話になってくる。要するに、食い扶持を確保しなければならないということ。「今の生活水準を落としたくない」という贅沢な悩みを持っている人も多いだろうけれども。

いずれにしても、三者の利害関係(例えば、給料を落とす側と落とされる側の利害関係)が一致していないので「理解」はしていても「納得」は出来ないという問題があるのではないかと考える。

何かのプロジェクトでもそうだが、プロジェクトとしてのゴールを達成する時には、全員の利害関係が(完全じゃなくとも「ほぼ」)一致していなければならない。これが一致しないと良いモメンタム(良い流れ、慣性)が作れずに、例えばやる気が起きないだとか、恐怖政治で物事を進めなくちゃいけないだとか、離脱者が出てくるだとか、いずれにしても、芳しい結果は出せなくなってしまう。

その当事者たちの価値観が擦り合わされることなく、ワークシェアリングという制度を導入することが、実は無意味というか、危険というか、「百害あって一利なし」なのではないかと考えている。

では、この利害関係はどう一致させれば良いのだろうか。

以前にもチラッと書いたが、どうも「農業」のことが頭から離れない。「この分野で絶対面白いこと出来そうなのにな」という勘が勝手に働いているからだろうか。

(続く)

コメント
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