バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

岩を打ってしまった

2022-11-09 07:04:07 | 礼拝説教
2022/11/13 礼拝説教
【テーマ】  従うとは
【説教題】 「岩を打ってしまった」
【聖書箇所】 民数記20:1-12
20:1 イスラエルの全会衆は、第一の月にツィンの荒野に入った。民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死んで葬られた。
20:2 そこには、会衆のための水がなかった。彼らは集まってモーセとアロンに逆らった。
20:3 民はモーセと争って言った。「ああ、われわれの兄弟たちが【主】の前で死んだとき、われわれも死んでいたらよかったのに。
20:4 なぜ、あなたがたは【主】の集会をこの荒野に引き入れ、われわれと、われわれの家畜をここで死なせようとするのか。
20:5 なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上り、このひどい場所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような場所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」
20:6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入り口にやって来て、ひれ伏した。すると【主】の栄光が彼らに現れた。
20:7 【主】はモーセに告げられた。
20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ。」
20:9 そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、【主】の前から杖を取った。
20:10 モーセとアロンは岩の前に集会を召集し、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から、われわれがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
20:11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
20:12 しかし、【主】はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」

○ あなたは神に願い、その願いを聞いていただいた、つまり願いが叶った経験はどれくらいありますか? ある人は断食祈祷したことで願いが叶ったそうです。するとその方は他の人にも「断食祈祷すると祈りが聞かれるよ」とアドバイスをされたのです。同じように徹夜祈祷するととか、その他色々あるかと思います。そして、それをすることで祈りが聞かれるように思い込みやすいのです。出エジプトで起こった出来事の一つに今日の話があります。
 
Ⅰ.人のせいにしたがる
A.死活問題
1.荒野の生活では色々大変なことがあったことが考えられます。私はキャンプ場でも無いところでキャンプした経験があります。まず、トイレをどうするか? 水はどこにあるか? 寝るときの安全は? 雨が降ったときはどうするか? 等々です。イスラエル人は200万人ほどいたと言われる出エジプト。大変だったと思います。
2.その大変だったことの一つが水でした。 そこには、会衆のための水がなかった とあります。死活問題です。すると、人々の間からは当然ですが、文句が飛び出てくるわけです。「エジプトに留まっていれば良かったんだ!」等と言い出してモーセを責めるのです。本当は今良いところに居るのです。しかし、前の方が良かったと言うのです。

B.逆恨み
1.このようにせっかく導いてくれた人を恨むのです。人は自分を悪者にしたくはありませんから、問題が起こると誰かのせいにしたがるのです。(しかし、人によっては「自分が悪いんだ!」と逆に過度に自分を責める人もいてこれも問題です)。イスラエル人の多くがモーセを恨みました。逆恨みであることは聖書を読んでいる皆さんにはわかることです。
2.恨まれた、辛い立場にあるモーセとアロンはどうしたでしょうか? 彼らも神に恨み言を言ったのでしょうか?  20:6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入り口にやって来て、ひれ伏した。すると【主】の栄光が彼らに現れた。 二人がしたのは神に会うということでした。神の栄光が現れたので、神も積極的に会いに来てくださいました。

Ⅱ.神の言葉に従うとは
A.前の時は杖で岩を打つように命じられた
1.以前 出エジプト17:6 さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりに行った。 ということがありました。この時、神はモーセに杖で岩を打つように言われました。そうすることで岩から水が吹き出てイスラエルの民の喉を潤すことができました。
2.今回も水の問題に出くわしましたわけですが、神は 20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ。」 と、言われました。今回は 岩に命じれば ということでした。

B.今回も杖で岩を打ってしまった
1.ところが、モーセは今回も岩を杖で打ちました。水は出たのですが、 20:12 しかし、【主】はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」 と言われてしまうのです。
2. 杖を取れ と言われたのですから、前と同じく岩を打つのだと思ってもおかしくないと思うのですが、今回は「命じなさい」でした。前と同じように岩を打つのでは無く、命じなければならなかったのです。神の言葉には力があるので、同時にその言葉に忠実さが求められるようです。

Ⅲ.正しい決断をして実行する
A.マニュアル、パターンを求めてしまい安い
1.私たちは何かしらパターンを見出してそれを繰り返すと安心します。学生が「この鉛筆を使うと良い成績が取れる」というように思い込んで試験には必ずその鉛筆を持っていくということもあるでしょう。また、良い意味でのルーチンワーク、良い習慣もあると思います。良いことをし続けると良い結果が出ますからね。
2.しかし、神の言葉に従うということは必ずしも同じようにすることを命じられるわけではありません。聖書から何かしらパターンを見出そうという人達がいます。悪いわけではないのですが、「何かをすれば良い結果が出る」として、それをしさえすれば良い事が起こる、願いが叶う、というのはいかがなものでしょうか? 
3.イエス様の癒しの記事を見てもワンパターンでは無いのです。ワンパターンだとこうすれば癒されると決める人がでてくるでしょう。神はワンパターンな神ではありません。

B.ただただ神の言葉に従うこと
1.神は神の言葉に従う事を求めておられます。ですが、今私たちは「○○をしなさい」というような、モーセに神が命じられたような語りかけはそうはありません。私たちは神(イエス・キリスト)を信じる信仰をいただいています。そして聖霊が内住されています。そして聖書から神の大きなみこころを知っています。
2.そこで、私たちは自分が神の前に信仰をもってどうするかを決めるのです。その決めることを祈るのです。平安が無ければ他の方法でしょう。平安を得れば実行して良いと思います。私たちの決断を神は祝福されるのです。だから聖書を大事にしなければなりません。聖書的で無いことを実行してはいけないからです。

★ 神は皆さんに御言葉を与えてくださいました。イエスを信じるだけで救われるという神のご計画の言葉です。そこからの人生は色々です。神の言葉に従ってください。そのために岩を打つのか、命じるのか、聞き分ける力を身につけましょう。神の声とそうでない声を聞き分ける信仰をいただきましょう。


御言葉が子どもを育てる

2022-11-02 08:03:36 | 礼拝説教
2022/11/6 礼拝説教
【テーマ】  子どもを祝福する
【説教題】 「御言葉が子どもを育てる」
【聖書箇所】 申命記6:4-7
6:4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。
6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
6:6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。

○ 今日は子ども祝福式をします。子ども達は教会の宝だからです。この子どもたちがしっかり信仰をもって成長して欲しいのです。神はイスラエル人が出エジプトした時から、約束の地に入ったときにこの次世代がしっかりと神の言葉に従う人となるように荒野で訓練されたのです。
 
Ⅰ.幸せな人生のために必要なこと
A.子ども達も大変な社会情勢
1.現代は子どもの間にも経済格差や学力格差が増大しています。子ども達の中には経済的に厳しくて食べることに困っている子が増えています。また、ヤングケアラーと言って、子どもなのに親や祖父母の世話をし、学校に行くこともままならないという子ども達もいます。
2.学校に行けたとしてもいじめがあったり、親との問題、勉強ができない、進路の悩み、自分の性格の悩みで精神的に病んでしまう子も増えています。かつては子どもにはうつ病は無いと言われていたのが今や普通にうつ病になってしまう時代です。さらにこのコロナのために不登校になってしまった子、精神的に病んでしまった子が増えています。

B.子どものために尽くす人が増えている
1.子ども達が大変な時代だということを知って乗り出してくださっている大人もたくさんいます。子ども食堂を作って子ども達に安心して食べられるようにしたり、無料で勉強をおしえるグループができたりしています。本当に感謝です。
2.また、現代は高齢化社会となりましたが、その高齢者が空いている時間を用いて子ども達のために乗り出してくださっていることも増えました。申命記で大人が子どもに人生の大事なことを伝えるように教えているように、日本の社会もそういうことが増えてきているかと期待しています。

Ⅱ.子育ては誰がするのか?
A.それは親
1.では、子どもを育てるのは誰かというときに、まずやはり第一にそれは当然親の仕事です。もちろん親のいない子どもには親に代わる愛を持っての保護者が必要です。というのも子どもは親から得るものが実に多いからです。赤ちゃんが笑顔になるのはお母さんの笑顔から学んでいるといわれているとおりです。
2.親は愛をもって子どもを育てます。特に母親というのは自分のお腹の中で長い間育てているので、その愛情は誰もかないません。神は我が子を愛するために赤ちゃんの時に母親に特別にその「我が子をいとおしく思うホルモン」を爆発的に出るようにされているのです。

B.それはコミュニティ
1.親が育てるのは確かに第一かも知れませんが、親だけにその責任を問うことはできません。親子の属するコミュニティはとても大事で、コミュニティで子どもを育てるべきなのです。出エジプトしたイスラエル人は荒野で大変な生活をしながら助け合ってきました。この助け合いは我が子だけではなく、他の子も見守るという精神になっています。
2.豊かになった国や地域、家庭では「我が子だけは」というわがままな考えが浸透していきますが、様々な厳しさを通っている国や地域ではみんなで子どもを育てるという力が出てくるようです。また先ほどの「子ども食堂」などにもみられるようにコミュニティで子ども達を支えています。

C.それは御言葉
1.しかし、何と言っても子どもを育てるのは、いや人を育てるのは神の言葉、イエス・キリストです。親の育て方が悪くても、愛が無かったとしても、イエス・キリストを信じて、神の言葉に生かされ始めるとその人の人生は幸せなものに変わります。
2.現に御言葉に生かされてきた人を見ればこのことはわかりますね。また、御言葉に生かされていることを実体験している人は幸せを感じておられると思います。色々な大変なことがあっても何かしら不思議な幸せ感があるのです。これが天と地をつなぐ不思議な力ですね。子ども達にもこれを伝えたいのです。

Ⅲ.イエス・キリストが祝福する
A.イエスも語っている申命記の言葉
1.6:4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。 の イスラエルよ を「子ども達よ」にして読んでみるといいですね。 【主】 は「イエス様」でよいと思います。イエスを全身全霊で愛するということを子ども達に教えるということはすばらしいことです。
2.この御言葉はイエスも語っておられます。 マタイ22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』マルコ12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』ルカ10:27 すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」 と。ですからとても大事な言葉ということです。

B.心を尽くして神を愛そう!そして子どもを!
1.イエスはこの御言葉を守るなら祝福してくださいます。「あなた」のところを「私」に替えてもう一度声に出して言ってみましょう。 【主】は私たちの神。【主】は唯一である。 私は心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、私の神、【主】を愛します。 神に声に出して言うと自分の決意もしっかりします。
2. 6:7 ・・あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。 と、子ども達にもしっかり声をかけて伝えるということですね。すると言う方もしっかりするのです。インプットとアウトプット両方が大事ということです。

★ 次世代がしっかり成長し、幸せになるには、御言葉を生きる以外にありません。そのことを私たち大人は体験してきたのです。確信をもって愛をもって子ども達に語りましょう。