バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

赤いひもと十字架

2023-01-25 08:28:15 | 礼拝説教
2023/1/29 礼拝説教
【テーマ】  信じることを示す
【説教題】 「赤いひもと十字架」
【聖書箇所】 ヨシュア記2:1-18
2:1 ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。
2:2 ある人がエリコの王に、「イスラエル人の数名の男たちが今夜、この地を探ろうとして入って来ました」と告げた。
2:3 それで、エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」
2:4 ところが、彼女はその二人をかくまって言った。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。
2:5 暗くなって門が閉じられるころ、その人たちは出て行きました。どこへ行ったのか、私は知りません。急いで彼らを追ってごらんなさい。追いつけるかもしれません。」
2:6 彼女は二人を屋上へ上がらせ、屋上に積んであった亜麻の茎の中におおい隠していた。

2:12 今、【主】にかけて私に誓ってください。私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたもまた、私の父の家に誠意を尽くし、私に確かなしるしを与え、
2:13 私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。」

2:18 見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。

○ かつて神学校を卒業して数年の時、関西教区では滋賀県開拓準備委員会がつくられ、教区委員をしていた私もその一人に選ばれました。担当の先生と不動産屋を訪ね、町を見て回り、祈りました。教会を建てるにはそれなりの調査をします。ヨシュアは戦いのために頑丈な城壁を持つエリコの町を調査しなければなりませんでした。
 
Ⅰ.調査する
A.エリコの町に忍び込んで調べる
1.神が与えた約束の地とは言え、決して楽にカナンの地を獲得することはできません。戦いで勝ち取っていかねばならないのです。そこでヨシュアは二人の者をエリコの町の偵察に行かせます。緊張したでしょうね。命がかかってますからね。
2.現代の戦いにはインターネットが用いられます。様々な情報を前もって仕入れることができるわけです。しかし、ヨシュアの時代、何の情報も無い彼らは直接調べるしかありませんでした。そこで、二人は忍び込みやすい遊女の家に入り込んで調査を始めたのです。

B.伝道のために調査する
1.私達は悪魔から人々を救い出す大事な戦いを強いられています。そのためには敵を知ることも必要ですし、伝道する人々のことも調べなくてはなりません。トラクト配布の前に伝道部は教会周辺の世帯数を調べてくださいました。そういう調査が必要になるのです。
2.全ての人に福音を届けるためには、それなりの調査が必要かも知れません。若い人を救いに導くにはどんな調査が必要なのでしょう? 調査は大事ですが、人はみんな違うことも覚えておかねばならないと思います。最終的には個人伝道がものを言うのだsと思っています。

Ⅱ.信じる
A.互いに信じ合って助け合う
1.ラハブはイスラエルがエリコの町を攻略すると信じていました。それはイスラエルの神がエリコの神よりも強いと思っていたからです。彼女はここから正しい神を信じる方向へと方向転換をしました。なので、エリコを裏切って、イスラエル人二人をかくまうことにしました。間違っているとわかったときには直ぐにでも方向転換をしなければなりません。ましてやそれが永遠の命に関することならなおさら、悔い改める必要があるのです。
2.一方、偵察の二人はラハブを信じました。彼女を信じたので命を救われました。彼女がかくまってくれなければ二人は殺されていたかも知れません。また、ラハブは二人を信じました。それによってこの後、ラハブとその家族は救われるのです。

B.赤いひもを結んでおくだけで救われる
1.斥候二人は「赤いひも」を結びつけておくことでラハブとその家族も救うと約束します。たかが「赤いひも」を結びつけるだけのことです。ラハブが救われるためにするのはただ「赤いひも」を結びつけるだけです。ラハブの方は「赤いひも」を結びつけるだけかも知れませんが、その背後ではヨシュア率いるイスラエル人が大変な戦いをするのです。
2.キリスト教は「イエスを信じるだけで救われる」と言います。そんな単純なことですが、その背後ではイエスが十字架にかけられ殺され、神の力で三日目に復活するという壮大な働きがあるのです。信じるというのはその全てが自分のために行われていることを信じるということなのです。

Ⅲ.示す
A.ラハブによって家族も救われた
1.「赤いひも」を結びつけておくだけで恐ろしい死の攻撃を免れます。この「赤いひも」がイスラエルに対してイスラエルを信じているしるしです。救ってもらえることを信じているしるしです。
2.ラハブはイスラエルの斥候を助けたが故に救っていただけるのですが、ラハブの家族も救われることになるのです。そのために彼女は 私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。 と言い、二人は あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい と言いました。詳しいことを知らない家族であってもこの「赤いひも」が結びつけてある家に集まっていればみんな救われたのです。

B.あなたによって家族も救われる
1.出エジプトの時、神が門柱とかもいに小羊の血を塗るように言われました。赤く血塗られた家の中にいれば「死」が通り過ぎました。この「赤いひも」はそれを思い起こさせる話です。また、それは十字架を思い起こさせます。赤く血塗られた十字架の後ろに身を潜める者は永遠の死の裁きを免れます。
2.ラハブによって家族も救われるのは、 使徒16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」 というパウロとシラスが看守に言った言葉を思い起こさせます。私達の家族の救いも決して無理な話ではないのです。ラハブが斥候二人に言ったように 私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。 と祈るべきなのです。

★ イエス・キリストを信じるだけで救われるのは、すでにイエス・キリストがそれにふさわしい業、十字架と復活を行われたからです。私達は感謝してもしきれないですが、感謝の言葉をもって「信じます」という告白をしようではありませんか。そして、イエス・キリストから離れないことです。

強くあれ、雄々しくあれ

2023-01-18 06:43:36 | Weblog
2023/1/22 礼拝説教
【テーマ】  次世代の活躍
【説教題】 「強くあれ、雄々しくあれ」
【聖書箇所】 ヨシュア1:1-9
1:1 【主】のしもべモーセの死後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
1:3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
1:4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
1:5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
1:6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
1:7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
1:8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」


○ 今年、次世代の救いと活躍を祈っていくのですが、95才で現役で働いておられる人もある時代です。高齢者だからと引退していられない時代のようです。モーセは120才まで現役で働きました。次世代に信仰を伝えるまでしっかり働きたいですね。
 
Ⅰ.やっと約束の地へ
A.40年間も待たされたのは?
1. 申命記34:7 モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。 と、120才まで生かされたモーセ。80才から40年間イスラエル人を導いてきたのにモーセは約束の地に入ることを許されませんでした。神の言葉を信じ切らない出来事、水の無い地で岩に命じれば水が出るという神の言葉を無にして、杖で岩を打ったからです。
2.40年という期間は何と長いことでしょう。それはイスラエルの民が出エジプトをしたけれども神を信じ切らない民であったからです。約束の地を斥候に行ったリーダー12人の内10人は「無理だ」と言い、民は「神が共にいるから行ける」と言ったヨシュアとカレブさえも殺そうとしました。そういう不信仰の民をそのままカナンの地に入れることはできなかったのです。

B.次世代に実現する
1.40年の間に代替わりが始まっていました。モーセは死にました。そして、次のリーダーになったのはヨシュアです。今日のテキストはそのヨシュアに神が語られた言葉です。 わたしがモーセに約束したとおり と、神はモーセに約束されていました。それを次世代のヨシュアや人々の子孫に実現されたのです。
2.私達もそうしたことを経験するのかも知れません。私達は祈り願うと直ぐにかなえられると思いやすいし、そうならないと「神はいないのか!」等と言って文句を言いやすいのです。しかし、神は次世代に私達の祈りの答えをくださることだってあるのです。

Ⅱ.約束の地を得ることは簡単か?
A.戦いを勝ち抜かねば得られない地
1.約束の地に入ることになりましたが、このヨシュア記を読む限り、そんなに簡単にカナンの地を得ることができたわけではありません。なぜなら、イスラエルがカナンの地を離れてエジプトで奴隷となっている間に、この良き地は偶像を礼拝する異邦人で満ちてしまったからです。
2.そこで、ヨシュアをリーダーとしてイスラエル人はこの約束の地を奪還するために戦わねばなりませんでした。それは決して楽なものではありませんでした。大変な闘いを強いられるイスラエルのために神は次世代リーダーのヨシュアを励ましてくださいました。 わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。 と。
3.ヨシュアには神がモーセと共におられたことは良くわかっていました。彼がモーセから学んだのは神が共におられることの幸いでした。ですから、神はヨシュアにも 1:5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。1:6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。 と、語られました。

B.私達の約束の地は簡単に得られる
1.しかし、今や私達は真の約束の地は天国であることを知っています。ヨシュアの時代と違って、聖霊時代の今はイエスを信じるだけで約束の地である天国に簡単に入れます。そして、ヨシュアの時代と違って戦いをする必要はありません。
2.神は平和の神であり、互いに愛し合うことを命じておられるのです。もちろんこの命令は旧約時代にもあったのですが、戦いで強くなければ神を信じないような時代であったためか、神はイスラエルを用いて戦わせ、真の神を知らせられたようです。

Ⅲ.神の約束を守ることで得られる地
A.強くあれ、雄々しくあれ
1.簡単に天国には入れるなら何もしなくて良いのかというとそういうわけにはいかないです。私達は信仰による強さで勝ち進んでいかねばならないのです。信仰による強さとは「愛」です。愛以上に強いものはありません。イエスは マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 と言われたではありませんか。そのために神は私達を励ましてくださいます。 強くあれ。雄々しくあれ と。
2.私達が次世代に伝えたいことはこれではないでしょうか。私達と共におられる愛の神が次世代にも共におられることをです。私達は神と人を愛するには弱い者です。しかし、私達の欲しい強さはこの世の力による強さではない、不思議な信仰の世界が持つ強さなのです。これが人生にものを言うのです。

B.神の言葉を常に口ずさめ
1.信仰の世界の強さ、雄々しさというのは「御言葉を生きる」ことにあります。最初はみことばを口ずさむことから始まるのかも知れません。時には色々な御言葉を知らないがために、「イエス様」と呼びかけることしかできないかも知れません。それでいいのです。でも、人々にも「イエス様」と呼びかけるようにお話ししていくのです。そう、伝道です。伝道は救われたら直ぐに始めるものなのです。
2.そうしてだんだん成長して御言葉を口ずさめるようになったら大いに御言葉を語りましょう。みことばを伝えるのです。モーセは神の言葉をいただいて直ぐにイスラエルの民に語りました。その姿を見続けたヨシュアもそのようにしたのです。

★ 私達の約束の地は天国です。そこは、イエス・キリストを信じるだけで簡単に入れます。しかし、この地上で神は私達をイエスに似た者とするために訓練されています。愛の強さを持つ訓練です。そのためにあなたの内なる聖霊が 強くあれ。雄々しくあれ と励ましてくださっています。


神はあなたを訓練される

2023-01-11 07:53:08 | 礼拝説教
2023/1/15 礼拝説教
【テーマ】  主の訓練と約束
【説教題】 「神はあなたを訓練される」
【聖書箇所】 申命記8:1-10
8:1 私が今日あなたに命じるすべての命令を、あなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生きて数を増やし、【主】があなたがたの父祖たちに誓われた地に入って、それを所有することができる。
8:2 あなたの神、【主】がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
8:3 それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は【主】の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。
8:4 この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。
8:5 あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、【主】があなたを訓練されることを知らなければならない。
8:6 あなたの神、【主】の命令を守って主の道に歩み、主を恐れなさい。
8:7 あなたの神、【主】があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、
8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろのある地、オリーブ油と蜜のある地である。
8:9 そこは、あなたが不自由なくパンを食べ、何一つ足りないものがない地であり、そこの石は鉄で、その山々からは銅を掘り出すことのできる地である。
8:10 あなたが食べて満ち足りたとき、主がお与えくださった良い地について、あなたの神、【主】をほめたたえなければならない。

○ 皆さんは今までの人生でどんな苦しい目に遭われましたでしょうか? でもそれが神様の試練であり、後に恵みだとわかる日も来たのではないでしょうか? イスラエル人は多くの苦しみを体験しましたが、それにはとても大事な意味がありました。
 
Ⅰ.訓練される神
A.訓練の意味
1.申命記は神の言葉を思い起こさせるために書かれていますが、イスラエルの民はなぜ40年間も荒野で生活しなければならなかったのでしょうか? それは 8:2 あなたの神、【主】がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。 と、ある通りです。
2.40年間の訓練は何のためかというと神の命令を守る民族となるためです。長いエジプトでの奴隷生活で、神の民のアイデンティティが崩れていました。それを立て直し、他の民族、人々にも神の望まれる生き方、真の礼拝の姿を示していくために彼らは用いられるのです。

B.私達への訓練の意味は?
1.私達は人生で何か苦しいこと、大変な経験をされたことがあるかと思います。神がいないならそれはただの苦しみに過ぎず、良い結末を見る可能性も少ないかと思います。しかし、神がおられるので、必ずその大変さにも意味があるのです。
2.大変な経験を通して神は私達を訓練されています。その訓練は何のためでしょうか? イスラエル人が異邦人の救いのために訓練されていたように、私達に与えられている訓練も未信者の方々の救いのためだと言えるのです。もちろん、私達の信仰の成長のためでもありますが。

Ⅱ.祝福される神
A.神は試練と共に恵みをくださる
1.試練を与える神ですが、イスラエルを守り通してくださる神だという大事なことを覚えてください。3節から書いてあるように それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。 と、マナを与えてくださる神です。水の無いときには岩からでも水を与えてくださいました。そればかりか、 8:4 この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。 という不思議を行ってくださったのです。
2.ところが、人々は何度も文句を言ってきました。こんなに不思議を行ってくださった神にです。ですから、訓練を与えられるのです。神に感謝すること、神を讃えることを教えておられるのです。パウロも Ⅰテサ5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。 と言っています。

B.私達も恵みをいっぱいいただいている
1.私達は神に文句を言わないでしょうか? 聖書を読みながらイスラエル人のわがままや文句を聞いて「神に感謝しろよ!」とか「自分勝手だなあ」とか思いやすいのですが、私達は日々、神の様々な恵みに対して十分な感謝をしているでしょうか?
2.私達は訓練を受けていると同時に、神の恵みもいっぱいいただいていることを覚えていただきたいのです。それを祈りで言い表していただきたい。救われたことはもちろん、今の自分の状態がどんなであっても、そんな自分を神が愛しておられることをしっかり思い起こしていただきたいのです。

Ⅲ.約束の地へ導く神
A.神は約束を守られる
1. 8:6 あなたの神、【主】の命令を守って主の道に歩み、主を恐れなさい。8:7 あなたの神、【主】があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。 と、神はイスラエル人を約束の地へと導かれます。アブラハムにカナンの地を目指すように言われてからいったい何百年が過ぎたのでしょうか。イスラエルがエジプトの地で奴隷となってしまいましたが、それでも神は見捨てておられません。モーセを遣わして約束の地へと向かわせるのです。
2.神はそこまでしてイスラエルを用いられるのはなぜですか? それは神がとことん約束を守られる神だからです。そして、神はイスラエルを通して、全ての人を愛していること、神と人の良き関係を教えたいからです。

B.神はあなたを用いられる
1.私達はどこが約束の地でしょうか? 天国! 神は私達を天国へと導いてくださっています。でも直ぐに天国へ導くわけではなく、この地上での働きを考えておられるのです。
2.私達が神を愛している姿を人々に示すこと、神の望まれる生き方が何なのかを私達が人々に示し、神の願っておられることを人々に教えていくために私達を訓練し、用いられるのです。そして、神は聖書の約束を守られます。

★ 神は皆さんを約束の地へと導いておられます。しかし、それまでは訓練をされるのです。その訓練中に私達を通して、神を知らない人に神を見せようとしてくださっているのです。

全ての人に福音を届ける

2023-01-04 06:22:12 | 礼拝説教
2023/1/8 礼拝説教
【テーマ】  今が救いの時
【説教題】 「全ての人に福音を届ける」
【聖書箇所】 伝道者の書12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

○ 今日は成人者祝福式を行うのですが、成人者の年齢が18才となり選挙権が与えられました。とはいえ、まだ何もかもが18才から成人と同じとみなされていません。しかしその内、教会でも成人祝福式を18才で行うようになるのかも知れません。18才というのは大きな変化の年齢なのでしょうね。
 
A.神を信じた
1.私毎で恐縮ですが、私がクリスチャンになったのは18才の誕生日から20日過ぎた頃でした。ここで私の人生は大きく変わりました。子どもから大人になったというような変化ではありませんが、世界に対しても、人に対しても、自分に対しても見方が変わりました。そして何よりも変わったのは見えない世界、神に対して変わりました。
2.私はずっと神はいないと思っていたからです。科学で全てのものは証明されると思い込んでいましたし、進化論を信じ込んでいましたから、人間の祖先は類人猿であり、その前は猿だと思っていました。だから、私より少し猿に近い親を尊敬する気にもなれませんでした。
3.宇宙はビッグバンででき、偶然に偶然が重なって地球ができ、また偶然に偶然がかさなってアメーバができ、さらに偶然に偶然が重なって人間へと進化したと信じていました。しかし、そう信じていたもののビッグバンの前はどうだったのか? とか、宇宙の果てはどうなっているのか? とか、死ぬとどうなるのか? 科学を信じ込んでいた割には何もわかっていませんでした。
4.また、キリンの首は進化して長くなった話だとかを聞くと変だなあと感じていましたし、木の葉そっくりの昆虫などが進化でできるだろうかと疑問に思ったり、春になると枝から葉っぱが出てくるのもとても不思議でした。勝手にできたということですから。こんなにすばらしい自然が勝手にできるのだろうかと不思議でした。
5.それらのことがイエス・キリストを信じただけで何もかも解決してしまったのです。わかったという意味ではないのですが、神がそのようにされたということで解決したのです。じゃ、「神は誰が創ったのか?」と言われると「最初からおられた」としか言えないのですが・・・でも、解決したのです。
6.そのきっかけとなったのは神なんているわけがないと信じ込んでいた17才の終わり頃のことでした。大学受験を控えていた私の目が見えにくくなったのです。近視とかそういうのではないのです。全体に暗くなって本が読めなくなって、いつも通っていた目医者に行きましたら、1時間もかけて先生は検査しました。そして「視神経が半分死んでいる」と言われ、「そのままでは失明する」と。そこで、紹介状をいただき、大学病院へ行くのですが、その前にクリスチャンの母が手を置いて祈ってくれました。ところが、大学病院で検査すると「視神経には何の問題もない」というのです。視力表や本を見ると確かに見えるのです。もう一度カルテをもらって目医者に行きましたら、「そんな馬鹿なことがあるか!」と先生は私の目を調べました。「生き返っている!」と言われるのです。そうです、視神経は生き返っていました。この体験は私には大変大きな体験で、「神はいるのだろうか?」という大きな疑問へと発展したのです。
7.でも、「神なんているはずがない。母が祈ったからなんて関係ない。治ったのは偶然だ」と言い聞かすのです。が、どうしても「偶然治った」ということが信じられないのです。確かに目は見えにくくなっていたのです。目医者さんは視神経を見て「半分死んでいる」と言ったのです。わけがわからなくなりました。
8.そうして2週間ほどして大学受験が終わりました。すると、母が「高校生バイブルキャンプ」のチラシを手渡し、「行ってみないか」と言うのです。いつもなら、「誰がこんなの行くかぁあ!」と握りつぶされてゴミ箱行きのチラシのはずでした。ところが、この時は急に「バイブル」という言葉に興味が湧き、「行ってくるわ」と言って、教会に自ら申込み書と参加費を持って行きました。
9.キャンプというのでテントで寝るのかと思っていたら、きちんとした建物の中で寝られましたし、食事もおばさん達が作ってくださっていました。最初はソフトボールをしてとても楽しく遊びました。この時感じたのはここに来ているクリスチャンと呼ばれる高校生がとても明るいということでした。高校3年の私のクラスと全く雰囲気が違って驚きました。一気に私はこの人達、クリスチャンが好きになりました。
10.夜になって最初のメッセージを聞いたのですが、その時私は「神はいる」「イエス・キリストは神だ」と信じられました。まだ知識がしっかりあるはずもありません。ですが「クリスチャンになる」と決めましたし、洗礼も受けると決めました。二泊三日の楽しいキャンプを終えて家に帰ると真っ先に母に「おれ、クリスチャンになったから」と言って、次の日曜日から教会に行きました。まず休むこともありませんでした。
11.私は若い日に創造者・神を信じて本当によかったと思っています。私の人生は幸いです。

B.早いほうがいい
1.海神学生やレナン神学生のようにクリスチャンホームに生まれイエス様を信じるのが普通の状態で成長してきた人もいます。私なんかよりもっと若い日に創造者を信じておられたのです。それを聞くと「私ももっと早くにイエス様を知っていればなあ」と思ったものです。
2.しかし、チャンスはあったのです。小学四年生の時に母に言われて教会学校に行ったのです。が、面白くなくて1ヶ月くらいでやめてしまいました。「続けていればよかったのになあ」とつくづく思いますが、微妙な年齢の男の子には女の子ばかりのクラスに女の先生、聖書のお話だけのような時間は耐えられなかったのだと思います。
3.ですから、18才でクリスチャンになった私は幸いです。私の父も妻の両親も亡くなる少し前にクリスチャンになるのですから、「もっと早くにクリスチャンになってくれていれば」とは思いましたが、天国で会えるという幸いを神様はくださったので、本当に感謝しています。
4.年配の方にとって、遅すぎるということはありませんが、少しでも早くクリスチャンになっていただきたいです。ですから、若い人はもちろん、クリスチャンになっていただきたいです。いつ?!「今でしょ!」(もう古い言い方ですね)

C.喜びがある人生
1.神様のために働くというのはとてもすばらしいものです。私は教師時代、生徒達のために祈りながら仕事が出来たことを嬉しく思っています。たくさんの生徒が教会に来ました。色々不思議も起こり、祝福された教師時代でした。
2.牧師になって体を壊し、新中野教会に来てさらに体を壊してしまいましたが、 「何の喜びもない」 ということを体験していません。そりゃ、辛いこと、苦しいこと、痛いことはいっぱいあるのですが、神様からいただく喜びというのは何か次元が違うのでしょうね。そんなものを抱えながらも不思議な喜びに満たされるのです。それはイエスの弟子達と同じだと思います。

★ 少しでもあなたの若い内に、イエス・キリストを信じませんか。聖書はあなたの幸せはそこにあると言っています。最後にもう一度御言葉を読みます。 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。 


大宣教命令の目的

2022-12-29 06:12:25 | 礼拝説教
2023/1/1 元旦礼拝説教
【テーマ】  弟子を生み出す
【説教題】 「大宣教命令の目的」
【聖書箇所】 マタイ28:16-20
28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。
28:17 そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
28:19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
28:20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

○ 2023年が明けました。今年もよろしくお願いいたします。
 
Ⅰ.今年も生き生きした礼拝を捧げよう
A.礼拝は捧げるもの
1.コロナの大影響を受けた2020年から3年が経とうとしています。私たちの教会だけではなく多くの教会がその活動を大幅に縮小することになりました。反面、今までしていなかったオンライン礼拝が行われるようになりました。
2.礼拝を捧げること自体は止められていません。ですからもし、「礼拝を受けられなかった」とか「礼拝を守れなかった」という言い方をするとすれば、それはおかしい言い方です。礼拝は捧げるものだからです。
3.オンライン礼拝の場合気をつけないと「礼拝を捧げる」ことが薄れる可能性があるかも知れません。もちろん、会堂に来ていても出席したことで礼拝を捧げた気になるのも注意すべきでしょうね。また、礼拝には様々な奉仕が必要です。その奉仕をしたことで礼拝を捧げた気になるのも要注意なのです。真に礼拝を捧げましょう!

B.礼拝は最も大事なこと
1.礼拝は神が私達に望んでおられる最も大事なことといえると思います。今日、元日にはあちこちの神社仏閣は大賑わいでしょう。しかし、それは礼拝なのでしょうか? それこそイエス時代にユダヤ人が陥った形骸化した礼拝の姿ではないでしょうか。神殿に行き、生贄を届けたら礼拝したことになるというような。
2.真の礼拝は ヨハネ4:24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。 とイエスが言われたように場所とか形ではなく大切なのは聖霊と私達の一体化した礼拝です。今は実に異端や惑わしの多い時代です。聖霊ではなく、悪の霊が働いています。それを見抜いて正しい礼拝をすべきなのです。
3.また、 ローマ12:1 あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。 という礼拝です。イエスがご自身をささげてくださったので、私達は神をじかに礼拝できるようになったのですから、私達も自らを捧げるのです。つまり、主の前に出て、心からの賛美、祈り、献金を捧げ、御言葉を聴いて行うのです。

Ⅱ.今年も大宣教命令を実行しよう
A.大宣教命令とは?
1.さらに神の望んでおられることを考えてみましょう。神は私達に何を望んでおられるのでしょうか? 今さら言う間でもなく、皆さんよく知っておられる「大宣教命令」があります。これは神が私たちに命じられていることです。それが今日のテキストです。「大宣教命令」という言葉は有名ですが、皆さんはその命令を守っておられますでしょうか?
2.この命令の主目的は「伝道しなさい」ではなく、「弟子としなさい」です。19-20節に4つの動詞 行って 弟子としなさい バプテスマを授け 教えなさい が、ありますが、主要動詞は一つです。それが 弟子としなさい なのです。つまりイエスの願っていらっしゃるのは弟子をつくることです。イエスご自身その3年半と言われる公生涯の中で重要視されたのも弟子づくり、弟子訓練でした。

B.弟子となり、弟子をつくる
1.弟子とするためにすべき事は「教える」ことです。では、その教える内容は わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るよう です。つまり、御言葉です。今は「聖書」が手元にありますから本当に幸せです。御言葉を教えるのは牧師だけではありません。みんなに聖書があるからです。
2.弟子をつくるために御言葉を教える私達がまず弟子となっていることです。そのために御言葉を学び、御言葉を実行することではないでしょうか。

● 使徒8章でエチオピアの高官が馬車でイザヤ書を読んでいました。エルサレムに礼拝に上ったという信仰心に篤い人だったみたいです。彼はエルサレムで高いこのイザヤ書を買ったのでしょう。ところが、彼は理解できませんでした。そこで、聖霊はピリポを遣わされました。彼は馬車の横を走り、呼びかけ、乗り込み、聖書を教えたのです。すると、高官は洗礼を受けると言ったのです。つまり「弟子となる」と意志決定したということです。 使徒8:31「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」 なのです。教えてくれる人が必要なのです。そして 8:35 ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。 とあるように、私達もイエスの福音を教えるのです。

★ さあ、私たちのすることは?!

喜びと感謝がいっぱい

2022-12-22 06:58:31 | 礼拝説教
2022/12/25 礼拝説教
【テーマ】  待ち望んだ日クリスマス
【説教題】 「喜びと感謝がいっぱい」
【聖書箇所】 ルカ2:8-20
2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
2:15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
2:17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
2:18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
2:19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

○ いよいよクリスマスです。世の中はすでにお正月に模様替えしていることでしょう。昨日はクリスマスイブで今日がクリスマスなんですよ。イエス・キリストのお誕生を心からお祝いしましょう。
 
Ⅰ.クリスマスは喜びの日
A.ユダヤ人が待ち望んでいたから
1.なぜかほとんど全ての人はクリスマスが嬉しいし、喜びを感じます。キリスト教国なら当然かも知れませんが、そうで無い国々でもクリスマスが祝われるのです。
2.それは最初ユダヤ人に告げ知らされたのです。天使の言葉を見ましょう。 2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。 「この民」とはユダヤ人です。救い主誕生の預言は昔からなされていて、ユダヤ人は待ち望んでいました。

B.神の計画が確実に進んでいるから
1.神はユダヤ人だけに救い主を与えたのではありません。なぜなら全ての人が神の愛する子だからです。しかし、神を離れてしまった人々に神を教え、神と共に生活するすばらしさを教えるためにユダヤ人を用いられました。
2.彼らを通して、真の神がどのようなお方かを知らせ、正しい生き方を教えてくださいました。そして、預言が成就してイエスが誕生したのですから大喜びの日となりました。今もずっとクリスマスが祝われるのは、今も生きておられるイエスの更なる計画が最終的な方向に聖書通り進んでいるからです。

Ⅱ.クリスマスは感謝の日
A.ユダヤ人にとって感謝の日
1.イエスの誕生の喜びはユダヤ人にとってはイスラエルという国の回復でした。そこで、エルサレム神殿を中心とした最高の礼拝を捧げ、イスラエルの回復を感謝できるからです。
2.天使はこう告げました。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 国を奪われ、あちこちに散らされ、ローマ帝国の中に組み込まれたユダヤ州が神の王国となるのですから感謝でいっぱいの言葉です。

B.私たちにとっても感謝の日
1.しかも この方こそ主キリストです というのは全ての人の「主キリスト」なのです。イエスによって地上の神の国では無く、永遠の神の国(天国)を私たちに与えてくださるのですから感謝でいっぱいです。
2.神の国に入れなかったのは私たちがみんな罪人だからです。その罪の解決はイエスにしかありませんでした。それが遂に十字架と復活によって実現したのです。イエスを救い主として受け入れる(信じる)だけで救っていただけるという最高の恵みをくださったのですから感謝でいっぱいです。

Ⅲ.人々に伝えよう
A.喜びの証をしよう
1.羊飼い達が一番にイエスを礼拝に来ました。天使の言ったとおりの場所、また赤ちゃんでした。小さな、みすぼらしい礼拝でしたが、喜びと感謝に満ちていました。私たちの礼拝も場所や見た目が立派なことが感謝なのではなく、イエスが中心におられることです。
2.すると、 2:17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。2:18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。 羊飼い達は嬉しくてたまりませんからみんなに話して回ったのです。私たちもこの嬉しいクリスマスの真の喜びを語り告げましょう。

B.喜びは続く
1.羊飼い達は自分達の生活が裕福になったわけでもないのですが、嬉しくてたまらないのです。ここから30数年後に大きく事態が変わるのですが、この時にはそんなこともわかりませんでした。イエスを礼拝して羊飼い達はまた彼らの生活に戻るのです。イエスが誕生したからといって、彼らの生活が一気に裕福になったとかではありません。いや、何も変わらなかったかも知れません。
2.ただ、彼らの心は違っていました。丘に戻るその戻り方は今までと違いました。 2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 喜びと感謝に溢れて神を崇め、賛美し続けるのです。私たちは救われた現実があるのですからなおさらです。喜びと感謝が続きます。日々の生活が大きく変わらなくても大いに神を崇め、賛美しましょう。

● イエスを信じた日からあなたの心は変わっています。生活そのものは変わっていなくても心は変わっているのです。なぜならイエスが共におられるからです。

★ 喜びと感謝がいっぱいですね。コロナコロナで大きな変化の無い2-3年だったかも知れません。しかし、なんと私たちの喜びと感謝は大きいのでしょう。さらに神を崇め、賛美し続けましょう。


神に不可能は無いと信じますか?

2022-12-08 07:32:41 | 礼拝説教
2022/12/11 礼拝説教
【テーマ】  全能の神
【説教題】 「神に不可能は無いと信じますか?」
【聖書箇所】 ルカ1:34-38
1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」
1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。

○ 私は三叉神経痛に苦しめられています。本当に痛いのです。薬に出会う前は痛みのために意識を失いそうにもなりました。今は薬のお陰でそういうことは無くなりましたが、それでも酷いときは顔も洗えません。しゃべることもできません。私は神は全能者と信じています。神は癒し主だと信じています。でも、この痛みが11年も続いているとさすがに「癒されないのではないか?」と思ってしまうことが多々あります。だからといって神に癒すことができないとは思えません。ですから、痛みを抱えつつも神に感謝しています。
  マリアは神を全能者と信じていたようです。
 
Ⅰ.聖霊が与えられていることを信じるか?
A.マリアにイエスが与えられる
1. 1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」 と言うように、なぜこんな事が起こるのか、わかりもしないことが起こってしまいました。私たちの人生にも思いもよらないことが起こるものです。しかし、マリアの出来事は人類歴史初の出来事です。
2. 1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。 と、聖霊がマリアにイエスを与えるのです。聖霊は神ですから全能です。聖霊は ヨハネ3:8 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。 とあるように、私たちにわからないようなこともなさいます。ですから、私たちの祈っている人も救われる可能性はとても大きいことも信じられますね。

B.エリサベツにヨハネが与えられる
1.さて一方、年寄りのエリサベツがヨハネを宿すのですが、これも実に不思議です。しかし、マリアのとは違います。ヨハネは普通の人であり、いわゆる原罪を持って生まれた人です。
2.とは言え、本来子を宿すことができないはずの年寄りのエリサベツが子どもを宿すという神のなさる不思議。まさに神は全能者です。私たちの信じる神は全能の神です。

C.あなたに聖霊が与えられていることを信じるか?
1.こういう不思議をなさる全能者である主。私たちにも不思議なことをしてくださるのです。その最たるものは罪人であって、本来天国に入ることができなくなっている私たちの罪を消し去って天国に入れるようにしてくださったことでしょう。
2.それはイエス・キリストを自分の罪からの救い主と信じる信仰だけでそうしていただけるという不思議。しかもイエス・キリストを信じた人には等しく聖霊なる神をその人の内に住まわせてくださるという不思議です。このことを信じますか?!

Ⅱ.神に不可能は無いと信じるか?
A.この世界に救い主が与えられたことを信じるか?
1.皆さんは神に不可能は無いと信じますか? 不可能は無いというのは何も私たちの願うことを何でもかなえてくださるということではありません。あなたにとって最も良いことを神はなさるのです。そのことを信じるか、ということです。
2.そして、その神がこの地上に神の子イエスを与えてくださったことを信じますか? 最初、ユダヤ人は自分たちだけの救い主と思っていました。しかも、まさかその救い主がイエスだとは信じられなくて殺してしまうのです。彼らは信じなかったのですが、あなたは信じますか?

B.あなたに救いが与えられたことを信じるか?
1.あなたもこのイエス・キリストによってのみ救われるのですが、そのことを信じますか? イエス・キリスト以外に救いはないということを信じますか? 幾つも救いの道があって、私たちがその救いを自由に選べるわけではありません。
2.サタンは他にも道があるように教えますが、アダムとエバがサタンにだまされたように、一見正しいように見えて神とは違う方向に導いてしまうのがサタンです。巧妙な詐欺師のような者です。あなたはイエス・キリストだけが救い主であることを信じてください。

C.あなたの人生に神の祝福があることを信じるか?
1.そして、このイエス・キリストを信じるということはあなたの救いだけを表しているのではありません。 使徒16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」 とあるように、あなたの家族も救われるのです。救いほどすばらしい祝福は無いですね。
2.その秘訣はマリアの言葉にあります。 1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」 です。徹底して神を信じる者に神は恵みと祝福を惜しまれません。

● なかなか神に不可能は無いと信じられないような苦しみ、痛み、苦悩がありますが、それはやはり信仰の試練と考えて良いのではないでしょうか? それをもたらしたものがサタンであってもサタンにはそこまでしかできないのです。私たちの永遠の命にまでは介入できません。試練はあるとしても、その苦しみ、痛み、苦悩さえも神は解決できるお方と信じますか? 

★ このアドベントの期間、私たちは全能の神がなしてくださったすばらしい罪からの救いの計画、そのためにお生まれになったイエスを心から礼拝しましょう。そして、この方に付き従っていこうではありませんか。あなたは神に不可能は無いと信じますか?

イエスは何者なのか?

2022-12-01 08:18:31 | 礼拝説教
2022/12/4 礼拝説教
【テーマ】  救い主の誕生
【説教題】 「イエスは何者なのか?」
【聖書箇所】 マタイ1:18-25
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
1:21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
1:23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、
1:25 子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

○ 12月に入りましたね。いよいよクリスマスの雰囲気が濃くなってきました。「クリスマスは何の日ですか?」とはよく聞かれる質問です。「クリスマスはイエス・キリストの誕生日」という答えも一般的です。しかし、そのイエス・キリストは誰なのか? 何者なのか? わりと知られていないのでは無いでしょうか? 
 
Ⅰ.イエスは神です
A.イエスは三位一体の子なる神
1.まず最初にイエスは神だということをご存知ですか? 聞いたことがあるかも知れませんが、キリスト教では三位一体の神という教えがあります。キリスト教の神はお一人、つまり唯一神なのです。お一人ですが、3つの人格をお持ちだということです。決して3人ではないのです。その3人格(位格)を「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」と呼んでいます。その「子なる神」がイエス・キリストです。
2. 1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。 と、聖霊によって子なる神が人間イエスとなって誕生したのです。人間の肉体をとって誕生されましたが、イエスの本質は神なのです。

B.天使がヨセフにもイエスが神の子であることを知らせた
1.このイエス・キリストのことをマリアに伝えに来たのは天使でした。天使とは神の使いです。神の言葉を預かってくる存在です。またヨセフにも天使が夢に現れて 1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。 と、そのことを教えました。
2.マリアとヨセフの二人だけが神の不思議な計画を知らされました。しかし、イエスが成長してその活動を開始されると人々もイエスがただ者では無いことに気づきます。かといって人間であるイエスが神であるとは信じられなかったんですね。でもイエスは神です。

Ⅱ.イエスは預言されていた救い主
A.インマヌエルと預言された
1.天使がヨセフに処女マリアが男の子を産むこと、その子の名前をイエスとするように伝えています。 1:21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。1:23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。 と。
2.それはイザヤ書にあるのです。 イザヤ7:14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。 と。イエス・キリストは「インマヌエル(神が私たちと共におられる)」という、とても不思議な神です。

B.その他にも預言はある
1.他にももう少し預言を見てみましょう。 イザヤ9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 と、救い主の誕生とその偉大さが預言されています。また、 イザヤ11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。 とエッサイの子孫から生まれることも預言されていました。
2.イエス誕生の場所は ミカ5:2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」 と、ベツレヘムであることが預言されています。

Ⅲ.イエスは私達の救い主
A.イエス・キリストだけが救い主
1.さて、クリスマスの最も大事な意味は「救い主がお生まれになった」ということです。何からの救い主かというと「罪」からです。罪とは神を愛さないこと、人を愛さないことです。
2.全ての人は罪人でしょ。そこから救われないといけないわけです。自分で自分を救うことができないのです。そこで、神の子が人となって救いに来てくださったのです。そして、このイエス・キリスト以外に救いはありません。 使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」 と、あります。

B.どのようにすれば救われるのか?
1.私達の罪の身代わりとなって十字架にかかってくださったのがイエス・キリストです。それによって父なる神はわたしたちの罪を赦してくださったのです。ですから、このイエス・キリストを信じる事で罪は赦されます。つまり救われます。
2.仮に何兆円という借金をしたら返せないです。でも、それを身代わりに返してくださるという方があればどうですか? その方を信じれば借金が帳消しにされます。罪はお金で片が付きません。命ですので、イエス・キリストが命を捨ててくださったのです。

★ イエス・キリストは神です。そしてあなたを愛して止まない神で、罪人の私たちを何としても救いたいという神の愛の計画でこの地上に罪の無い人として、私たちの身代わりに罪の償いをしてくださったお方です。そのイエス・キリストのお誕生をお祝いするのがクリスマスです。共にイエス・キリストの誕生を祝い、私たちが救われたことを共に喜びましょう。


岩を打ってしまった

2022-11-09 07:04:07 | 礼拝説教
2022/11/13 礼拝説教
【テーマ】  従うとは
【説教題】 「岩を打ってしまった」
【聖書箇所】 民数記20:1-12
20:1 イスラエルの全会衆は、第一の月にツィンの荒野に入った。民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死んで葬られた。
20:2 そこには、会衆のための水がなかった。彼らは集まってモーセとアロンに逆らった。
20:3 民はモーセと争って言った。「ああ、われわれの兄弟たちが【主】の前で死んだとき、われわれも死んでいたらよかったのに。
20:4 なぜ、あなたがたは【主】の集会をこの荒野に引き入れ、われわれと、われわれの家畜をここで死なせようとするのか。
20:5 なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上り、このひどい場所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような場所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」
20:6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入り口にやって来て、ひれ伏した。すると【主】の栄光が彼らに現れた。
20:7 【主】はモーセに告げられた。
20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ。」
20:9 そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、【主】の前から杖を取った。
20:10 モーセとアロンは岩の前に集会を召集し、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から、われわれがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
20:11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
20:12 しかし、【主】はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」

○ あなたは神に願い、その願いを聞いていただいた、つまり願いが叶った経験はどれくらいありますか? ある人は断食祈祷したことで願いが叶ったそうです。するとその方は他の人にも「断食祈祷すると祈りが聞かれるよ」とアドバイスをされたのです。同じように徹夜祈祷するととか、その他色々あるかと思います。そして、それをすることで祈りが聞かれるように思い込みやすいのです。出エジプトで起こった出来事の一つに今日の話があります。
 
Ⅰ.人のせいにしたがる
A.死活問題
1.荒野の生活では色々大変なことがあったことが考えられます。私はキャンプ場でも無いところでキャンプした経験があります。まず、トイレをどうするか? 水はどこにあるか? 寝るときの安全は? 雨が降ったときはどうするか? 等々です。イスラエル人は200万人ほどいたと言われる出エジプト。大変だったと思います。
2.その大変だったことの一つが水でした。 そこには、会衆のための水がなかった とあります。死活問題です。すると、人々の間からは当然ですが、文句が飛び出てくるわけです。「エジプトに留まっていれば良かったんだ!」等と言い出してモーセを責めるのです。本当は今良いところに居るのです。しかし、前の方が良かったと言うのです。

B.逆恨み
1.このようにせっかく導いてくれた人を恨むのです。人は自分を悪者にしたくはありませんから、問題が起こると誰かのせいにしたがるのです。(しかし、人によっては「自分が悪いんだ!」と逆に過度に自分を責める人もいてこれも問題です)。イスラエル人の多くがモーセを恨みました。逆恨みであることは聖書を読んでいる皆さんにはわかることです。
2.恨まれた、辛い立場にあるモーセとアロンはどうしたでしょうか? 彼らも神に恨み言を言ったのでしょうか?  20:6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入り口にやって来て、ひれ伏した。すると【主】の栄光が彼らに現れた。 二人がしたのは神に会うということでした。神の栄光が現れたので、神も積極的に会いに来てくださいました。

Ⅱ.神の言葉に従うとは
A.前の時は杖で岩を打つように命じられた
1.以前 出エジプト17:6 さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりに行った。 ということがありました。この時、神はモーセに杖で岩を打つように言われました。そうすることで岩から水が吹き出てイスラエルの民の喉を潤すことができました。
2.今回も水の問題に出くわしましたわけですが、神は 20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ。」 と、言われました。今回は 岩に命じれば ということでした。

B.今回も杖で岩を打ってしまった
1.ところが、モーセは今回も岩を杖で打ちました。水は出たのですが、 20:12 しかし、【主】はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」 と言われてしまうのです。
2. 杖を取れ と言われたのですから、前と同じく岩を打つのだと思ってもおかしくないと思うのですが、今回は「命じなさい」でした。前と同じように岩を打つのでは無く、命じなければならなかったのです。神の言葉には力があるので、同時にその言葉に忠実さが求められるようです。

Ⅲ.正しい決断をして実行する
A.マニュアル、パターンを求めてしまい安い
1.私たちは何かしらパターンを見出してそれを繰り返すと安心します。学生が「この鉛筆を使うと良い成績が取れる」というように思い込んで試験には必ずその鉛筆を持っていくということもあるでしょう。また、良い意味でのルーチンワーク、良い習慣もあると思います。良いことをし続けると良い結果が出ますからね。
2.しかし、神の言葉に従うということは必ずしも同じようにすることを命じられるわけではありません。聖書から何かしらパターンを見出そうという人達がいます。悪いわけではないのですが、「何かをすれば良い結果が出る」として、それをしさえすれば良い事が起こる、願いが叶う、というのはいかがなものでしょうか? 
3.イエス様の癒しの記事を見てもワンパターンでは無いのです。ワンパターンだとこうすれば癒されると決める人がでてくるでしょう。神はワンパターンな神ではありません。

B.ただただ神の言葉に従うこと
1.神は神の言葉に従う事を求めておられます。ですが、今私たちは「○○をしなさい」というような、モーセに神が命じられたような語りかけはそうはありません。私たちは神(イエス・キリスト)を信じる信仰をいただいています。そして聖霊が内住されています。そして聖書から神の大きなみこころを知っています。
2.そこで、私たちは自分が神の前に信仰をもってどうするかを決めるのです。その決めることを祈るのです。平安が無ければ他の方法でしょう。平安を得れば実行して良いと思います。私たちの決断を神は祝福されるのです。だから聖書を大事にしなければなりません。聖書的で無いことを実行してはいけないからです。

★ 神は皆さんに御言葉を与えてくださいました。イエスを信じるだけで救われるという神のご計画の言葉です。そこからの人生は色々です。神の言葉に従ってください。そのために岩を打つのか、命じるのか、聞き分ける力を身につけましょう。神の声とそうでない声を聞き分ける信仰をいただきましょう。


御言葉が子どもを育てる

2022-11-02 08:03:36 | 礼拝説教
2022/11/6 礼拝説教
【テーマ】  子どもを祝福する
【説教題】 「御言葉が子どもを育てる」
【聖書箇所】 申命記6:4-7
6:4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。
6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
6:6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。

○ 今日は子ども祝福式をします。子ども達は教会の宝だからです。この子どもたちがしっかり信仰をもって成長して欲しいのです。神はイスラエル人が出エジプトした時から、約束の地に入ったときにこの次世代がしっかりと神の言葉に従う人となるように荒野で訓練されたのです。
 
Ⅰ.幸せな人生のために必要なこと
A.子ども達も大変な社会情勢
1.現代は子どもの間にも経済格差や学力格差が増大しています。子ども達の中には経済的に厳しくて食べることに困っている子が増えています。また、ヤングケアラーと言って、子どもなのに親や祖父母の世話をし、学校に行くこともままならないという子ども達もいます。
2.学校に行けたとしてもいじめがあったり、親との問題、勉強ができない、進路の悩み、自分の性格の悩みで精神的に病んでしまう子も増えています。かつては子どもにはうつ病は無いと言われていたのが今や普通にうつ病になってしまう時代です。さらにこのコロナのために不登校になってしまった子、精神的に病んでしまった子が増えています。

B.子どものために尽くす人が増えている
1.子ども達が大変な時代だということを知って乗り出してくださっている大人もたくさんいます。子ども食堂を作って子ども達に安心して食べられるようにしたり、無料で勉強をおしえるグループができたりしています。本当に感謝です。
2.また、現代は高齢化社会となりましたが、その高齢者が空いている時間を用いて子ども達のために乗り出してくださっていることも増えました。申命記で大人が子どもに人生の大事なことを伝えるように教えているように、日本の社会もそういうことが増えてきているかと期待しています。

Ⅱ.子育ては誰がするのか?
A.それは親
1.では、子どもを育てるのは誰かというときに、まずやはり第一にそれは当然親の仕事です。もちろん親のいない子どもには親に代わる愛を持っての保護者が必要です。というのも子どもは親から得るものが実に多いからです。赤ちゃんが笑顔になるのはお母さんの笑顔から学んでいるといわれているとおりです。
2.親は愛をもって子どもを育てます。特に母親というのは自分のお腹の中で長い間育てているので、その愛情は誰もかないません。神は我が子を愛するために赤ちゃんの時に母親に特別にその「我が子をいとおしく思うホルモン」を爆発的に出るようにされているのです。

B.それはコミュニティ
1.親が育てるのは確かに第一かも知れませんが、親だけにその責任を問うことはできません。親子の属するコミュニティはとても大事で、コミュニティで子どもを育てるべきなのです。出エジプトしたイスラエル人は荒野で大変な生活をしながら助け合ってきました。この助け合いは我が子だけではなく、他の子も見守るという精神になっています。
2.豊かになった国や地域、家庭では「我が子だけは」というわがままな考えが浸透していきますが、様々な厳しさを通っている国や地域ではみんなで子どもを育てるという力が出てくるようです。また先ほどの「子ども食堂」などにもみられるようにコミュニティで子ども達を支えています。

C.それは御言葉
1.しかし、何と言っても子どもを育てるのは、いや人を育てるのは神の言葉、イエス・キリストです。親の育て方が悪くても、愛が無かったとしても、イエス・キリストを信じて、神の言葉に生かされ始めるとその人の人生は幸せなものに変わります。
2.現に御言葉に生かされてきた人を見ればこのことはわかりますね。また、御言葉に生かされていることを実体験している人は幸せを感じておられると思います。色々な大変なことがあっても何かしら不思議な幸せ感があるのです。これが天と地をつなぐ不思議な力ですね。子ども達にもこれを伝えたいのです。

Ⅲ.イエス・キリストが祝福する
A.イエスも語っている申命記の言葉
1.6:4 聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。6:5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。 の イスラエルよ を「子ども達よ」にして読んでみるといいですね。 【主】 は「イエス様」でよいと思います。イエスを全身全霊で愛するということを子ども達に教えるということはすばらしいことです。
2.この御言葉はイエスも語っておられます。 マタイ22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』マルコ12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』ルカ10:27 すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」 と。ですからとても大事な言葉ということです。

B.心を尽くして神を愛そう!そして子どもを!
1.イエスはこの御言葉を守るなら祝福してくださいます。「あなた」のところを「私」に替えてもう一度声に出して言ってみましょう。 【主】は私たちの神。【主】は唯一である。 私は心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、私の神、【主】を愛します。 神に声に出して言うと自分の決意もしっかりします。
2. 6:7 ・・あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。 と、子ども達にもしっかり声をかけて伝えるということですね。すると言う方もしっかりするのです。インプットとアウトプット両方が大事ということです。

★ 次世代がしっかり成長し、幸せになるには、御言葉を生きる以外にありません。そのことを私たち大人は体験してきたのです。確信をもって愛をもって子ども達に語りましょう。