川端康成の作品表現の側面から
の作者の心的境地を三島由紀夫
は深く理解しているなぁと感じ
る。
る。
ただ、川端ー福永武彦ラインに
自分が連なる文学系譜にいる
とは、三島自身は自覚しては
いなかったのではなかろうか。
自分が連なる文学系譜にいる
とは、三島自身は自覚しては
いなかったのではなかろうか。
ただし、三島は作品が作者の生
き様の反映ではなく、作品自体
は作者から独立した創作物と
して存在させた。楯の会の三島が
して存在させた。楯の会の三島が
作家の三島ではない。三島由紀
夫がペンネームであるように、
三島の作品は平岡公威ではなく
三島由紀夫が書いた。
現実世界との接点を綴るのでは
なく、現実世界と折り合わない
自分との対峙格闘を常に自己内
部で試みた文学が三島文学だっ
た。
そして、川端ー福永ー三島ライン
の系譜には赤江瀑が確実に入る。
ただ、これらは文壇評論に於い
て人口に膾炙される事であり、
実際のところは、川端康成は
川端康成として生きた。
これは、小林秀雄や中原中也と
同じ生命の使い方だったと、私
は感じる。
同じ生命の使い方だったと、私
は感じる。