渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

鍛えの不思議

2023年08月17日 | open


鍛え:私

無垢鍛えなのに切断してみると
アラ不思議。
さて、何故こうなるのでしょ
か。
答えられる人は、無垢の真鍛え
鍛え方を知っている人。

映画『キャバレー』(1986)

2023年08月17日 | open
 


1986年作。

 

『彼のオートバイ.彼女の島』と
併映だった。
劇場ではかなり楽しめた。
主演の野村宏伸のみが超大根で
他は全て名優が出演してしてる
という角川監督の作品。
映像は飛び抜けて美しい。
全てのカットが「絵」になって
いる。
 
1986年公開時、これを観て横浜
のこういうワンルームの風呂無し
の古いアパートメントに住みたい
とマジで思った。
ハマ在住だが、その時は高台に
ある2DK風呂付きに住んでいた。




スターシステムで角川スターを
ちょい役で総出演させている。
街のカフェのウエイトレス役は
薬師丸ひろ子が演じている。











端役なのに演技しすぎで、この
シーンでは薬師丸ひろ子がメイン
になってしまっている。

本当に絵が美しい。
これはあのブルー感光フィルム
を使っている。
世界で初めて角川春樹が1982年
の『汚れた英雄』で使用した。
キタノブルーなどは角川ブルー
の二番煎じだ。これガチの歴史
的事実。








三原じゅん子がめちゃくちゃいい
女の
役を演じている。
キャバレーの歌手役だ。
吹き替えかも知れないが、歌が
とんでもなく上手い。
そしてやはりジャズシンガー役
の角川娘渡辺典子が本物の吹き
替えかと思える程に歌が上手い。
同時公開の『彼のオートバイ.
彼女の島』での歌手ぶりはたど
たどしさがあったが、本作の
ステージでの歌いっぷりが吹き
替えではなかったとしたら、あれ
は演技の中の演技だったという
事になる。となると渡辺典子は
新人ながら実力派名優だ。
そして三原じゅん子も演技が極め
て良い。哀しくピュアな女を名演
で演じ切っている。ほんと巧い。
国会議員などよりも俳優を続け
ていたほうが良かったのではと
さえ思える程に良い。レーシング
ドライバーでもあるし、彼女は
多くの技をもつ才能保有者の一人
だろう。
歌えて演技ができて走りも鋭い。




原田知世も出ている。
大学の先輩の真田広之にプロ
ポーズされるが、本当は野村
に心を寄せている。
 
主人公は城南大学に通う大学生
で田園調布に住む社長子息だ。
だが、大学でのおぼっちゃま
JAZZが本物ではないと感じ、
あえて裏寂れた街のキャバレー
でサックスを吹く生活を送って
いた。
そして、そこに街の暴力団同士
の内部抗争が絡んで来る。
 
この作品、映像がどのシーンも
最高に良く、役者の演技も素晴
らしい。三原じゅん子も良い。
ただ一つ。
主役の野村宏伸が史上最低レベル
のド大根だ。
『彼のオートバイ.彼女島』の
主演二人が天下の名演に思える
程に。
私がこれまで観た全邦画の中
一番のド大根。しどいとかの
を超えている。
他の出演者は素晴らしい演技を
見せる。
特に、鹿賀丈史と三原じゅん子と
倍賞美津子。唸らせられる演技
なのだ。
39才の倍賞美津子がこれがまた
いい女。演技も最高。
 
 


映像が美しく、役者の演技も
冴える楽しめる映画作品です。
主役の台詞シーン以外。

走れる俳優

2023年08月17日 | open



きちんと走る事ができる俳優は
意外と少ない。
現代では清野菜名や綾瀬はるか
がきちんと走れる俳優だ。
男では80年代から柴田恭平とか。
きちんととは、正しい走り方で
疾走できるという事だ。
これ、実はできない俳優だらけ
という現実がある。

1980年代の薬師丸ひろ子はどの
映画でも走るシーンがとても
い。
しかも、本格派の走り方をする。
だからやたら走るシーンを多用
れるのかもしれない。
彼女は実は運動神経抜群で、
棒で大車輪ができる。
演技派女優だが、本当のところ
はアクションも存分にこなせる
稀有な俳優なのだ。













演技者の特性

2023年08月17日 | open



飲み屋で演劇論をぶっている
俳優に名優はいない。

2023年08月17日 | open



昨日はカンカン照りだったのに、
けさは夜明け前から雨である。

青い瞳のステラ 1962年夏...

2023年08月17日 | open

青い瞳のステラ 1962年夏...

1962年といったらこの翌年だ(笑)。
1961年4月、新宿御苑にて。
生後1年未満0歳児。
生まれて初めて二足で立ち、
歩行した瞬間を撮影された。
あんたに教わったちょっといかし
たステップではなかったろうが。
いきなり立ってトットットと
歩き始めたという。
私はハイハイを一切しなかった
らしい。
母の手作りの幼児服を着ている。

この新宿御苑での二足歩行開始の
翌年の1962年に、私は生まれて初
てオートバイに乗った。
とてもよく覚えている。


当時の二輪初乗車の状況を母に
話したら「よく
覚えてるね」と
驚いていたが、
記憶というものは
映像的視覚的なものだけ
でなく、
音の記憶としても心に
刻まれる。
映像と音は刻まれたらなかなか
消えない。
臭いの記憶はそれらよりは薄いが
匂いの記憶も存外残る。
1976年頃の国道17号中山道志村
坂上駅付近は、なぜか
パンケーキ
を焼く匂い、植物性のカストロ
ール
2ストオイルが焼けたサーキットと
同じ甘い匂いで充満していた、等々。
原風景 - 渓流詩人の徒然日記

原風景 - 渓流詩人の徒然日記

ヤマハYDS1私が生まれて初めて跨って同乗して走ったオートバイはこれ。まだ2才になるかならないかの頃の事だ。その時の状況と、その場にいた運転者と母の会話もよく覚えてい...

goo blog

 

私の名は、日本語とイタリア語を
ミックスすると「良いオートバイ」
である(笑)。
あるいは「幸せの自動二輪」。
I was born to ride.


革ジャン

2023年08月17日 | open
 
9才、横浜。
当時、人造皮革のジャンパーと
いうのは日本にはほとんど無か
った。
靴は東京オリンピック後にクラ
リーノがあったが、他社が参入
するのは1970年万博あたりから
だ。アメリカンクラッカーが
流行った頃から。
ゆえに革ジャンは本革のジャン
パーしか見かけなかった。
革製品は今ほどは高くなかった。
小学生の時から革ジャン愛用
だったが、防寒用というよりも、
冬場のアイススケートの屋外
リンクでの防護用という目的
で着ていたことのほうが多かっ
た。
レザーウエアは保温の工夫を
しないとならず、革自体の防寒
性はかなり低い。
オートバイ乗りが革を着るのも、
本革のウエアが防風性と対擦過
性に優れているからだろう。
防風性の高さは間接的に防寒に
繋がるが、保温性は低いので
防寒の為には革だけでは駄目で、
インナーや綿入れが必要になる。
ロードレースでは革ツナギ着用
がレギュレーションで決められ
ているが、それは本革を超える
人工合成繊維が21世紀の今でも
発明されていないからだ。
アスファルト路面での擦過に
堪えるのは本革でないと駄目。

阪神マジック点灯

2023年08月17日 | open





阪神強し。
広島は自力優勝が消えた。