2016/4/24礼拝説教
【テーマ】 愛の行い
【説教題】 「共に泣いてくださる方」
【聖書箇所】 ローマ12:15
12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
○ 「傾聴」という言葉をご存知ですか? 今日の御言葉を読んだ時にふと思い出した言葉です。これは、耳を傾け、心も傾けてその人の話を聞いてあげることだそうです。そして、それが多くの人を慰め、励まし、助けるそうです。
Ⅰ.喜ぶ者と共に喜ぶ
A.喜び合う幸せ
1.喜んでいる人と共に喜ぶのは簡単だと言う人もいますが、反対にそれは難しいと言う人が多いです。というのは、喜んでいる人の話を聞いていると、かえってねたましく思うことがあるからです。喜んでいる人の話を聞いて、一緒になって喜んであげることができたら、私たちは一人前かも知れません。
2.私たちは神様と共に喜ぶことができると幸いです。 ルカ 15:7 ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 とあるように、人が救われることは人生で最高の幸せなのです。
B.喜び合えない不幸せ
1.イエス様の誕生の時、マリヤとヨセフは大喜びでした。その喜びを共にしてくれたのは、羊飼いや東方の博士たち、聖書には書かれていないけれども多くの人がいました。
2、しかし、喜んでくれなかった人がいました。ヘロデ王です。彼はイエス様を殺そうとしました。そして、ヘロデ王のそばにいたユダヤの指導者達です。聖書をよく知っている彼らこそ喜ぶべきなのに、政治的な問題を感じ、喜ぶことができなかったのです。イエス様のことを共に喜べないのは残念ではないでしょうか。
次に 泣く者といっしょに泣きなさい を見ますが、最初にイエス様が泣かれたところを見てみます。
Ⅱ.イエス様も泣かれた
A.涙を流された
1.聖書にはイエス様が涙を流されたところ、泣かれたところが2箇所あります。その一つは ヨハネ11:35 イエスは涙を流された。 です。ここはマリヤとマルタの弟ラザロが死んでしまったところにイエス様が来られた時のことです。人々の涙に共に涙を流してくださったのでしょうか。
2.イエス様が泣かれたもう一箇所は ルカ 19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて です。ここはイエス様が十字架にかかられる前、いよいよエルサレムへと入ってこられた時、エルサレムを見て泣かれたところです。美しいエルサレムがAD70年に滅ぼされることを思って泣かれたといいます。
B.生き返ることを知っていても
1.イエス様はラザロが危ないと聞かれた時、 ヨハネ11:4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」 と言われました。その後、イエス様はラザロを生き返らせました。生き返ることがわかっていて泣かれたのはマリヤ達のためでしょうか?
2.マリヤ達が弟ラザロのことで泣いているのを見て、人間にもたらされた罪の結果の「死」に心を痛められたのではないでしょうか? エルサレムもそのために滅びるのですから、イエス様は人間の罪の悲惨な結果に涙されたと思うのです。
Ⅲ.泣く者と共に泣く
A.悲しみが人を成長させる
1.喜ぶ者と共に喜ぶより、泣く者と共に泣くほうが簡単だと言われます。悲しんでいる人に対してあわれみが伴い、時には共に涙します。事実、共に泣いてくれたり、悲しんでくれる人がいることで悲しみが早く癒えたり、元気を取り戻せるのです。
2.伝道者の書には 伝道者 7:2 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。 という言葉があります。結婚式より葬式に行く方が良いという言い方です。それは、その悲しみを通して、人生を、死後を考えるからだというわけです。悲しみというものは人を成長させるようです。
B.泣く者が喜ぶ者となる
1.「泣く」という言葉では、詩篇に有名な御言葉があります。 詩篇 126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。 です。福音の種を蒔く私たちは往々にして涙するものです。語っても語っても聞いてくれない、聞いてくれないばかりか迫害まがいのことをされる。福音宣教は決して楽なものではありません。
2.しかし、聖書は非常に楽観的です。必ず収穫があるというのです。この収穫は人々の救いです。福音宣教には涙がつきものですが、結果は神様の祝福です。人々の救いです。この福音宣教のために共に泣く者こそ同労者で、共に喜ぶ者となるのです。
● 泣きながらの種蒔きをしたことがありますか。
★ イエス様は私たちのことをとことん心配してくださるお方で、私たちの涙を理解してくださるお方です。このイエス様に救われた私たち、今度は私たちがイエス様の涙を理解したいものです。イエス様の涙は滅び行く人々にあります。私たちも涙して福音の種蒔きをしようではありませんか。
【テーマ】 愛の行い
【説教題】 「共に泣いてくださる方」
【聖書箇所】 ローマ12:15
12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
○ 「傾聴」という言葉をご存知ですか? 今日の御言葉を読んだ時にふと思い出した言葉です。これは、耳を傾け、心も傾けてその人の話を聞いてあげることだそうです。そして、それが多くの人を慰め、励まし、助けるそうです。
Ⅰ.喜ぶ者と共に喜ぶ
A.喜び合う幸せ
1.喜んでいる人と共に喜ぶのは簡単だと言う人もいますが、反対にそれは難しいと言う人が多いです。というのは、喜んでいる人の話を聞いていると、かえってねたましく思うことがあるからです。喜んでいる人の話を聞いて、一緒になって喜んであげることができたら、私たちは一人前かも知れません。
2.私たちは神様と共に喜ぶことができると幸いです。 ルカ 15:7 ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 とあるように、人が救われることは人生で最高の幸せなのです。
B.喜び合えない不幸せ
1.イエス様の誕生の時、マリヤとヨセフは大喜びでした。その喜びを共にしてくれたのは、羊飼いや東方の博士たち、聖書には書かれていないけれども多くの人がいました。
2、しかし、喜んでくれなかった人がいました。ヘロデ王です。彼はイエス様を殺そうとしました。そして、ヘロデ王のそばにいたユダヤの指導者達です。聖書をよく知っている彼らこそ喜ぶべきなのに、政治的な問題を感じ、喜ぶことができなかったのです。イエス様のことを共に喜べないのは残念ではないでしょうか。
次に 泣く者といっしょに泣きなさい を見ますが、最初にイエス様が泣かれたところを見てみます。
Ⅱ.イエス様も泣かれた
A.涙を流された
1.聖書にはイエス様が涙を流されたところ、泣かれたところが2箇所あります。その一つは ヨハネ11:35 イエスは涙を流された。 です。ここはマリヤとマルタの弟ラザロが死んでしまったところにイエス様が来られた時のことです。人々の涙に共に涙を流してくださったのでしょうか。
2.イエス様が泣かれたもう一箇所は ルカ 19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて です。ここはイエス様が十字架にかかられる前、いよいよエルサレムへと入ってこられた時、エルサレムを見て泣かれたところです。美しいエルサレムがAD70年に滅ぼされることを思って泣かれたといいます。
B.生き返ることを知っていても
1.イエス様はラザロが危ないと聞かれた時、 ヨハネ11:4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」 と言われました。その後、イエス様はラザロを生き返らせました。生き返ることがわかっていて泣かれたのはマリヤ達のためでしょうか?
2.マリヤ達が弟ラザロのことで泣いているのを見て、人間にもたらされた罪の結果の「死」に心を痛められたのではないでしょうか? エルサレムもそのために滅びるのですから、イエス様は人間の罪の悲惨な結果に涙されたと思うのです。
Ⅲ.泣く者と共に泣く
A.悲しみが人を成長させる
1.喜ぶ者と共に喜ぶより、泣く者と共に泣くほうが簡単だと言われます。悲しんでいる人に対してあわれみが伴い、時には共に涙します。事実、共に泣いてくれたり、悲しんでくれる人がいることで悲しみが早く癒えたり、元気を取り戻せるのです。
2.伝道者の書には 伝道者 7:2 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。 という言葉があります。結婚式より葬式に行く方が良いという言い方です。それは、その悲しみを通して、人生を、死後を考えるからだというわけです。悲しみというものは人を成長させるようです。
B.泣く者が喜ぶ者となる
1.「泣く」という言葉では、詩篇に有名な御言葉があります。 詩篇 126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。 です。福音の種を蒔く私たちは往々にして涙するものです。語っても語っても聞いてくれない、聞いてくれないばかりか迫害まがいのことをされる。福音宣教は決して楽なものではありません。
2.しかし、聖書は非常に楽観的です。必ず収穫があるというのです。この収穫は人々の救いです。福音宣教には涙がつきものですが、結果は神様の祝福です。人々の救いです。この福音宣教のために共に泣く者こそ同労者で、共に喜ぶ者となるのです。
● 泣きながらの種蒔きをしたことがありますか。
★ イエス様は私たちのことをとことん心配してくださるお方で、私たちの涙を理解してくださるお方です。このイエス様に救われた私たち、今度は私たちがイエス様の涙を理解したいものです。イエス様の涙は滅び行く人々にあります。私たちも涙して福音の種蒔きをしようではありませんか。