バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

飲むべき水がある

2017-09-24 16:51:22 | 礼拝説教
2017/9/24礼拝説教
【テーマ】  聖霊に満たされる
【説教題】 「飲むべき水がある」
【聖書箇所】 ヨハネ4:3-18
  4:3 主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4:4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
4:5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。
4:7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。
     ・・・
4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
     ・・・
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
4:15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
4:16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
4:18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」

○ 先週はシルバー祝福式で「ニコデモ」というおじいさんの話をしました。今日はその次の章に出てくる女性、名前はわかりませんが、「サマリヤの女」として有名です。

Ⅰ.通らねばならなかった
A.サマリヤに行く必要
1.4節に サマリヤを通って行かなければならなかった と書いてありますが、ユダヤからガリラヤへはサマリヤを通らないで行くルートがあります。何しろユダヤ人はサマリヤ人を嫌いましたので、サマリヤを通らないルートがありました。
2.しかし、イエス様はサマリヤを通らねばならないと感じられました。祈りの内に神様から導きを得られたのでしょうか? イエス様はこの女性に会うために、敢えてサマリヤを通るルートを選ばれました。
3.それはどうしても救わなければならない人、サマリヤの女がいたからです。そして、そのサマリヤの女を通して救われるサマリヤの人々がいるからです。

B.十字架にかかる必要
1.イエス様は敢えて行かれるお方です。十字架はその最たるものです。イエス様は神様であり、十字架にかかる必要はない方でしたのに、十字架を通らねばならなかったのです。
2.それはどうしても救わなければならない人がいるからです。私たちです。イエス様が十字架にかかって私たちの罪を赦す神の計画を実行しなければならなかったのです。

Ⅱ.飲まねばならない
A.イエス様から隠れなくてよい
1.ヤコブの井戸と呼ばれる井戸でイエス様はこの女が来るのを待ちました。人目を避けて人の来ない時間帯にここに来る女のことを、イエス様はわかっておられました。
2.こんなイエス様ですから、私たちがどこにいてどんな状態なのか全てわかってくださっています。罪を犯したアダムとエバのように隠れなくてよいのです。
3.イエス様はアダムに対して「どこにいるのか」と呼びかけて、罪を犯したアダムが神の前に現れるのと願われたのです。同じく、私たちもイエス様の前に出なければなりません。イエス様と会わなければならないのです。

B.本当に必要なもの
1.この女にとって水を汲みに来ることは大変な作業です。水は命に関わる大事なものです。彼女はどうしても汲みに来なければなりませんでした。
2.しかし、彼女はこの世の水のことしかわかっていませんでした。本当に必要ないのちの水に関しては完全に無知でした。
3.人々は自分に必要なものは「お金」「名誉」「学歴」「家族」「健康」等々だと思い込み、本当に必要な「いのちの水」に関しては完全に無知であることが多いです。

Ⅲ.さらけ出さねばならない
A.聖霊を飲む
1.イエス様の言われる大事ないのちの水を得るためには何をする必要があるのでしょうか?  4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 と言われるように、イエス様が与える水ですから、イエス様を信じ切ることです。
2.そして、 わたしが与える水を飲む者 と言われたように、私たちはイエス様を信じることでいただく「聖霊」を飲む、自分の魂の中に迎え入れるのです。

B.罪をさらけ出す
1.心をイエス様に開くとは、イエス様に赦していただかねばならない罪をさらけ出すことに始まります。そのために、イエス様はこの女性に「夫」の話をしたのです。彼女の最大の問題、その男性関係の問題がために人前に出て来れなかったのですから。
2.私たちも本当に必要なもの、いのちの水のためには私たちの心の扉を開くことです。罪をさらけ出して、悔い改めるのです。つまりその罪にしがみついていないことをイエス様に告白し、イエス様を愛する決心を言い表すことです。その時、あなたの内からもいのちの水(聖霊)は湧き出るのです。

★ あなたは「渇く水」を求めますか? 「渇くことのない水」を求めますか? 


歳をとっても遅くない

2017-09-17 17:04:22 | 礼拝説教
2017/9/17礼拝説教
【テーマ】  新しく生まれる人生
【説教題】 「歳をとっても遅くない」
【聖書箇所】 ヨハネ3:1-11
  3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」
3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。

○ 明日が敬老の日ですので、今日はシルバー祝福式をします。年配者が敬われるのはすばらしいことです。また、人生の終盤を迎えるために今まであまり考えなかった自分の死後のことを考えるものでもあるようです。そのような人が聖書の中にも登場します。聖書の中のシルバーの一人「ニコデモ」を見てみましょう。

Ⅰ.ニコデモは真面目に生きてきた
A.指導者ニコデモ
1.ニコデモはパリサイ人でした。パリサイ人はユダヤ教の中でも最も厳格な人達で、神様の戒めを生涯守り抜くことを誓った宗教的エリートでした。当時のユダヤでは6000人ほどしかいなかったと言われます。
2.ニコデモは ユダヤ人の指導者であった と書かれていますから、当然知識や知恵があったでしょうし、人々から尊ばれていたと思われます。彼は実に真面目な人だったと思われます。

B.夜にやってきたニコデモ
1.この3章に登場したニコデモは7章と、19章にも登場します。7章では訴えられているイエス様を弁護し、19章では十字架で死なれたイエス様の埋葬に関わり合っています。
2.3章のニコデモは夜にイエス様のところにやって来ました。ユダヤの指導者がかなり年下のイエスに質問に来るというのは恥ずかしかったから、人のいない夜にこっそりとやって来たと考えられます。その彼が7章、19章では堂々登場するのですから、この3章での出来事は大きいと思います。

Ⅱ.ニコデモにも悩みがあった
A.イエス様に関心をもったニコデモ
1.人生経験を多く積み、知識も増えれば悩みは減るのでしょうか? どうやらそういうことは無いようで、人生で悩みが無いのは赤ん坊から幼い子どもの間の一時期ではないでしょうか? 歳をとると悟るよりも悩みが増えるのかも知れません。
2.ニコデモは何派にも属さない若いイエスが神の国を語り、民衆は彼をキリストと呼び、悟ったように語るイエスに興味を持ちました。ニコデモが何の悩みもなく、確信に満ちて生活していたらイエス様のところに来なかったかも知れません。
3.まず、私たちもイエス様に関心を持ち、イエス様のところに行きたいものです。

B.イエス様と語り合ったニコデモ
1.ニコデモとイエス様の会話はなかなかかみ合っていないかのように聞こえます。ニコデモは何を聞きたかったのでしょうか? 遠回しに入ってきたニコデモにイエス様はストレートに彼の悩みに答えられました。 3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 と。
2.しかし、ニコデモは肉の次元でしか考えられません。 3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」 と。しかし、イエス様はこの話が霊的な話であることを告げられます。聖霊によって生まれると神の国に入ることができるという話です。
3.私たちも次元が合わなくても、まずはイエス様と語り合いたいものです。

Ⅲ.ニコデモの心が変わり始める
A.心が変化したニコデモ
1.長年ユダヤの指導者として働いてきたニコデモですが、聖霊によって生まれるなどという話は今まで聞いたことがないのです。彼は律法を真面目に守ることが神様から罰を受けない生き方だからと思っていたのです。しかし、彼は律法を守っているようでも罪深い自分に気づいていたのでしょう。
2.イエス様の答は律法を守る話ではなく、「聖霊によって生まれる」という全く新しい話でした。彼はこの時点ではよくわからないまま帰って行くようですが、真剣にイエス様と語り合ったので、心は変化していました。
3.私たちも真剣にイエス様と語り合うと心が変わります。

B.わかる時が来るニコデモ
1.ニコデモはイエス様に 3:10 あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか と言われるのですが、もし、私も60年以上も生きていながら こういうことがわからないのですか と言われたら言い返せるだろうかと思いました。
2.この時点ではわからなかったかも知れませんが、最初に言いましたように7章、19章の彼は変わってきています。イエス様の弟子になっていくのです。霊の目が開けてイエス様がわかるのです。いや、信じられるのです。

★ 歳をとっても悩みはあります。そして、何と言っても死後の世界に関しては不安もあるのではないでしょうか。イエス様が言われた新しく生まれることでその不安はなくなります。あなたもイエス様を信じて聖霊によって新しく生まれてください。


変えてくださるイエス様

2017-09-10 16:52:46 | 礼拝説教
2017/9/10礼拝説教
【テーマ】  聖餐式
【説教題】 「変えてくださるイエス様」
【聖書箇所】 ヨハネ2:1-11
  2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
2:6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
2:9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、──しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた──彼は、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

○ 今日は聖餐式を致します。聖餐式にはパンとぶどうジュースが必要ですが、今日のテキストにはぶどう酒が出てきます。しかし、このぶどう酒は「ぶどうジュース」であってアルコール分の無いものだという説もあるのです。

Ⅰ.最初のしるし
A.大事なものが無くなった
1.ナザレから20km位離れているでしょうか、カナという町で婚礼がありました。どういう繋がりがあったのかわかりませんが、マリヤはそこにおりました。そして、イエス様も弟子達も招かれました。
2.ユダヤの婚礼は1週間続けられたと言いますから、食事の準備などは大変なものだったと思います。そして、大事なぶどう酒が切れてしまったということで、マリヤは花婿たちのことを気遣いました。

B.不思議な答え
1.マリヤはぶどう酒が無くなったことをイエス様に告げるのです。するとイエス様の答は不思議な答でした。 2:4 ・・・わたしの時はまだ来ていません と。 わたしの時 は十字架です。そのために最後の晩餐が弟子達と持たれ、その時にぶどう酒が回され、 マタイ26:27 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。 26:28 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。 と言われました。
2.このカナの婚礼は 2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された とあるように、「しるし」です。単にイエス様が神様であるから奇跡を行うことができたという話では無く、イエス様の十字架の死を示している「しるし」なのです。

C.イエス様に話す
1.マリヤがイエス様にぶどう酒が無くなったという話を持ってきたように、私たちも問題があればイエス様のところにその問題を持って行くのです。
2.問題ができた時だけイエス様のところに行くのではありません。私たちはマリヤのように普段からイエス様に話しかけ、共に生活しているとイエス様にお願いすべきことがわかるのです。

Ⅱ.イエス様は神様です
A.この奇跡に証人がいる
1.第二列王記4章にはエリシャが困っているやもめのために空のツボ全てを油で満たす奇跡を起こしています。イエス様も当然空のかめにぶどう酒を満たすことができます。
2.しかし、ここでは6つの大きな水がめにしもべたちに水を入れさせます。それによってこのしもべ達は水がぶどう酒に変わったことの証人となったわけです。

B.イエス様が神であることを示す
1.ヨハネがこのことを記録したのはイエス様が神であることを示すためです。もちろん、この一件だけで神であることを証明できません。そこで、彼はこのこと以外にあと6種類の奇跡を記すことによって神であることを示すのです。
2.ヨハネが7種類にこだわったのは当時の完全数「神にだけ当てはまる数字」としてイエス様をそのことで神と証明するためです。しかし、もちろん奇跡だけで神であると証明することはできないでしょう。これはやはり最終的には信仰の問題です。
3.6つの水がめはユダヤ教の聖めのための水がめと言われます。これは不完全数です。その水をぶどう酒に変えられるということでイエス様の十字架の血による完全な救いが来ることを示されたと言えます。

Ⅲ.イエス様を愛している
A.イエス様を信じているから
1.私たちはイエス様が神であることを信じ、イエス様に救っていただいたことを感謝して聖餐式をいたします。聖餐式はぶどう酒(ぶどうジュース)を使います。それはイエス様が最後の晩餐で弟子達にパンを裂き、それがご自身の体であると、またぶどう酒を与えて、それがご自身の血であると言われました。
2.最後の晩餐の時にイエス様が言われた通り、私たちはこれを聖餐式として守り行っています。その理由はイエス様の十字架を忘れないためです。

B.救いを感謝しているから
1.カナの婚礼が喜びの婚礼であるように、私たちが現在行っている聖餐式はまさにイエス様との婚礼を祝う時ではないでしょうか? 教会は「キリストの花嫁」と言われるのですから、正に喜びの婚礼です。
2.イエス様はマリヤの願いを聞き、カナの婚礼で水をぶどう酒に変えました。イエス様が自ら十字架を選んでくださったことを示しているかのようにここで水をぶどう酒に変えられました。私たちはこのイエス様による救いを感謝して聖餐式を受けるのです。

★ 水をぶどう酒に変えられたように、私たち罪人を神の子に変えてくださいました。それが十字架のわざでした。ぶどう酒に象徴されるイエス様の十字架の血で私たちは救われたのです。イエス様に感謝して聖餐式を受けようではありませんか。

1.イエス様の「最初のしるし」は何ですか?

2.マリヤがぶどう酒が無くなったことをイエス様に伝えましたが、その時、イエス様は何と言われましたか?

3.イエス様は何をぶどう酒に変えられましたか?

4.聖餐式とは何ですか?

5.私たちはなぜ聖餐式をするのですか?

天におられるイエス

2017-09-03 18:02:16 | 礼拝説教
2017/9/3礼拝説教
【テーマ】  使徒信条6
【説教題】 「天におられるイエス」
【聖書箇所】 Ⅰコリント15:20、ヘブル12:2
 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

使徒信条の「三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。」の部分です。

○ 先月はイエス様の「十字架と死」のところでした。死に関しては私たちと同じかも知れませんが、今日のところは「復活」です。人間の誰もまだ体験したことのない「復活」をイエス様だけが体験されました。そして、天に帰られたというのです。

Ⅰ.復活
A.復活よりも十字架が有名なわけ
1.復活というすごいことがあったのに、信じない人も多く、この事実が見逃されがちです。それに対してイエス様の十字架の死は世界中に知れ渡っています。それはイエス様の救いを信じない人々の目にも明らかにされた処刑だったからです。
2.一方、復活は Ⅰコリント15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。 とあるように、イエス様を信じる人達に示されたのであって、ローマ兵や、ユダヤの祭司長たちはじめ信じない人々は復活のイエス様を見ていないからです。

B.復活の事実
1.信じる人だけが復活のキリストを見たというのは信憑性に欠けるという人がいますが、十字架の出来事の後、弟子達は逃げたのですから、イエス様は復活したということにしようとみんなで打ち合わせすることなどできません。五百人以上の者が出会ったのですから。
2.さらにイエス様が埋葬された墓は布だけが残って空っぽでした。遺体を盗んだと言うのなら、わざわざ布を取って、裸のイエス様を運んだということですか? その方があり得ないです。
3.復活は事実であるということはどういうことかというと、イエス様が神であることと、復活の体を私たちもいただけるということを示しており、クリスチャンはそれを信じています。

Ⅱ.昇天
A.昇天と召天
1.次にイエス様は天に帰られました。「昇天」と書きます。私たちは誰かが亡くなると、「天に帰られた」という表現をする事があります。私たちの場合は「召天」と書きます。発音が同じなのでよく間違えられます。
2.イエス様が帰られた天はイエス様にとってご自分の故郷です。そして、私たち罪赦された人は天に呼んでいただける、つまり、天に召されるのです。

B.私たちの場所を用意してくださる
1.イエス様は十字架の前に、弟子達に ヨハネ14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 と言われました。イエス様が復活されたその身体で天に帰られ、私たちのために場所を備えてくださるためでした。
2.クリスチャンは天に自分の居場所があることを信じています。

Ⅲ.高挙
A.とりなしの仕事
1.天に帰られたイエス様はどこにおられるのかというと 全能の父なる神の右に座したまえり なのです。当然のことかも知れませんが、壮大な救いの計画が実現したのですから、イエス様の救いの働きは終わりました。そこで天に帰られ、父なる神と共に過ごされているのです。
2.神の右とは神と同等の地位を表し、 ヘブル7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。 とあるように、今も私たちのためにとりなしをしてくださっています。

B.常に見守ってくださっている
1.イエス様はその権威の座 神の御座の右に着座されました が、そこで働いておられるわけです。ステパノはそこに立つイエス様を見ました。 使徒7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、 7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」 と、石打ちにあう前にイエス様を見ました。イエス様の目はどのような目だったでしょう?
2.イエス様は天に帰って、最高の座についたのでもう何もしておられないのでは無く、常に人々のことを思って父なる神にとりなしをしてくださっているのです。私たちを見守ってくださっているのです。そのことをクリスチャンは信じています。

★ イエス様はあなたのために天に帰られた今もなお、見守り、とりなしをしてくださっています。あなたは愛されています。