渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

海外講習

2023年08月07日 | open













友は今、ネーデルランドで講習。
刀屋ケイちゃん。

海外にいても、毎朝「おはよー」
の連絡が来る。時差を計算して。
国内では互いに早起き合戦み
たいな(笑
もう30数年来の付き合いだ。

指定席

2023年08月07日 | open
 


帰宅すると、私の席でいつも
寝ている。
おーい、と呼ぶと眠そうに目
覚めて見上げるが、どく気配
は無い。
どうやら、私ではなく黒猫ベン
ベンの指定席になったようだ。
ま、いいかと、やむなく、あ
しはベンチに座る(笑

毛筆と花押の日本文化

2023年08月07日 | open


大昔の職場で、新人雇用の際
の人事に関わった時、世の中

いろいろ変わった人がいるの
だなぁとつくづく思った。

履歴書の自分の写真を証明写
真ではなく、ポートレートの
ようなスナップ写真を貼って
きたり、中には何を意図して
か日傘をさしてポーズとって
る写真を貼付してくる人もいた。
それらの人たちは有名な大学卒
の人たちだった。

なんとも学力と社会的常識と
いうのは比例していないのだな、
と実感した。

履歴書で青ボールペンなどで
文字を記入している人は、その
時点ではじかれる。
また、文字も巧拙よりも「丁寧
に書いているか否か」を見る。
自分が職業に就けるか否かの
第一関門である履歴書でぞんざい
な文字を書いている人は、これ
もその時点でアウトと人事部は
判断する。
信じがたいが、緑色のボールペン
で履歴書を書いてきていた人も
いて、私だけでなく、採用担当
の弁護士たちもあきれ返ってい
た。1回の応募者数百名の中には
そのような人たちも存在したのだ。
しかも毎回そういうのがいると
いうのは、1980年代当時にすで
に「大丈夫か日本の将来」とい
う感があった。


日本はいつからか欧米では一般
的ではない印鑑文化となってい
るので、公式文書の自署の横に
は印鑑を押印(おういん)する。

古代など元来は国家元首クラス
が押印していたが、江戸期以降、

特に明治から後は印鑑が認証と
して一般化しているようだ。

だが、かつては日本も現在の
海外と同じような「サイン」が
認証として普及していた。
それが「花押(かおう)」で
ある。


かつての仕事で、古い法律の
成立経緯を調べる時に最高裁
図書館に赴いて調べ物をして
いたら、国会議員たちは署名
のあとに花押を書いていた。
明治の元勲である山縣や伊藤の
直筆花押も国立公文書館で資料
調査している時に原本を見た。
各々特徴があって実に興味深か
った。

国会議員の花押については、内
閣(現在の内閣については私は
不知)就任の際の署名のあとに
全員が花押を書いていた。
江戸時代に、武家から農民の村
落公式文書に至るまで使用され
ていた花押は、現在も「公式」
に使われているのである。

面白いところでは、私的には現
在でも花押は国会議員だけでな
く民間でも使用されている、と
いう状況がある。

私の以前の職場でも九州に赴任
している取締役などは自分が出
す文書の自署のあとに花押を書
いているし、実は亡くなった前会
長も花押を常用していた。現会長
は花押という感じではないが、
独特のオリジナリティある崩し
文字の漢字一字で回覧資料にサイ
ンしている。
会長は公式文書には印鑑を押印し
ていたが、この崩し字一字もある
種花押の一種といえるだろう。


私の場合、ほとんど花押を使う
場面は少ないが、一応それなりに
私の個人を表す花押は持っている。

これがかつて使っていた花押。

武術流派の師匠に起請文を差し
入れた時の花押はこれ。


戦国時代の武将たちの花押を
研究すると実に面白いが、徳川
家康が天下を獲ってからは、
こうした家康系のシルエットの
花押が一気に流行している。
私のこの花押も家康系の形状と
いえるだろう。

真一文字に一本真横に「一」の
線を引いている系統の花押は、
ほぼどなたも江戸期に流行した
家康系の花押の影響を受けている
といっても過言ではないだろう。


ただ、足利時代から将軍家の腰物
方に関与した本阿弥家では、徳川
の世となってからも家康系の花押
をあまり使っていない。

日本刀のナカゴにも金象がんなど
でよく見られる本阿弥の花押は、

どの世代も独特の大らかなのびや
かさがあって私個人は好きだ。
花押自体がアートしている。


花押は固定化させるものではなく、
昔は真似されないように時代と

共に変化させて行くのが一般的だ
った。

私も2005年あたりから、実名
(諱=イミナ)の一字をもじった
花押に変えることにした。

通称(戸籍上の名)の横に実名を
もじった花押を書く。

それがこれ。


これも、江戸時代などであるなら、
通称(○○左衛門とか○○之介とか
の通り名)ではなく実名(元服後
のイミナ=漢字二文字)の横に花
押を記すのが正式だろう。
江戸期には決して人を実名では
呼ばない。大変失礼にあたるから
だ。
徳川家康を「家康」などと呼んだら、
それだけで首が飛ぶのではなかった
か。
家康は「権現様」であり、将軍の
ことは「公方様」であり、柳生な
どの大名も実名では決して呼ばず
に「但馬殿(様)」などの役職・
官職名で呼んだ。

しかし、現代では、古典芸能や古流
武術の宗家以外は実名(イミナ)を
使用するケースは少なく、一般社会
ではなじみも薄い。

実名でいえば、新陰流の尾張柳生家
は現在に至るまでも戸籍名とは別に
実名=諱(いみな)を使っており、
厳(とし/江戸柳生読みは「よし」)
という文字が石舟斎どのから連綿と

続く通字である。徳川の場合は「家」
が通字である。徳川家の場合は柳生
家とは違い、「家○」という実名を
明治以降は戸籍登録名にも使用して
いるようだ。

小笠原流流鏑馬では今でも諱まで
名乗りを放送している。
あと、別な領域では、陶芸などの
芸術系では作品の箱書きの時に

作家は自身の花押を使っていたり
するようだ。


花押。
現代でも生きている日本独自の
文化である自分のサイン。

思いついた自分自身のオリジナル
の花押を作ってみるのも面白い
だろう。

日本人としてのアイデンティティ
の象徴が花押でもあるし、日本人
しか使えない和風のオリジナリ
ティなのだから、日本人で花押
を持っていないという手はない。
「どんなデザインでも自由」と
いうのも魅力だ。
家紋は家についてまわるし変更
も基本的に不可だが、花押は個
人で自由に自分で選べるのが室
町時代からの日本人の伝統だ。

明治以降に変なことになる前の
日本というのは、限定的ではある
にせよ結構自由があったし、諸
個人のオリジナリティや個性を
尊重していた。

それが近代全体主義で変な事に
なっちまったんだよなぁ・・・。

ごく最近の傾向としては、役所
はじめ本人印鑑が無くともサイン
のみで通用するようになってきた。
良い傾向だと感じる。
印鑑などは、作れば誰でも使えて
しまうからだ。誰でも買える
三文判などは意味不明だ。
自筆サインのみは本人でないと
書けない。骨董品等の箱書きや
鞘書きの偽造のプロでない限り。
私はカードの裏書なども、外国人
や他の日本人には真似できない
だろう筆記で記している。文字で
あるが絵のような。

私の毛筆での鞘書きはこんな感じ。


私が仲介していた刀剣発注書の
銘の私の下書きはこんな感じ。


欧米にはない文化が日本には
ある。
それは書だ。
文字を書く事自体が、コミュニ
ケーションツールとしての文字
としてだけでなく、そこに芸術
性、美術性、個性を表現する事
が日本文化では可能だ。
つまり、文字がアートになる。
書体としての字の巧拙ではない。
オリジナルの個人の個性を表す
ものとして日本人には書がある。
欧米にはそうした文化は無い。
文字は単なる伝達方法の記号だ
からだ。
日本語は中国から文字を輸入し、
独自の片仮名と平仮名と万葉仮名
を日本人自身が発明した。
そして、その日本人の文字は、
それ自体がアート足りえる要素
を具備している世界稀有の文字
として存在している。
これをただの伝達記号のみとして
しまうのは実に勿体ない。
文字を書くこと自体を楽しみ、
また自己表現をする。
そうした事は日本人にのみたま
たま与えられている特権だ。
外国の文字は、漢字を使う中国
を除いて、韓国も欧米も文字自体
をアートとする文化は無い。
また、漢字の母国である中国で
さえも、現在では漢字を記号と
してしまっている。
日本の文字は世界で唯一独自の
アーティスティックな面を強く
持っている。
日本人は日本の文字をもっと
楽しむと、人生の豊かさもワン
プラス増えるのではなかろうか。


万年筆

2023年08月07日 | open



以前、東京本社に来た仲の良い
福岡の取締役と私の本社デスク
脇で万年筆の話になった時、取
締役が「これ、あげるよ」と自
分が使っていた万年筆をスーツ
の内ポケットから出して、私に
くれた。


パイロットのグランセ/ブラック
&ブルー。

ペン先は14金になっている。
欲しかったが、すでに廃番なので
諦めていた。忝し。

今も大切に使っています。
ありがたく、形見として(違


ヘルメットのデザイン

2023年08月07日 | open
 

ある年から毎回ヘルメットと
レーシングウエアを新規デザ
インにしていたイタリアの世界
チャンピオン、バレンティーノ・
ロッシ。
このヘルメットのデザインは
可愛かった。
雪の降る街。
弾けたデザインが多かった彼の
ヘルメットデザインの中でも、
これはファンタジーのメルヘン
チックで、戦闘交わすグランプリ
にあって、ほげほげ系で面白かっ
た。
まるで、サンリオのヘルメット
みたいだ(笑
 
それでもイタリア。芸術の国。
日本やアメリカには無いセンス
と感覚で世界のファッション
界をリードしているのもイタリ
アだ。
それとイタリアは家具も素晴ら
しい。
ヨーロッパの文化はルーツを
辿るとイタリアローマに行き
着く。
フランスなどはナイフとフォー
クなど存在感せずに手づかみで
食事していた。
食器をイタリアを真似て導入
したのがフランスだった。
今でこそフランス料理は世界的
だが、元来中世あたりまでそん
なものは無かっ
た。フォーク
さえ無いのだから。しゃもじの
ような用具で壺をかき混ぜる
ごった煮のような料理しかフラ
ンスにはなかった。
イタリアから食器を導入して、
「今までのはあんかんて」と
急に目覚めて食文化を発達させ
たのがフランスだ。
日本に箸が渡来したのはフランス
に手で持つ食器が渡来する遥か
遥か以前だった。
日本にはトングのような器具し
かなかったが、大陸から箸が
渡来した。渡来帰化人によって
もたらされた。
なので出雲神話で箸が川に流れ
て来て上流に誰か住むと知ると
いうのは後代の創作捏造だ。
日本では箸の渡来により現在ま
でそれが主として使用されている
ように、フランスではイタリア
から来たナイフとフォークは
目から鱗の革命的な事だっただ
ろう。
今でこそフランス料理は世界
四大料理のトップに数えられて
いるが、日本の戦国時代までは
手づかみの野蛮な仕儀で作法さ
え存在していなかった。
とにかく、
イタリアが長年に
亘り西欧の最先進国だっ
た。
「すべての道はローマに通ず」
というのは単なる格言ではない。
文化面、学問面、生産技術面でも
それが歴史的事実
だったからだ。
 
ヘルメットデザインについては、
日本人が考える昨今の一般的な
ラーデザインは、ごちゃ
ごちゃ
し過ぎている。そして
角が多過
ぎ。
欧州のヘルメットのデザインの
ほうが遥かにヴィジュアル的に
も一歩抜きんでているといえる
だろう。
これは1980年代にすでにその
傾向が見られた。
 
レースで使うヘルメットデザイン
では、一つ押さえどころがある。
それは「観客にすぐに覚えて
もらうデザイン」であるのが
重要という事。
入り組んだ細かいデザインは、
遠方
からは見えない。
レースヘルメットは、近くで
観て凝ったデザインよりも、
スタンドから観ても瞬時に誰
判るデザインでないとアピー

力を欠く事になる。
ざっくりとした大柄なライン割
と色使いが決め手になってくる。
ロッシの場合は、その逆を狙い、
なんだあれ?と思わせてアップ
になるとロッシ独自のアイデン
ティティを見せるデザインだった。
多分、懐刀の頭脳が側近にいた
のだろうが、あれはなかなかやる
な、という感を迸らせていた。

モータースポーツはアートとの
融合という側面もあるので、観
ていても楽しい。