2021/2/21 礼拝説教 (Y師)
【テーマ】 「従う」と「従い通す」
【説教題】 「カレブの信仰」
【聖書箇所】 ヨシュア14:6-14
14:6 ユダ族の人々がギルガルのヨシュアのところにやって来た。その一人ケナズ人エフンネの子カレブがヨシュアに言った。「【主】がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて神の人モーセに話されたことを、あなたはよくご存じのはずです。
14:7 【主】のしもべモーセがこの地を偵察させるために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。私は自分の心にあるとおりを彼に報告しました。
14:8 私とともに上って行った私の兄弟たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、【主】に従い通しました。
14:9 その日、モーセは誓いました。『あなたの足が踏む地は必ず、永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが私の神、【主】に従い通したからである。』
14:10 ご覧ください。イスラエルが荒野を歩んでいたときに、【主】がこのことばをモーセに語って以来四十五年、【主】は語られたとおりに私を生かしてくださいました。ご覧ください。今日、私は八十五歳です。
14:11 モーセが私を遣わした日と同様に、今も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです。
14:12 今、【主】があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし【主】が私とともにいてくだされば、【主】が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」
14:13 ヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。
14:14 このようにして、ヘブロンはケナズ人エフンネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。彼がイスラエルの神、【主】に従い通したからである。
1.12人の偵察隊
A.偵察隊の派遣
イスラエルの民がエジプトを出て2年以上が経った時、彼らはカデシュ・バルネアに宿営した。約束の地カナンまではもうすぐだった。そこでモーセは神に命じられた通り、12部族の族長12人を視察団として選び、カナンの地を偵察させる。
B.偵察隊の報告―10対2(多数派 対 少数派)
12人は、40日かけてカナンを偵察して戻ってきた。そして、カナンは作物が豊かに育つ良い土地で、神が乳と蜜が流れる土地(自然の資源が豊かな土地―約束の地に対する伝統的な表現)と言われたのは本当だと報告した。だが偵察隊のうち10人によれば、町々は城壁を持ち、その地に住む民は力強く、体も大きい。その上数も多いので、征服は難しいと悲観的な報告をする。が、ヨシュアとカレブは肯定的だった。とりわけカレブは「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」(民数記13:30)と言った。そして二人は「もし【主】が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。」(民14:8)と述べ、少数派ではあったが、勇気をもってその主張を貫いた。
C.イスラエルの民の不信仰
悲観的な10人の意見は200万人の民の心を大きく動かしてしまった。彼らはみな落胆し、恐れを抱いて、ひと晩中大声で泣き叫んだ。そしてモーセとアロンに対して文句を言い始めた。こうした民の不信仰を見て、神は荒野を40年さ迷うようにされたのだった。ヨシュアとカレブを除く20歳以上のものはカナンの地に入る前に死ぬことになった。
2.荒野の40年
A.私たちへの戒め
聖書は40年間の放浪生活についてほとんど語っていない。だが、この期間、イスラエルの民は主に逆らい通しであった。実は、この荒野の40年には神の目的があった。「あなたの神、【主】がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(申命記8:2)「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、【主】があなたを訓練されることを知らなければならない。」(申8:5)そして、荒野での出来事は、現代に生きる私たちへの戒めでもある。「しかし、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。 これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。」(Ⅰコリント10:5、6)
B.カレブの忍耐
カレブは、イスラエルの民の不信仰のために荒野で放浪することになった。荒野の40年はカレブにとっても、神の約束を信じる忍耐を学ぶ期間であった。神が語られたことは必ず成就すると、彼は忍耐をもって信じ続けた。
C.神の恵み
苦しい荒野の40年ではあったが、主が共におられたので、人々は何一つ不足しなかった。「事実、あなたの神、【主】はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの
神、【主】はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」(申2:7)そして、着物はすり切れず、足が腫れることもなかった。
3.カレブの信仰―「従う」と「従い通す」
ヨシュア14:11 「モーセが私を遣わした日と同様に、今も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです。」ここの「日常の出入り」とは何か。それは、日常のすべての務めを意味している。「日常の出入りにも耐えうる」とは、戦いのみならず、日常のすべての責任ある務めと与えられた使命を十分に果たすことができるほどに壮健だという意味なのである。
今回のヨシュア記には何度も「従い通した」という言葉が出てくる。ただ、漠然と「従う」のではなく、「従い通す」とは、神に絶大の信頼を抱き、強い意志を持って従い「続けた」という信仰を表しているのではないだろうか。カレブはいつどんな時でも、その時点において「私は神に従い通しました」と告白できる信仰を持っていた。
私たちは、年をとってもカレブのように、体を動かして奉仕をしなくてはならないと言っているのではなく、いつでも「従い通した」と言える信仰を持ちたいものである。
(結び)
私たちは苦難にぶつかるとき、「神を信じているのに何でこんな目に遭うのだろう?」とか「神などいるのか?」と度々不信仰に陥ってしまう。しかし、カレブのようにたとえ老年になっても、「私はあなたに従い通しました」と、いつでも告白できる信仰者となろうではないか。
【テーマ】 「従う」と「従い通す」
【説教題】 「カレブの信仰」
【聖書箇所】 ヨシュア14:6-14
14:6 ユダ族の人々がギルガルのヨシュアのところにやって来た。その一人ケナズ人エフンネの子カレブがヨシュアに言った。「【主】がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて神の人モーセに話されたことを、あなたはよくご存じのはずです。
14:7 【主】のしもべモーセがこの地を偵察させるために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。私は自分の心にあるとおりを彼に報告しました。
14:8 私とともに上って行った私の兄弟たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、【主】に従い通しました。
14:9 その日、モーセは誓いました。『あなたの足が踏む地は必ず、永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが私の神、【主】に従い通したからである。』
14:10 ご覧ください。イスラエルが荒野を歩んでいたときに、【主】がこのことばをモーセに語って以来四十五年、【主】は語られたとおりに私を生かしてくださいました。ご覧ください。今日、私は八十五歳です。
14:11 モーセが私を遣わした日と同様に、今も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです。
14:12 今、【主】があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし【主】が私とともにいてくだされば、【主】が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」
14:13 ヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。
14:14 このようにして、ヘブロンはケナズ人エフンネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。彼がイスラエルの神、【主】に従い通したからである。
1.12人の偵察隊
A.偵察隊の派遣
イスラエルの民がエジプトを出て2年以上が経った時、彼らはカデシュ・バルネアに宿営した。約束の地カナンまではもうすぐだった。そこでモーセは神に命じられた通り、12部族の族長12人を視察団として選び、カナンの地を偵察させる。
B.偵察隊の報告―10対2(多数派 対 少数派)
12人は、40日かけてカナンを偵察して戻ってきた。そして、カナンは作物が豊かに育つ良い土地で、神が乳と蜜が流れる土地(自然の資源が豊かな土地―約束の地に対する伝統的な表現)と言われたのは本当だと報告した。だが偵察隊のうち10人によれば、町々は城壁を持ち、その地に住む民は力強く、体も大きい。その上数も多いので、征服は難しいと悲観的な報告をする。が、ヨシュアとカレブは肯定的だった。とりわけカレブは「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」(民数記13:30)と言った。そして二人は「もし【主】が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。」(民14:8)と述べ、少数派ではあったが、勇気をもってその主張を貫いた。
C.イスラエルの民の不信仰
悲観的な10人の意見は200万人の民の心を大きく動かしてしまった。彼らはみな落胆し、恐れを抱いて、ひと晩中大声で泣き叫んだ。そしてモーセとアロンに対して文句を言い始めた。こうした民の不信仰を見て、神は荒野を40年さ迷うようにされたのだった。ヨシュアとカレブを除く20歳以上のものはカナンの地に入る前に死ぬことになった。
2.荒野の40年
A.私たちへの戒め
聖書は40年間の放浪生活についてほとんど語っていない。だが、この期間、イスラエルの民は主に逆らい通しであった。実は、この荒野の40年には神の目的があった。「あなたの神、【主】がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(申命記8:2)「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、【主】があなたを訓練されることを知らなければならない。」(申8:5)そして、荒野での出来事は、現代に生きる私たちへの戒めでもある。「しかし、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。 これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。」(Ⅰコリント10:5、6)
B.カレブの忍耐
カレブは、イスラエルの民の不信仰のために荒野で放浪することになった。荒野の40年はカレブにとっても、神の約束を信じる忍耐を学ぶ期間であった。神が語られたことは必ず成就すると、彼は忍耐をもって信じ続けた。
C.神の恵み
苦しい荒野の40年ではあったが、主が共におられたので、人々は何一つ不足しなかった。「事実、あなたの神、【主】はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの
神、【主】はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」(申2:7)そして、着物はすり切れず、足が腫れることもなかった。
3.カレブの信仰―「従う」と「従い通す」
ヨシュア14:11 「モーセが私を遣わした日と同様に、今も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです。」ここの「日常の出入り」とは何か。それは、日常のすべての務めを意味している。「日常の出入りにも耐えうる」とは、戦いのみならず、日常のすべての責任ある務めと与えられた使命を十分に果たすことができるほどに壮健だという意味なのである。
今回のヨシュア記には何度も「従い通した」という言葉が出てくる。ただ、漠然と「従う」のではなく、「従い通す」とは、神に絶大の信頼を抱き、強い意志を持って従い「続けた」という信仰を表しているのではないだろうか。カレブはいつどんな時でも、その時点において「私は神に従い通しました」と告白できる信仰を持っていた。
私たちは、年をとってもカレブのように、体を動かして奉仕をしなくてはならないと言っているのではなく、いつでも「従い通した」と言える信仰を持ちたいものである。
(結び)
私たちは苦難にぶつかるとき、「神を信じているのに何でこんな目に遭うのだろう?」とか「神などいるのか?」と度々不信仰に陥ってしまう。しかし、カレブのようにたとえ老年になっても、「私はあなたに従い通しました」と、いつでも告白できる信仰者となろうではないか。