渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

カウリング

2023年08月01日 | open



マンガの絵空事ではなく、大昔、
この手のカウリングがレースの
世界で存在した。
だが、高速になり過ぎるとの事
でレギュレーションで禁止と
なった。
以降は「前輪をカウルで包んで
はならない」となった。
それは現在でも続いている。
だが、現代ではウイングが登場
し、レースマシンに装着される
ようになった。
レギュレーションの盲点を突い
ての「安全装置」として。
メーカーによっては、カウル前面
にカラーボックスのぶち抜き
ような大型ウイングを左右に着
けているマシンもある。
ダウンフォースを得る為だろう
が、旋回中とかのフロントの
セッティングはどうなるのだ
ろう。

一般公道車両でも、カウリング
の効果は60km位から確実に体
感する事ができる。
エアロ効果で風圧が乗り手に
当たらないので、かなり疲労
が軽減される。整流効果だけ
でなく、そうした面はかなり
安全に繋がる。
高速道路などでは、ネイキッド
とカウル付モデルでは歴然たる
差がある。
これは実際に乗り比べると即座
に体感できるだろう。

フロントフォークにハンドルバー
をダイレクト装着のクリップオン
=セパレートハンドルが「低い
位置ゆえ前傾姿勢の為疲れる」
という事は絶対に無い。
あるとしたら、それは根本的に
セパハンマシンの乗り方を間違
っている。明らかな間違い。
オートバイはハンドルには荷重
させない。ハンドルは体重支え
の棒ではない。ハンドルは荷重
させずに操作の為に保持をする。
旋回時のセルフステアの引き出
しの為だけでなく、適正乗車運
転姿勢の確保の一つでもある。
腕立て伏せのように腕を突っ張
ってセパハンに上半身の体重を
乗せる事などは常識的にあり得
ない。パハンモデルの二輪の
乗り方は。
前傾姿勢のまま、両手を離して
も上体が前に倒れ込まないよう
に下半身でマシンをホールドす
るのが正しい乗車姿勢だ。
タンクにベタ伏せの時は、上半
身の体重はタンクに預ける。
手でハンドルに体重を乗せたり
はしない。



前傾姿勢は腹筋と背筋と腰回り
の筋肉を使って行なう。
脚、膝、足、尻でマシンをホー
ルドする。尻は路面感知のセン
サーとしても機能させる。
ステップにはだらんと足を置い
ていたりはしない。
それらの事を得る物理的な身体
構造の原則から、直線で爪先が
外に向く事もあり得ない。
ドテッと足を置いているだけだ
と爪先は外に向く。膝と共に足
先も内くるぶし下の踵もキュッ
と締めて、さらに足裏でステップ
を掴むようにするのだ。
当然、身体機能的に、背骨を伸
ばしていては腰に負担がかかり
すぎて、適切な前傾姿勢の保持
は不可能になる。
この上の画像の女の子のように、
背骨は骨の作りを利用して自然
に軽く曲げて上半身の重量と加
速や減速でのGに対処する。
肘は脱力させてぶらぶらだ。
肘を横に張るのも✖️。
鳥山先生は実に細かいところが
よく解っている。

映画『初恋』(2006年)

2023年08月01日 | open

予告編
 

名作。
主人公の関係者がどんどん国家
権力によって消されて行く。
そういった時代の中、真実の
恋にすれ違いながらも向き合っ
た男女がいた。
そのある一つの物語。

主人公みすずは、私の10才年上
の女子高生だ。


夏の水辺

2023年08月01日 | open


今の時期、海・川・湖沼・プール、
水辺事故には充分にご注意
ください。

川端康成

2023年08月01日 | open
 


川端康成の作品表現の側面から
の作者の心的境地を三島由紀夫
は深く理解しているなぁと感じ
る。
ただ、川端ー福永武彦ラインに
分が連なる文学系譜にいる
とは、三島自身は自覚しては
いなかった
のではなかろうか。
ただし、三島は作品が作者の生
き様の反映ではなく、作品自体
は作者から独立した創作物と
て存在させた。楯の会の三島が
作家の三島ではない。三島由紀
夫がペンネームであるように、
三島の作品は平岡公威ではなく
三島由紀夫が書いた。
現実世界との接点を綴るのでは
なく、現実世界と折り合わない
自分との対峙格闘を常に自己内
部で試みた文学が三島文学だっ
た。
そして、川端ー福永ー三島ライン
の系譜には赤江瀑が確実に入る。
ただ、これらは文壇評論に於い
て人口に膾炙される事であり、
実際のところは、川端康成は
川端康成として生きた。
これは、小林秀雄や中原中也
同じ生命の使い方だったと、

は感じる。
川端康成 - Wikipedia

川端康成 - Wikipedia

 

 
 
 

純愛 〜川端康成と伊藤初代〜

2023年08月01日 | open
 


川端康成の小説はすべて実体験
がベースになっている。
商業売文が目的ではない純文学
は、そうした骨子があるのでは
なかろうか。
これは日本独自の曲である日本
フォークの歌詞などでも特徴的
な要素であり、喜多條忠の詩に
はそうしたコアが成立の中心に
ある。
それゆえ、極めて文学的なのだ
ろうし、人の心に肉薄する詩を
作れるのだろう。
ハタチの一高(のちの東大)生だ
った川端康成は、13才の薄
幸の
カフェの女給の初代(はつよ)
出会った。
東京府内で江戸期の茶屋のお仙
のように若い男性たちから大

だった初代だったが、川端
真剣に思い、22才の時に
15才
の初代にプロポーズし、
してした。
初代も川端への
数年来の密か
な思いが実ると
幸せを感じな
がら、ゆえあって転居先の岐
阜から早く東
に戻って川端
と暮らせる日を
熱望する事が
残された手紙に綴
られている。
だが、預けられた転居先の岐阜
寺で、初代の養母の立場にあ
る東京のカフェ時代のマダムの
実家にいる内縁関係にあっ
僧に、やがて処女だった少女
の初代は強姦されてしまう。
川端は友人を伴い、岐阜まで
初代に会いに行き、求婚して
婚約したが、養母の姉と内縁の
夫の僧はそれを快く思っておら
ず、終始反対し続けた。寺では
初代に左官工事までさせて、
川端が初代に再会した時には
白魚のようだった手は荒れ果て
ていた。
寺で女中のようにこき使う事を
させていた僧は、川端との結婚
を反対し続ける挙句の果てに、
初代を強姦したのだった。
そして初代は川端と互いに強く
思い合う中、心の純潔を守る為、
一方的に川端に別れを告げたの
だった。突然「非常な事
ゆえ」
私はいなかったものと
お思い
ください、との手紙を
送って。
川端は東北の初代の実父にまで
会いに行き、東京での新居の
部屋を借り、家財道具も整え
た矢先の事だった。
川端康成、22才の別れだった。
どん底まで憔悴しきった川端の
その後の文学人としての作品
は、
初代との数年間の時間と
挫折が
強く影響した。
それは、川端が
別宅として
購入していた逗子マリーナ
の自室で独りきりで死ぬ
まで。

透徹した清純さ。心の純潔。
それは男女の仲にあっても肉体
関係などという俗欲を超越する。
日本文学の美しさは川端に代表
される心の透き通る清冽さを
作り物ではないところで表現
する事により成立する。
現代、純文学が若者たちに読ま
れなくなったのは、それなりに
読み手の側に読む、読み取る資
質が失われたからだろう。
川端康成の満ち足りた時間と
失われた人の存在、それの体験
は、その川端の実体験そのもの
が純文学そのものであった事
表していた。
 
川端康成の婚約者初代。


この下のネット百科の初代に関
しての記述は、文学に携わっ
者の記述である事が読み取
れる。
この説明文さえもが、ひとつの
文学のような、実話を時系列を
整理したものとして正確に記述
されている。
創り物ではない真実の姿を文に
より表現している。
このネット百科の記事自体が
すでに純文学的だ。
読む者の心を揺さぶる真実を
ペンにより描く域に達している。
「小説作品」ではない実話ドキュ
メンタリーの解説文章なのだが、
読む者の心に肉薄する筆致は、
それはその文章自体が真実を
脚色する事を回避しつつ、文芸
評伝として誠実に描写
している
からだ。
そして、文学の根幹を弁えた、
売文ではない日本の文章の美し
さを川端と同じくこの説明文
も見る事ができる。
川端文学と日本文学を知る者で
ないと、こうした説明文を生む
事はできないだろう。
伊藤初代 - Wikipedia

伊藤初代 - Wikipedia