西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

「未完成交響楽」

2008-05-10 23:57:14 | 音楽一般
今日、シューベルトに纏わる映画「未完成交響楽」を見ました。2度目です。以前ビデオに収録したものを、探し出して再び見たということです。80年代の始め頃テレビから録画したようです。今のDVD収録などに比べれば画質などは年月も経ちぐんと劣るでしょうが、ノイズなどもなく楽しむことができました。この映画は、1933年の映画ということで、白黒です。このような昔の映画を見ると、今のカラーのに比べればその点で「劣る」ということなのでしょうが、不思議とこのような考えには少しもならず、優れた映画として楽しみました。勿論この映画を見ることになったのは、今回の「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭の影響でしょう。シューベルトに関する映画としては「野バラ」(タイトルはこれでいいのか?)というのもあり、これもいい映画だったと思います。我がビデオ蒐集にあるかどうか。探してみたいと思っています。

この映画は、いわゆる「未完成」交響曲が未完成に終わったことをテーマに、それをシューベルトの恋と絡めて扱ったものですが、ここで扱われていることは全くのフィクションと言っていいでしょう。この映画は「フィクション」として楽しめばいいのです。なぜこの音楽史に残るべき「未完成」交響曲が未完成に終わったのかはいまだ十分には説明されていないように思います。私などは、第3楽章がスケッチが残されていて、オーケストレーションも9小節目までなされている(映画はここまでの演奏が何度か聞かれました)ので、シューベルトは、本来これまでの交響曲同様4楽章作品として完成させようとしていたのだと思います。それが、思うように作曲の筆が進まず、そのまま忘れ去られたということではないかと思います。シューベルトにとっては、その後に続く作品は次々と生み出されていったのですから。そして、2楽章だけでもその素晴らしい内容からしてまた時間的にもハイドンなどの交響曲の4楽章分はあるしということで、今頻繁に取り上げられているのだと思います。勿論これでは少しも説明にならず、なぜ筆が進まなく忘れるまでになったのか、ということを言わねばならないと思う人も多いでしょう。第1・第2楽章とも3拍子であり、行き詰まりを感じたなどという説明を読んだことがありますが、はたしてその説明も十分なものと言えるのか。

シューベルトは交響曲をいくつ書いたのか。またそのナンバリングはどうあるべきか。先日の音楽祭で、第7番「未完成」、第8番「グレイト」となっていました。私がクラシック音楽に興味を持った頃、「未完成」は第8番で、「グレイト」は9(7)番となっていました。私にとっては「未完成」は第8番なのですね。余計なことですが、高校時代、年度の最後に担任に対するイメージを生徒全員が書くというのがありましたが、その中で、ある生徒が、シューベルトの第8番と書いたのを思い出します。「未完成」というわけです。私だけでなく、「未完成」は第8番なのです。

最初に戻りますが、シューベルトは交響曲をすべて断片などを拾って13曲書いたと考えます。D(ドイッチュ)番号の82,125,200,417,485,589が第1番から第6番であることは問題ないでしょう。4番には《悲劇的》というニックネームが付いています。すべて4楽章で1813年から18年までに書かれました。ここまでの番号付けは問題ありません。
次に断片・スケッチ状態で残されているものを見ると、次のようになります。
D615 交響曲 ニ長調 1818年作曲
D997(新D2B) 交響曲 ニ長調 1811年?または1812年頃作曲
(新D708A) 交響曲 ニ長調 1818年または1820年以降作曲
(新D936A) 交響曲 ニ長調 1828年?作曲
以上の4曲については、若い頃の作品断片であるD997以外はその断片などの状態で録音が行われています。マリナーの全集が最初だったと思いますが、これは実に有難いことです。
すると残り3曲となりそうですが、ここで幻の調性不明の《グムンデン-ガシュタイン》交響曲というのがあるのです。ですからあと4つの作品を考えます。
1821年に4楽章からなるホ長調の交響曲を書きましたが、シューベルトはこれをピアノ譜のみのスケッチとして残しているだけです(D729)。これを後にワインガルトナーがオーケストレーションして完成させました。1934年のことです。これが第7番(4楽章)で、今日そのワインガルトナー版を聴くことができます。次がその翌年の1822年に作曲された有名なロ短調の《未完成》交響曲(D759)です。ですからこれが第8番となります。普通に演奏されるのは2楽章ですが、第3楽章のスケッチはあるし、さらに第4楽章を追加し4楽章構成のものと考え、この復元した形で録音もなされています。(ここまでの復元はかなり無理があると思います)次の第9番が1825年に書いたとされる《グムンデン-ガシュタイン》交響曲(D849)です。これはスケッチさえも全く伝えられていません。調性不明ということです。そして最後第10番になるのがハ長調の《グレート》と呼びなわされるD944の交響曲である。ということで、《未完成》は第8番、そして《グレート》は第10番です。
以上述べたのは、シューベルトの研究家アルフレート・アインシュタインがその優れた著作「シューベルト」の中で示した考えによるものである。
時代が遡り、1839年シューマンは長大な交響曲《グレート》を発見し、49年に出版された。この時まだ6番までしかシューベルトの交響曲は知られていなかったので当然第7番となったのだった。そしてその後1865年に《未完成》が発見され第8番となった。結局、シューベルトは8曲の交響曲を作曲したということで落ち着いてよかったのだろうが、ここでホ長調のスケッチで残されたもの(D729)が浮上してきた。それで作曲年代も考慮され、第7番ホ長調(D729)、第8番ロ短調《未完成》、第9番ハ長調《グレート》となった。ここでも《未完成》は第8番である。その後さらに、シューベルトの交響曲には《グムンデン-ガシュタイン》交響曲と呼ばれる紛失されたと考えられる幻の交響曲があることが作曲者の手紙などから推測された。1825年7月から8月にかけて作曲されたと考えられた。それで、これが第9番となり実体はなく失われた交響曲というわけである。そのため、《グレート》は第10番と一つ番号を下げたというわけである。これで、《グレート》は7番・9番そして10番の番号を与えられたことがわかる。《未完成》は8番と不動である。
ここに最近の研究が加わり次のような修正を受けることになった。
研究成果というのは、《グムンデン-ガシュタイン》交響曲と呼ばれるものは存在せず、《グレート》がそれに当たるということである。つまり長らくシューベルト最後の年1828年3月以降の作曲と考えられていた《グレート》は1825年3月から翌年26年の作曲ということである。またD729ホ長調の交響曲(スケッチ状態のもの)は、一つの作品として扱うのは不可能とのことから交響曲作品から削除すべきということである。それで、現段階では最終的に、第7番「未完成」、第8番「グレイト」となっているということである。ここではじめて両作品に新たな番号がふられたということである。これが先の音楽祭で割り当てられた番号ということになる。

ここで話を終わりにしたいところであるが、1986年から87年にかけてアバドがヨーロッパ室内管弦楽団と共に録音した「シューベルト交響曲全集」にはさらに管弦楽曲の大曲が録音されている。4楽章からなる《グラン・デュオ》である。これは元々は4手のためのピアノ・ソナタ ハ長調(遺作) 作品140(D812)でヨーゼフ・ヨアヒムがオーケストラ編曲したものである。ヨアヒムは、「グムンデン-ガシュタイン交響曲」の原形をこの作品と考え編曲したのだった。

シューベルトの交響曲のナンバリングは以上のように落ち着いたが、それでは年代順につけたD番号900番台の交響曲は一つもなくなってしまうことになる。私にはどうしてもあの偉大な「グレイト」交響曲(D870~880くらいの番号となるだろう)は、どれも重要な作品が並ぶ900番台の作品と考えなければ収まりがつかないように思うからである。

久しぶりに、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴く。
アシュケナージ(LP)で第15番と第16番。