バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

聖霊はあなたを助けてくださる

2018-05-27 18:02:44 | 礼拝説教
2018/5/27礼拝説教
【テーマ】  助け主・聖霊
【説教題】 「聖霊はあなたを助けてくださる」
【聖書箇所】 ヨハネ16:7-16
新改訳2017
16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。
16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。
16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
16:12 あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。
16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
16:14 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに伝えると言ったのです。
16:16 しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます。」

○ 先週のペンテコステ礼拝を終えて1週間。初代教会の人達は聖霊を受けて恵まれたましたが、同時に教会は迫害をも体験し、苦しみました。また異端も登場し、この異端から信徒が守られることも弟子達の大事な働きとなってきました。聖霊について正しい知識がなかったり、間違った考えにはまっていったりする人もありました。私たちは聖霊についてどの程度知っているでしょうか? 救われたときに聖霊は私たちの中に住んでくださいましたが、共におられる聖霊を知っているでしょうか?

Ⅰ.異端から守られるように
A.間違った教えから守る方
1.イエス様が 助け主を遣わします と言われた助け主・聖霊は 罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます というお方です。当時、間違った教えが入り込み、罪、義、裁きについて独特の考えをもって語っていた異端があります。
2.異端は、わかりやすい教義や、人に受け入れられやすい話をしますが、それは多くの場合人間の知恵であり、神の領域に達しません。あるいは悪霊の教えが入り込んだりしてますますひどくなります。
3.聖霊はこうした間違った教えをする人、グループから私たちを守ってくれるお方、助け主です。

B.預言と占いは違う
1.そのお方がお出でになると正しいことを知るのですが、時にそれがまた行きすぎて「聖霊に教えられました」などと非常に霊的な雰囲気で語る人が出てきます。本当に聖霊が教えてくださったのなら良いのですが、感情的にそのように感じて聖霊が語っていると思い込む場合があるのです。「預言の賜物」でもそうしたことがありますから、「吟味しなさい」と言われています。
2.聖霊は聖書を通して教えられます。御言葉に反することは語られません。「個人預言」が無いとは言いませんが、まるで占いのように語られる時、あるいは占いのように聞きたがる時、悪霊がそれを利用したいことがわかるではありませんか。

Ⅱ.人として正しく生きるように
A.イエスに従わない罪に気づかされる
1. 16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。 最初の 罪について 世はどんな誤りを持っているでしょうか? 何と言ってもまずそれは、イエスを神の子と信じないということです。そして、イエスを信じないということは自己中心に生きているということであり、それはイエスに反逆していることなのです。
2.イエスに反逆したつもりはないと言っても、イエスに従わないならそれが反逆です。そして、聖霊はその罪を指摘してくださるので、自我を捨て、イエス様を信じようという良き決心ができるようになるのです。

B.イエスの義を示してくださる
1. 16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。 と、これまた義についての誤りはどのようなものがあるでしょうか? 単純に「正しい」という点では人の数だけ「正しさ」があるとも言われます。ここにも自己中心の「自己義」が見られるのではないでしょうか。イエス様に「義」を見ない限り真の義はあり得ません。
2.イエス様が昇天されたことはイエス様が神のもとに行かれた、神と共におられる事を意味しています。つまり、イエス様は十字架にかけられましたが、復活して神の元に返ることで完璧な神の義をお持ちであることを示しています。
3.そのイエス様の義がわかってくると、なんと自分が汚れた者であるかがわかってくるのです。そしてイエス様の義を求めるのです。

C.裁かれない幸いを示してくださる
1.裁きについての誤りはどうでしょうか? これに関しても人それぞれの説が出回っているではありませんか。「死んだらみんな天国に行く」とか、「死んだら何もかもなくなる」とかいうのもそういうことです。
2.神の存在を認めなければ、神の裁きも存在しなくなります。イエス様を信じない者は裁かれるのです。みんな天国に行くのではありません。反対にかってに私たちが人を裁くわけにはいきません。「あなたは地獄だ!」と言ってはならないということです。
3.ただ自分は地獄に行くべき者だったのに、なんとイエス様の十字架で天国に入れていただけるという感謝を与えてくださるのが聖霊です。

Ⅲ.謙遜に生きるように
A.聖霊は謙遜な方である
1. 16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。16:14 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。 と、聖霊は直接皆さんを導かれます。しかし、その聖霊はイエス様の栄光を現すために隠れたように働かれるのです。
2.聖霊は謙遜な方です。聖霊の実を見てもわかるように聖霊ご自身が謙遜です。それはまたイエス様の姿に見られます。イエス様が父なる神の栄光を現すためにだけ働かれたように、聖霊もイエス様の栄光を現すために働かれます。
3.ですから私たちはその聖霊に満たされて謙遜を身に着けるべきなのです。もちろん自力ではできません。だから聖霊の助けをいただくのです。

B.聖霊は御言葉で守る
1.悪魔は「あなたの語っているは異言ではない」とか「あなたは聖霊に満たされていない」とか「あなたには賜物は無い」とか「救われていない」とか、クリスチャンの力を奪うような誘惑をしてきます。しかし、聖霊はそこから御言葉をもって守ります。
2.ですから、私たちも御言葉を大切にすべきなのです。御言葉に忠実に生きるべきなのです。御言葉に生きる人は謙遜な人です。しかし、それができるのはイエス様だけですから、私たちは聖霊に助けていただくのです。悪霊や人の言葉にかき回されないためです。

● 異言の祈りは悪霊の働きを阻止する力があります。聖霊は私たちの内側に住み、私たちの頭の思いを越えて祈らせてくださるからです。異言を軽視してはいけません。しかし、異言だけでなく知性でも祈るようにパウロは進めています。聖霊によらない祈りという意味ではありません。

★ 聖霊はあなたの助け主です。今よりもっと聖霊と仲良くしてください。きっとイエス様の愛の深さを実感できるはずです。


人々があこがれる集まり

2018-05-20 17:26:07 | 礼拝説教
2018/5/20ペンテコステ礼拝説教
【テーマ】  初代教会の明るい姿
【説教題】 「人々があこがれる集まり」
【聖書箇所】 使徒2:41-47
【新改訳2017】
2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

○ 今日はペンテコステです。イエス様が復活されて50日後、またイエス様が昇天されて10日後、祈り待ち望んだ弟子達が聖霊を受けた日です。そして、キリスト教会が誕生したので、この日は教会の誕生日とも言われます。この初代教会でしていたこと、起こったことを見ていきましょう。

Ⅰ.初代教会の様子
A.多くの人がバプテスマを受けた
1.弟子達の言葉を聞いてユダヤ人の多くがイエスをキリストとして受け入れ、バプテスマ(洗礼)を受けました。一気に3000人教会になったというのです。
2.こうしたできごとは日本ではなかなか見ることができませんが、世界各国では今も起こっているそうです。しかも3000人どころではなく、一日に何万人も救われることがあるのです。

B.愛の交わりがあった
1.仲間に加えられた人々がしていたのは 2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。 とあるように、福音の実行、交わり、聖餐式、祈りでした。私たちが行っているのと同じです。

C.共有の生活をした
1. 2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。 とあるように、教会は一つの家族として動き出し、所有物を共有して、必要な人に分け与えていきました。
2.このような集団を目標にした国、人々もありますが、キリスト抜き、聖霊抜きにこれは実行できるものでは無いですし、初代教会のこのことをそのまま今も行うべきかどうかは検討すべきです。

Ⅱ.周りに与えた影響
A.恐れと不思議としるし
1. 2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。 とあるように、聖なる恐れというものが人々に生じました。それは聖霊が働かれているので、イエスを十字架にかけるような罪を犯したこと、神をないがしろにしたことが心に責められるからです。
2.そして、使徒達はイエス様がなさったように 多くの不思議としるし を行いました。もちろんこれも聖霊が働かれたからです。このことも現代には多く起こっています。

B.人々から喜ばれた教会
1. 2:47 ・・民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。 とありますので、聖なる恐れが生じたことは教会から人々を遠ざけたのではなく、人々から教会は好意を持たれたのです。ですから毎日救われる人が与えられました。
2.教会が地域から浮いてしまっていたのではなく、塩のように溶け込み人々に聖なる恐れを与え、世の光として輝き人々が教会を喜び、集まり、仲間になりたいという意志をもつようになったのです。

Ⅲ.イエスを思い起こして過ごす日々
A.家々と神殿で礼拝をした
1. 2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、 と、神殿に集まっていました。この時はまだキリスト教をユダヤ教の一派とみていますから、彼らも神殿に行っていました。
2.ただ、 心を一つにして というのがすばらしいではありませんか。教会の姿はここにあります。家々の教会が愛の交わりをし、またその集合体の合同礼拝が心を一つにして行われるということです。何とすばらしいことでしょう。

B.家の教会
1.そして、 家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 と家の教会(家庭集会)がすばらしかったのです。その中心にイエス様の十字架を覚えて聖餐式が行われています。その上で愛餐会が行われています。
2.クリスチャン達の日常の姿は生き生きとしており、人々はこの交わりにあこがれるようになったのです。その中心にイエス・キリストを覚えたのです。

● 教会はある程度の規模になるとなかなか人数が増えず、そのまま何十年と過ぎていきやすいのです。それを打ち破る秘訣はなんと初代教会にありました。家の教会(家庭集会)です。今日、セルグループ、スモールグループ、家の教会など色々な呼び方で、それぞれの国や地域にあった形で行われますが、これが信徒を増やす秘訣であることは一致しているようです。

★ 私たちの教会も地域の人々があこがれるような集まりでありたいです。


聖霊はあなたを用いたい!

2018-05-13 17:48:39 | 礼拝説教
2018/5/13ペンテコステ祈祷会説教
【テーマ】  聖霊による宣教
【説教題】 「聖霊はあなたを用いたい!」
【聖書箇所】 使徒1:3-8
新改訳2017
1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
1:4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
1:7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

○ ペンテコステは来週(5/20)です。今日は1週間早くペンテコステ祈祷会を行います。2000年前、イエス様が復活されてから昇天されるまでの40日間、イエス様は弟子達とどのように過ごされたのでしょうか? 興味がありますが、なかなかわかり知らないものです。その中で語られたことを見てみましょう。

Ⅰ.聖霊によるバプテスマ
A.父の約束
1.聖霊によるバプテスマに関心のない人はいないと思うのですが、なかなか受けられずに苦しんでいる人、諦めている人もおられると思います。しかし、これは神が与えると言われた神の約束です。
【新改訳2017】ヨエル2:28 その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。2:29 その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。

新改訳2017ヨハネ14:16 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。

新改訳2017 ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

B.間もなく受ける
1.聖霊のバプテスマと言ってしまいますが、「エン in」というギリシャ語が使われており、「聖霊の中でバプテスマする」ということで、聖霊の力の中に浸しきる事を言います。
2.弟子達には間もなく受けることを言われました。そして、今やそれはいつでも受けることができるのです。

Ⅱ.あなた方の知るところではない
A.弟子の関心は神のと違う
1.イエス様が神の国のこと、聖霊によるバプテスマのことを話されても、弟子達はイエス様の真に言わんとすることが読めず、 「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」 と言っています。それに対して、イエス様は いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。 と言われました。
2.人の関心は往々にして自分中心のことです。そういう中でイエス様はそういうことは知らなくてよいと言われています。神の御心を知ることこそ大事なのではないでしょうか。

B.神が実現される
1.イスラエルの再興、神の国の実現は神がご自身の権威をもって実現してくださいます。確かに人にとって関心の深いところですが、知らなくて良い事もあります。関心を持つのは良いのですが、もっと知るべき大事なことがあるのではないでしょうか。
2.神の国のことは神ご自身が実現してくださるので、弟子達はそのことで心を騒がせなくて良いというのです。知的欲求が人にはありますから、勉強する事はよいことですが、最も大事なことを忘れてはいけないのです。

Ⅲ.キリストの証人となる
A.聖霊が臨むと力を受ける
1.神様が聖霊を送られた目的は何でしょうか? それが 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。 です。私たちは力を受けます。どのような力ですか? キリストの証人としての力です。
2.つまり、キリストを私たちが身をもって表すのです。キリストのことをお話しするだけではありません。キリストがなさったことを行うことも含まれます。そして、キリストの心の実現です。人々の救いです。悪魔から救い取ることです。

B.弱いと思える人こそ
1.聖霊によるバプテスマ無しでも人の努力で色々な事、相当のことは出来るかと思います。それならばイエス様は当時の立派な人達、真面目な人達を積極的に弟子にしたと思います。しかし、イエス様は聖霊によらなければ働けないような人々を選ばれたのです。自我が砕かれ、神に頼り、己のことよりイエス様のことを単純に思うような人達を選ばれたのです。
2.聖霊によらないと祈りも深まらない人達です。異言での祈りが祈りを深めるのです。また、聖霊によらないと福音も語れない人達です。


★ 聖霊はあなたを用いたくてたまらないのです。聖霊の声を聞こうではありませんか。




渇くことのない喜びの水

2018-05-06 17:20:33 | 礼拝説教
2018/5/6礼拝説教
【テーマ】  神の約束・聖霊
【説教題】 「渇くことのない喜びの水」
【聖書箇所】 ヨハネ7:37-39
【新改訳2017】
7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
7:39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。

○ 皆さんは喉の渇き以上に心の部分の渇きを覚えたことはありませんか? 今日の聖書の言葉は誰にも必要な心の潤いを教えておられます。

Ⅰ.祭りの後の虚しさ
A.楽しい祭りが終わると
1.幼い頃から毎年行っていた「天神祭」というのがありました。その祭は私たちが「天神さん」と呼んでいる「上宮天満宮」という菅原道真を祀る神社でした。「天神さん」の「さん」は「山」でもあり、子どもの頃から遊び場でもあり、昆虫採集する山でもありました。天神祭の時、この参道には色々な出店がありました。それが楽しくてならないのです。行くだけでも楽しいのですが、リンゴ飴、金魚すくい、ひよこ釣り、うなぎ釣り、飴細工、それは楽しい、おいしいものがたくさんありました。
2.そんな楽しい日が終わるとき、何かしら虚しい気持ちが襲うのです。全く神社のことを意識していませんから、ただただ祭が楽しいだけで、楽しいことが終わる時というのは虚しさが襲うものです。

B.仮庵の祭りが終わると
1.イエス様の時代、ユダヤの三大祭は大盛況だったみたいです。その一つ仮庵の祭りの時のことでした(あと二つは過越祭と七週の祭)。この「仮庵の祭」は、出エジプトをしたイスラエルが、荒野の生活を思い起こすために木の枝など簡単なもので作った仮の家で7日間を過ごす祭です。しかも荒野で水の無かった時に神が岩から水を湧き出させてくださったことを感謝する祭でした。そこで、シロアムの池から水を汲んでは神殿の祭壇に注ぐ儀式を行っていました。
2.私たちが聖会(特に泊まり込みで)やキャンプに行くと、楽しくてあっという間に時間が過ぎます。そして、みんなで再会を約束して別れて帰って行くと何かしらさみしさを感じるのです。イエス様がおられるので虚しさはないかも知れませんが、イエス様のおられないイベントは終わると虚しさが襲うことがあるのではないでしょうか。

Ⅱ.私のもとに来て飲め
A.真の渇きを理解しただろうか?
1.この 祭りの終わりの大いなる日 祭りが最高潮に達し、人々が列をなして神殿へと向かっていたと思われる時にイエス様は叫ばれたのです。 「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」 と。
2. だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 というのを聞いて、祭りで喉が渇いていた人が「あー、コーラが飲みたい」などと思って、イエス様のところに近づいたでしょうか。このイエス様の言葉の意味を誰が理解したでしょうか? 自分の心の渇きをわかっていた人はいるのでしょうか?

B.イエスの言葉にメシヤを感じた人
1.祭りに出て楽しく過ごした人々。祭りを楽しみつつも、儀式を行っただけの人々に虚しさはなかったでしょうか? 帰りは何かしら虚しさを感じながら帰る。イエス様はそういう人々の心に届く言葉を発せられたのです。
2.人々はこの日、今までにない事に遭遇したのです。今まで、「私のもとにきて飲め!」などという人がいたでしょうか? 「この人はメシヤではないか」という思いを抱いたかも知れません。

Ⅲ.虚しさを打ち破る聖霊
A.聖書の約束
1.イエス様の言われた「水」は「聖霊」という三位一体の神のお一方です。「イエス様の元に来て飲む」は「イエス様を信じる」事です。イエス様を信じた人には聖霊なる神が住まわれ、その心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになるというのです。
2. 聖書が言っているとおり の「聖書」はイエス様の時代には旧約聖書です。そこに書かれているひとつに イザヤ44:3 わたしは潤いのない地に水を注ぎ、乾いたところに豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたの子孫に、わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ。 があります。聖書は私たちの心を心底潤すことを約束しています。

B.一時的な潤いではない
1.サマリヤで一人の罪深い女にイエス様が水を求められました。しかし、この虚しさに満ちた女にイエス様は ヨハネ4:14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」 と言われました。イエス様と話をした彼女は一気に虚しさが消え、元気が出てきたのです。
2.イエス様が与えたい水はこれです。しかも、一時的ではなく、一生涯、私たちの心の内側にいてくださって湧き上がる喜びをくださる「聖霊」なる神です。


● 池や湖が汚れてしまったり、干からびてしまうことがあります。それは雨や川などから水を得ているところで、その水が入ってこないと干からびるのです。しかし、そんな中でも干からびない池、湖があります。それはその底から泉が湧き出ているところです。

★ あなたの心に虚しさはないですか? イエス様を信じる者はその人の心の内に湧き上がる水「聖霊」が住まわれます。