バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

最も大切なこと 受難

2021-03-27 16:19:55 | 礼拝説教
2021/3/28 受難週礼拝説教
【テーマ】  十字架
【説教題】 「最も大切なこと 受難」
【聖書箇所】 Ⅰコリント15:3-5
15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
15:5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

○ 皆さんにとって最も大切なことは何ですか? 会社員に聞いた「人生で最も大事なものは?」という調査で、1位「お金」 30.5%、2位「愛」 25.5%、3位「希望」 11.8%、4位「知識」 10.4%、5位「努力」 8.8%、6位「その他」 7.6%、7位「友情」 5.6%だったそうです。また、ある調査で女性に尋ねた最も大切なこと10選は「自由な時間」「大切な人」「家族」「健康」「お金」「人との関係」「自分らしく生きること」「愛する人との日々」「スタイル」「趣味と仕事」でした。しかし、人生で大切なことは変わることがあるということでした。その変わったきっかけが「大切な人ができた」「年齢を重ねたから」「転職したから」というようなものが挙げられていました。「イエス様と出会ったから」というのが欲しかったですね。パウロが伝えたは最も大切なこととは何でしょうか? それはまずイエス・キリストの十字架の死です。
 
Ⅰ.パウロも受けたこと
A.パウロが考え出したものではない
1.現代はたくさんの宗教があるようです。そして、被造物の中で宗教を持つのは人間だけです。人間は宗教無しには生きていけないのです。ですから、生きていくためにも宗教を考え出してきたと言えます。
2.キリスト教は宗教学的にはユダヤ教からの分かれ、ユダヤ教から見れば、ユダヤ教の異端とさえ言われてきたものです。このキリスト教をパウロが考え出したわけではありません。しかし、パウロ無しには新約聖書が成り立たないほどに教理的な部分を担っています。

B.パウロが受けたこと
1.まだ新約聖書が無いときにパウロはクリスチャンになりました。しかも彼はイエスが天に帰られてからのクリスチャンです。クリスチャンになる前はイエスとクリスチャンを迫害した程の人です。
2.では、彼が受けたのは何かというと、イエスの直弟子たちから伝えられたことです。彼は確かにダマスコ途上でイエス・キリストに会い、一時目が見えなくされました。彼は直に神から教えられた後、キリストの弟子達から教えられたようです。

C.私たちも受けたこと
1.私たちはどうでしょうか? 私たちもこのパウロと同じように言えるのではないでしょうか。誰から受けたかというと人によってはクリスチャンである家族、友人達、あるいは教会に行って、福音放送などを聞いて、YouTubeを見てなど色々あるかと思います。
2.私たちも宗教が必要ですが、勝手に自分で都合良く考えついたようなものではありません。突然天からの教えを聞いたとか言う方が宗教っぽいではありませんか。しかし、それは実に危ない話であり、悪霊の働きと言えるかも知れません。神は人を通して宣教のわざを繰り広げておられるのです。

Ⅱ.聖書に書いてあるとおり
A.イエスに関する預言
1. 聖書に書いてあるとおり とは、新約聖書が無かった時代ですから、もちろん旧約聖書です。旧約聖書にイエス・キリストのことが書かれているのでしょうか?
2.イエス・キリストに関する預言はたくさんあると言われています。しかし、わたし達が旧約聖書を読んで、ここがイエス・キリストに関する預言だと簡単にわかるところは少ないと思います。しかし、例えばイエス・キリストの誕生預言として有名なのは、 イザヤ7:14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
  イザヤ9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる
 などが挙げられます。

B.私たちの罪のために死なれた
1.イエス・キリストの死に関しての預言はやはりイザヤ書53章が有名です。
イザヤ53:5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、【主】は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
53:7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。 

2.イエスが十字架にかけられて死んだということはただ歴史的な事実だということではなく、その目的が 私たちの罪のために死なれたこと ということです。私たちのために死なねばならなかったのです。この身代わりの死こそが 最も大切なこと です。これ無しに私たちは救われなかったのです。

C.葬られた
1.イエスは確かに死んだのです。しかし、これが昔から論議されてきました。なぜか? 神は本来死ねないのです。イエスが神であるということは間違いの無い事実ですが、とすると死ぬことの無い神が死ぬというのはおかしいというわけです。
2.しかし、私たちの救いのためには私たちの罪のために身代わりになる生贄が必要なのです。それも動物では無く、完全な生贄が必要でした。そこで、三位一体の神は、子なる神イエスが罪の無い人間となって、全ての人の罪を引き受けて完璧な生贄となってくださったのです。
3.パウロはこのすばらしさを身をもって味わったのです。ですから 最も大切なこと と言うのです。果たして、私たちはパウロと同じく、このイエスの身代わりの死、十字架の死を 最も大切なこと と言えるでしょうか。

★ 今週金曜日は受難日です。全世界の全ての人が、この日の出来事を 最も大切なこと として受け止めるべきなのです。そして、そこに自分との命の関係を見出さねばなりません。なぜなら、私たちの人生の本当のスタートはイエスの十字架から始まっているのですから。

悪い時代でもチャンスはある

2021-03-21 06:16:32 | 礼拝説教
2021/3/21 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「悪い時代でもチャンスはある」
【聖書箇所】 エペソ5:15-17
5:15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、
5:16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。
5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。

○  箴言1:7 【主】を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。 という有名な聖書の言葉があります。パウロもクリスチャンは 自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。 と、語っています。
 
Ⅰ.神からの知識と知恵をいただこう
A.知識を大事にしよう
1.聖書の知識無しには私たちは正しく歩むことはできません。 自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。 と、パウロが言うのはこの世の知識を蓄えて、いかに世渡り上手に生きるかに注意を払えと言っているわけではありません。
2.聖書の知識というのは「聖書は40人ほどの人によって1500年ほどかかって書かれた」「神はお一人だが、三位一体だ」というような知識ではありません。そういう知識も大事ですよ。しかし、ここでパウロが言っているのはクリスチャンとしてどのように生きるか、歩むかという実践的なことです。

B.知恵をいただこう
1.ギリシャ語のフィロソフィア(フィロが愛、ソフィアが知恵という意味)という語が日本語に翻訳されて「哲学」とされたそうです。これは人間の知恵を表していますが、パウロが言う「知恵」は常に神から来る知恵のことです。
2. Ⅰコリント12:8 ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。 と、パウロは神からの賜物としての知恵の言葉、知識の言葉を上げているように、神からの知恵をいただいて正しく歩むことが必要です。

Ⅱ.機会を十分に活かそう
A.福音を求めている人が多くいる
1. 5:16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。 と言っていますが、パウロの時代は 悪い時代 だったようです。では、現代はどうでしょうか? 良い時代ですか? 果たして、天国以外に良いと言える場所、良い時代はあるのでしょうか? 
2.パウロは悪い時代だから 機会を十分に活かしなさい と言うのですが、悪い時代に機会があるのでしょうか? あります! 悪いということを多くの人が感じているということは、真の救いを求めている人も多いということです。そういう真の救いを求めている方が多いのですから、私たちは世の知識、知恵を語るのではなく、聖書の言葉、聖書の生き方を語る必要があるのではないでしょうか?

B.逆境を活かす
1.ところが、悪い時代だと何もできないと思い込んで何もしないでいることはないでしょうか? コロナの時代、色々な職種で経済的ダメージがありました。教会もこれを伝道の機会としてネットを活用したりしました。
2.お寺さんがお盆にも呼ばれなくて大変なことになったとき、タブレットやスマホでお経が聞けるようにネットで流したことで、返って多くの家庭から頼まれたと聞きました。
3. 5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。 と言われていますが、私たちは愚かになっていないですね?! 大丈夫ですね?! 

Ⅲ.機会を活かしたパウロたち
A.女性から悪霊を追い出してあげた
1.使徒の働き16章に「占いの霊」に憑かれた女性が出てきます。この女性の主人達は彼女の占いのお陰で大儲けしていました。当時、とてもよい仕事だったのでしょう。占いの霊というのはもちろん悪霊です。悪霊がどのようにして彼女にとりついたのかわかりませんが、彼女の占いがよく当たるわけですから、それに目を付けた主人どもは彼女を用いて荒稼ぎしていたのです。
2.彼女も初めのうちは「占って欲しい」と言ってくる人達のために善意で行っていたかも知れません。いくら善意であったとしてもこれこそ 知恵のない者 なのです。人の役に立っていると思うからやっていたのか知れませんが、背後にいるのは悪霊ですからいくら占いが当たっても、いくら稼げても彼女は喜びが湧いてこないのです。
3.彼女がパウロ達につきまとったのは、わたしが思うには悪霊の働きもあるでしょうが、彼女の心の底にある「救われたい」という思いからだと思うのです。そして、パウロはこの時に 機会を十分に活かし たわけです。彼女から悪霊を追い出しました。悪霊が即座に出て行ったことからも、私は彼女が「救って欲しい」「占いの霊に縛られている人生が嫌でたまらない」と思っていたからだと思います。稼げなくなってもいいのです。救われることが大事なのです。
4.そして、この後パウロとシラスは儲けられなくなった主人達の訴えで捕らえられ投獄されます。まさに 悪い時代 じゃないですか。

B.看守家族が救われた
1.しかし、有名なお話しが続きます。獄中でパウロとシラスは賛美と祈りをしていました。さて、何が起きたましたか? そう、地震です。そして獄の戸が開き、足かせなどは外れたのです。全ての囚人が逃げることができるようになったので、看守はみんな逃げたと思って自殺しようとしました。
2.そこで、 使徒16:28 パウロは大声で「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。 のです。看守にすれば奇跡です。囚人が誰も逃げていないのです。パウロとシラスだけではない、他の囚人もです。なぜか? パウロとシラスの賛美と祈りを聞いたからです。そこは牢獄でしたが、実に聖い場所となり神の臨在に溢れたからです。
3.そしてそれに触れた看守が救われるわけです。 5:16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。 悪い状況に見舞われたようですが、神はそれをチャンスとしてくださったのです。パウロとシラスはその時を見逃さなかったから、看守は自殺せず、救われたのです。
4.さあ、主のみこころは何ですか? あの占いの霊に憑かれた女性から悪霊を追い出すことではなかったでしょうか。そして牢獄であったとしても賛美と祈りを欠かさなかったことではないでしょうか。そして、看守に救いを語ったことではないですか。

★ 悪い時代でもチャンスはあります。世の中ばかり見ていてはそのチャンスも見失います。主を見上げてこそ、神からの知恵をいただけるのです。もう一度今日の御言葉を読んでみましょう。
5:15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、
5:16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。
5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。


主に喜ばれることとは?

2021-03-13 16:22:53 | 礼拝説教
2021/3/14 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「主に喜ばれることとは?」
【聖書箇所】 エペソ5:9-14
5:9 あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
5:10 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。
5:11 実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
5:13 しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。
5:14 明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」

○ このテキストはもちろん2月14日(日)の続きで、 光の子どもとして歩みなさい に続けて語られています。主の喜ばれることとは何でしょうか?
 
Ⅰ.光は実を結ぶ
A.実を結ばない暗闇に加わるな!
1.今さら皆さんに「暗闇」が何かを説明する必要は無いと思いますが、クリスチャンは「光」とされました。光と闇は相反するものです。光が神の世界、暗闇は悪魔の世界、この世ということです。
2.ですから、 暗闇のわざ とは悪魔のわざであり、不信仰の世界です。ある先生は日本にキリスト教が広まらない原因として、「日本は唯一神を信ぜず、汎神論の信仰が中心だから」と、もう一つ「悪魔が強く働いているという霊的な問題がある」と言っておられます。全てが悪魔のわざでは無いにしても巧妙に働いていることは感じられます。
3.パウロはかなり当時のローマ帝国の世的な問題(性的な問題)が教会にも関係していたために「聖く生きること」を語ってきました。クリスチャンになったものの、ずるずると悪しきことを行っていた人達は心痛んだかもしれませんが、そうした 暗闇のわざ から離れる決心をしたことでしょう。

B.主に喜ばれることを吟味しよう!
1.暗闇は死をもたらしますが、光は実を結びます。 あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。 とある通りです。 光の子どもとして歩みなさい。 のために大事なことが 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。 です。クリスチャン生活の基本は神に喜んでいただける生活です。そのために私たちは聖書を通して神に喜ばれることが何かを吟味できるようになりました。しかし、巧妙な悪魔に対抗するためにはさらに聖書を学ぶ必要があります。また、祈りが必要でしょう。
2.先日、韓国人伝道師の方が「韓国はクリスチャンが多いけれど、日本では少ないのはなぜだと思いますか?」という問いかけに「韓国のクリスチャンはよく教会に来ます。日曜はもちろん、週の間に3~4日教会に来てよく祈ります。また聖書を勉強します。日本のクリスチャンもそうすると増えるのではないでしょうか」と言われました。それを聞いて「なるほど」と思いました。
3.教団としても、私たちの教会としても、聖書の学びと祈りに力を入れようとしています。御言葉と祈りによって光の子どもである私達は実を結ぶのです。 【新改訳改訂第3版】エペ5:9 ──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです──  【新共同訳】エフェ5:9 ――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。―― とあるように、私たちも善意と正義と真実という実を結ぶのです。

Ⅱ.光の子どもの働き
A.明るみに出す
1.パウロにとって異教徒が行っていたことは  彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいこと でした。しかし、神に立ち返るということはそれらの罪、悪しきことを光である神の前に出すということです。 明らかにされるものはみな光だからです。 とあります。
2.しかし、ここで要注意なのは、ネットなどで他の人の問題を暴き出すようなことをすることではありません。暴くのは自分の行いです。神は私たちの悔い改めを見られます。そして善意、正義、真実の人へと変えてくださるのです。

B.死者の中から起き上がれ!
1.14節の 「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」 は、パウロがどこから引用したのかわかりません。イザヤ書60:1かもしれませんし、当時の讃美歌の一節ではないかと言う人もいます。正に暗闇の中、死者の中にいる人に悔い改めて主に立ち返ることを語っているような言葉です。
2.パウロと共に働いた人にデマスという人がいます。 コロ 4:14 愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。 ピレモ 1:24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。  と、パウロと共に働いた人ですが、 Ⅱテモ 4:10 デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。 と、世の方に行ってしまったみたいです。パウロはこの手紙を書いたときにはデマスがそんな状況になるとは考えてもみなかったかも知れません。しかし、後にキリストを離れて世に入って行ってしまったデマスを悲しく思ったことでしょう。もしかして、この手紙、あるいはこの歌をデマスが読んだか聞いたかも知れません。世に埋没したデマスがテサロニケの町を歩いていると、教会からこの言葉(歌)が聞こえてきたかも知れません。そして彼はその教会に入っていき、悔い改めて再度主のために働き始めたかもしれないのです。
3.私たちの周りにもかつてはクリスチャンとして礼拝に集い、奉仕をしていた人が、教会を離れ、交わりを絶ち、まるで「世の人」になってしまったという人がいるのではないでしょうか。御言葉には力がありますし、賛美は人の心にしみ入ります。それを聞いて 死者の中から起き上が る人がいるものです。私たちは実を結ぶ光として、愛を持って祈り続けましょう。

● 若い時に牧師先生から聞いた話ですが、ある牧師がバーで働く人達を救いに導こうとしてバーに通ったそうです。ところが、その牧師は反対に「世の人」となってしまい、牧師を辞めたというのです。悪魔は狡猾です。全ての人に伝道することは大事なのですが、私たちの世との関係は注意が必要です。

★   何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。 常に主の喜ばれる生き方を目指そうではありませんか。それは聖書と祈りから始まるのです。