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ブログ的なアレです。

ワークシェアリング、再び(2)

2009年02月17日 | 仕事とか堅苦しい話
昨日は、国・会社・個人という三社間でワークシェアリングに関する利害関係が一致しないと、協力体制も得られないし、得てして名ばかりの制度が出来上がったり、プロジェクトが頓挫するのは目に見えているという話をした。さらに、農業をキーワードに何か良い方策が無いものかというところについて触れた。

さて、まず話は一旦農業から離れて。
皆さんパチンコ・パチスロはされるだろうか。

自分は、最近でこそやってはいないが、その昔、狂ったようにやっていた時期がある。銀行残高63円とか月末に給料がないからカップラーメンで凌いでいただとか、まさにあの時代。負ければ「次回こそは!」だし、勝てば次回の軍資金になるか、飲み代になるか、もしくは「男の遊び」で消えるか。

今思えば本当にアホだったな。
親が聞いたら泣くだろうな・・・。

そんな自分の黒歴史はどうでも良い。
封印、マホトーン、サイレス。

何を話したいかというと、パチンコ屋の「景品」の話。
パチンコやパチスロで勝つと、玉・メダル数に応じて「景品」に交換してくれる。
例えば、「玉25個 or メダル16枚」でタバコを1箱もらうといった具合に。

景品は、電化製品やお菓子など色々な「物」がメインなのだが、その他にも「金貨が入ったカード」にも交換できる。この金貨をもらった場合は、パチンコ店を出たところにある「換金所」に持っていく。この換金所は建前上は「金取り扱い専門店」。客が持ってきた「金貨」を現金交換するだけという性質のものであって、パチンコ屋が玉やメダルを現金に交換しているわけではない(本質的には何も変わらないけど)。

前置きが長くなったが、この説明をしないと話が次に進まないので。



ここで面白いのが「景品」に交換するのか、「現金」に交換するのか、という話。

都心部では、ほぼ全員が「金貨(要は現金)」と交換をする。
これは、現金の流動性・実用性が挙げられる。現金を手にしてから、すぐに使う場面(飲み代とか娯楽だとか)がたくさんあるという点、さらに景品(例えば電化製品や米)と交換をしても、それを持って変えるのがめんどくさいといった点も挙げられる。それは単に、都心部では「現金の方が現物よりも価値が高い」というだけの話だと思われる。

ところが、住宅街、地方になると景品を「米や野菜」と交換する人が割りと多くなるのだ。これは住宅街、地方におけるパチンコ屋の在り方・価値基準が、都心部のそれとは異なることが挙げられる。

(1)駐車場があるので、米や野菜などの重い荷物の運搬が可能。
(2)米や野菜が割安で交換できる。
(3)電化製品などの景品よりも、米や野菜の方が家族に喜ばれる。

こういった理由により、米や野菜などの現物が、現金同様に価値が高いとされている実態が伺える。

つまり、都心部と地方では「価値観」が違うのだ。



さて、そういったことを踏まえて「農業」に話を戻す。
前回、「社内で発生した遊休労働をボランティアや農業に充てられないか」という話をした。これについて、じゃあ現実的にそうなったらどうなるか、ということについて細かく考えてみた。

正直、農業を手伝うことに関しては問題はなさそうだ。
楽しそうだし、家族がいればそういう時間を共有するのも良さそうだし、社会的にな貢献をしているという達成感みたいなものもありそうだ。当然、自分が知らない世界を体験できるというワクワク感もあるし、あわよくば今後の仕事に繋がるような経験や発見も出来るかもしれない。

が、問題は、野菜を分けてもらう / 社内特売で買う、という点についてだ。
さっきのパチンコもそうだが、勤務地が「歩いて数分」ならまだしも、それを満員電車で2時間かけて家に持って帰るというのはどうもアレだ。さらに、「現金」の方が価値が高い、というのが都心部における暗黙の諒解なので、野菜をもらっても「それなら現金でくださいよ」と言いたくなってしまう。この価値観が変わらない以上は、野菜の特売もあまり意味はなさそうだ。



だけれども、(実感は出来ていないけれども)今は世界同時不況だ。現金も、株も、貯蓄も、不動産も、何もかもが信用が出来ない。それを機軸価値基準と呼ぶには抵抗があるし、現金だけを基準にするのは危ないのかもしれない。

もしかすると、こんな時代だからこそ、贅沢は出来ないけれども、食べるものは確保されているからOK、という価値観があってもいいのではないだろうか。極端な話をしているというのは自分でも分かってはいるけれども、例えば、給料支払いの手段として、現金だけではなく、オプショナルで現物支給があっても良いのではないかと思う。持ち運べないのであれば、会社負担で郵送にしてもらえば良いだけだし、物流量が増えるという前提で、運搬会社に値引きをしてもらえるのであれば、個人も農業も企業も国も、みんな得をする構図が出来上がる(安易な理想論上は)。

そういうことを踏まえると、地方におけるパチンコのような「現物支給」も「絶対に無理」ではないような気がする。むしろ、自分の給料を現金や定期預金口座、そして「現物支給」という形で分散させてリスクヘッジをするという見方も出来るかもしれない。

そういう意味では、農業をある種の投資ファンド的な捉え方をしても良いのかもしれない。農作物の代わりに自分の労働力を投資する。その労働力に見合ったROIが提供されるという仕組み。株主には現金の代わりに現物が配当されるといったところか。ということは、農業が株式化するってことか・・・そこまでいくとやり過ぎな気はするな。他国に真似されたら、瞬時に日本の農業株価暴落するだろうし。



ちなみに「じゃあ、お前、野菜の現物支給されたらどうするよ」と言われたら、そりゃあ多少抵抗はあるけれども、今なら多分OKだ。現金で支払われる給料がどこまで目減りするかという問題はあるが、なんといっても、一人暮らしで自炊をしている身としては、野菜が安くて済むのは助かる。野菜なんていうのは高いし、日持ちも悪いし、なんというか一番効率が悪い食材だったりする。だから、例えば週ごとに野菜がもらえるというのであれば、買い物の手間も省けるし、食費も抑えられるし、うん、良いんじゃないのかな。家族がいたら、多分、それはそれで喜ばれると思うし。というか、それを喜んでくれるような奥さんを見つけなくちゃいけないんだけれども、その話をし始めると自爆するだろうから、それは置いといて。



話がだいぶ逸れたが、ワークシェアリングに話を戻すと、要するに異なる立場(国・企業・農業・個人)では、異なる価値基準が存在し、その中で利害関係を擦り合わせなければならないという問題が存在している。そして、現在の世界動向を鑑みた場合に、個々人が従来の価値基準(特に現金など)の是非を見つめ直して、フレキシブルにシフトさせなければならない・・・というか、半ば強制?矯正?される日も来るのではないだろうか。

また、ワークシェアリングというものを、単に「制度の導入」ではなく、ある意味での「文化・価値観・考え方の変遷」という枠組みの中における一つの「取り組み方」として捉えられるべきなのではないか。ワークシェアリング以外にも、そういう価値観のシフトを迫られる取り組みが今後出てきそうな気はする。

少なくとも、今のこの時流は「給料の増減」という一側面だけで捉えていると、何か大きく計算間違いをして足元を掬われそうな気配がする。

・・・考え過ぎか。



という感じで。

いつも思うんですけどね、こういった真面目な話を書いていると、色々と思いついちゃって、ついつい話が長くなるんですよね。あとは「思いついたベース」で書き殴っているだけなので、後々読み返してもよく分からないことがあったりするんですよね。加えて内容が浅い。

多分、今回も(長文のくせして)極めて浅い内容を書いていると思うんですが、引き続き色々と考えながら、自分なりの結論に達することが出来ればなと思っています。それをブログに書くかどうかは別として。

というわけで、長文につき申し訳ないです。
例によってアレをナニして頂ければ幸いです。

コメント (4)
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