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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

わたしの心だ。きよくなれ

2018-03-11 16:52:02 | 礼拝説教
2018/3/11礼拝説教
【テーマ】  真の癒し主イエス
【説教題】 「わたしの心だ。きよくなれ」
【聖書箇所】 マルコ1:35-45
【新改訳2017】
1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。
1:36 すると、シモンとその仲間たちがイエスの後を追って来て、
1:37 彼を見つけ、「皆があなたを捜しています」と言った。
1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」
1:39 こうしてイエスは、ガリラヤ全域にわたって、彼らの会堂で宣べ伝え、悪霊を追い出しておられた。
1:40 さて、ツァラアトに冒された人がイエスのもとに来て、ひざまずいて懇願した。「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」
1:41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。
1:42 すると、すぐにツァラアトが消えて、その人はきよくなった。
1:43 イエスは彼を厳しく戒めて、すぐに立ち去らせた。
1:44 そのとき彼にこう言われた。「だれにも何も話さないように気をつけなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめのささげ物をしなさい。」
1:45 ところが、彼は出て行ってふれ回り、この出来事を言い広め始めた。そのため、イエスはもはや表立って町に入ることができず、町の外の寂しいところにおられた。しかし、人々はいたるところからイエスのもとにやって来た。

○ 病を癒し、悪霊を追い出しと、イエス様の凄まじい活動をマルコは書いていますが、今回もマルコは病の癒しの記事を書いています。それもただ病気というのではなく、宗教的な意味合いと持つもので、この解決は宗教的な救いまで表すものでした。癒された人の喜びはどれほどでしょう。

Ⅰ.祈って出発
A.一人で祈るイエス
1.イエス様の活動が活発化してきましたし、イエス様の弟子も増えつつあります。そのイエス様は 1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。 とあるように、一人で祈ることを常としておられました。私たちも共に祈りますが、個人的に祈るのはやはり祈りの基本と言えるでしょう。
2.そこへシモン達がやって来ました。人々がイエス様を探しているというのです。夜が明けると早い段階で人々はイエス様のところに集まったみたいです。ですから、イエス様の祈りはその前であったのです。

B.祈ったら行動するイエス
1.人々が捜していると聞いて、イエス様は出かけられます。 1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」 と。イエス様の働きは福音を伝えることです。その働きは教えることと、悪霊を追い出すことでした。
2.私たちもイエス様と同じく福音を伝えるために色々な事をしているのではないでしょうか。その全ては神様の御心に沿ったことでなければなりません。だからこそ祈り、祈ったら行動です。

Ⅱ.ツァラアトの癒し
A.差別を受けるほどの病
1.イエス様が教え、癒し、悪霊を追い出しておられたところに、ツァラアトに冒された人が来ました。ツァラアトとは色々な皮膚病を指し、以前は「ライ病(ハンセン氏病)」と訳していましたが、それは正しくないことがわかりました。新共同訳聖書は、これを「重い皮膚病」と訳しています。
2.祭司はこの病気と診断するとその人は「私は汚れている」と叫んで、人々に近づいてはいけなかったのです。治れば祭司に見せて祭司が「きよい」と宣言することで一般社会に戻ることができました。そのために、人々から差別を受けることが多くなってしまいました。

B.触ってくださるイエス様
1.この人は社会的に認められていなかったので、それは辛い日々を過ごしたことと思います。彼が 「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」 と「きよく」と言っているのは、肉体的な病気というのではなく、この病気は宗教的に「汚れている」とされていたからです。だから治れば祭司によって「きよい」と宣言されるのです。
2.人々が近づこうとしないこの人に、イエス様は近づいたばかりか触れられました。律法ではツァラアトの人が一般の人に近づいてもいけなかったし、この患者に触れるとその人も汚れると言われていました。そんな中、イエス様はこの人に触れたのです。イエス様はあなたにも触れてくださるお方です。

Ⅲ.本当の聖め
A.瞬時に癒されるイエス
1.イエス様が触れて 「わたしの心だ。きよくなれ」 と言われたことでこの人は癒されました。瞬時の癒しというものは病人にとっては憧れです。私もどれほど憧れてきたことでしょう。
2.イエス様も きよくなれ と宗教的な意味での癒しを語られました。事実彼の皮膚はきれいになり、 自分を祭司に見せなさい と祭司の宣言をいただくことも言われたように、彼は罪からも解放されたことを宣言しておられるということです。
3.私たちはイエス様の十字架によって 「わたしの心だ。きよくなれ」 と言われたのと同じで、瞬時にきよめられました。罪人とは認められないのです。

B.罪からの救いを目的としたイエス
1.イエス様は 「だれにも何も話さないように気をつけなさい。 と言われたのですが、彼は嬉しかったのでしょう、言い広めてしまったので、 イエスはもはや表立って町に入ることができず、町の外の寂しいところにおられた という状態になってしまいました。
2.人々としては罪の赦しがいまいちわかりませんが、現実問題の病の癒しに関心があるのです。私も痛むと何が何でも癒して欲しいと願いますから。
3.しかし、イエス様の真の目的は 1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」 にあるのです。

★ イエス様はどんな病気も癒すことができます。しかし、イエス様が来られたのは福音を伝えるためです。その福音の中に癒しもあるのです。

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