2013/6/30召天者記念礼拝説教
【説教題】 「天国に国籍をもつ人々」
【聖書箇所】 ピリピ3:20-21
3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
○ 村上知子先生が天に帰られて10年が過ぎました。村上知子先生の召天10年を記念してはいますが、天に帰られた一人一人を思い起こすと同時に神様の恵みを思い起こしたいのです。
Ⅰ.死後の世界
A.扉一枚でつながっている世界
1.今日、ここに集まられた皆さんは何らかの形で遺族となります。私達はみんなすでに亡くなった先祖がいて、その先祖によって今の自分があるのです。
2.人は必ず死ぬということは、いまさら言うまでもないことです。また、多くの学者が遺伝子に組み込まれた「死」のDNAを探し、組み替えることで「死」を操作できないだろうかと考えてもいるようです。
3.しかし、どんなことをしたとしても人は死にます。この肉体の死を遂げなければ次のステージに上がれないのです。村上先生はご自分の死に関して、明るく「扉一枚開けて向こうへ行くだけのことよ」と言われました。
B.祖母の教え・地獄
1.私の父方の祖母は、私が幼い時に地獄の話をしてくれました。この祖母はクリスチャンではありませんでしたので、どんな地獄の話かと言いますと、人は死ぬと必ずえんま様の前に出るのだと言うのです。そして、うそをついた人はそこで、舌を引っこ抜かれるんだと。子どもの私は恐かったです。絶対に舌を抜かれると思いました。何度も嘘をついていたからです。そして、次に針がいっぱいある山を裸足で歩いて登るんだと言います。話を聞いているだけで痛かったです。その山を越えると向こうにぐらぐらと煮え立った大きな釜があって、そこに放り込まれるのだと言います。「え、そんなとこに入れられたら死ぬやんか」と言って、祖母に笑われました。「あんたもう死んでるんやで」と。不思議な感覚が襲いました。死んで、ぐらぐら煮えたぎっている釜の中に入るということはどうなるんだろう? と。熱くて苦しくてたまらないままずっとそこにいなければならない。それが地獄だと教えられました。
2.小学生の4年生頃でしょうか、もうその話を信じていませんでした。えんまさんなんかおるはずがない、地獄なんか無い、天国も無い、死んだら終わりや。たかが9歳や10歳でどこからそんな情報を得てきたのでしょうか?
3.ところが18歳でクリスチャンになって聖書を読んでいたら、ルカの福音書16章で、愛のない金持ちが死んでから炎の中で苦しんでいる地獄の様子が書かれているところを読みまして、ふと祖母の話を思い出したのです。えんま様も針の山も無いし、釜ゆででも無く、炎の地獄でなのですが、私にはこの聖書の地獄と祖母の地獄の話が妙に同じように感じられたのです。地獄はあるのです。
C.祖母の教え・天国(極楽)
1.祖母は天国(極楽)の話も一度だけしてくれました。でもあまり感激しなかったのです。「天国はお花がいっぱい咲いているきれいな花畑のようなところだよ」と。子どもの私は別に花畑なんかどうでも良かったのです。花より団子だったのでしょう。ですから、天国の話には感動しなかったのです。
2.やはり聖書を読んで、黙示録22章に水晶のような美しい川があり、その両岸には美味しい木の実をならせる木がたくさんあり、神様の玉座があって、それは美しく、清らかなところであることが書かれているのを読みました。祖母の言っていた極楽の話と似ているなあと思いました。そして、この聖書に書かれている天国には行ってみたいと思いました。
3.そして、村上先生も、私の父も、家内の父も、そんなすばらしいところにいるのだと思うと私はホッとするのです。
Ⅱ.聖書が言う天国
A.天国から来たお方
1.人は「地上にあっては旅人」と言われたりします。多くの人がこの地上だけで人生は終わらない、何かしら死後の世界を感じています。しかし、現実にはその世界から帰って来た人がいないだけに何ともわからないというわけです。
2.しかし、イエス様というお方は、その国の玉座におられたお方です。そのお方が地上に来てくださったのです。詳しく天国や地獄を説明されたわけではありませんが、必要なことは全部教えてくださいました。
3.村上知子先生は18歳で洗礼を受けられましたが、村上先生もこのイエス様のお言葉を信じられたわけです。そして、ずっと信じておられたので、ご自分の地上生涯を閉じる時にも、明るく「扉一枚開けて向こうへ行くだけのことよ」と言い得たわけです。
B.本当に人々の求める世界
1.今日お読みしたところには 私たちの国籍は天にあります。 とあります。私達は、「天に帰られた」と言っています。それはまさに自分の本来行くべきところだからです。
2.この地上では自分や家族の身の安全が守られないとなると、他の国の国籍を取得したり、亡命したりもします。太平洋のある島国は海に沈んで無くなりそうになっているために、他の国に移住し始めたそうです。
3.果たして人々が最も安心できる国はどこでしょうか? 世界一幸せな国は永遠に存続するのでしょうか? 昔から人々はそのような国をつくるために戦争してきたようです。変な話です。
C.完全な体をもつ世界
1.地上には絶対にあり得ない幸せの国。しかし、神様はその国をこの地上では無いところに用意してくださったのです。天国です。天に国籍を持つことができるというのは最高の幸せなのです。
2.村上知子先生はじめ天に帰られた方々は、人々が最高の国として望んでいるその天を国籍としてもち、共に生活しているのです。その天国は キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。 とあるように、イエス様と同じようにすばらしい体に変えられているために、痛みや苦しみとは無関係になっています。
3.このようなところにいることを思うだけでも私達は嬉しくなるではありませんか。体に痛みを抱えていた故人も障害をもって辛い思いをしていた故人も、みんな天国では完璧な体をいただくというのです。
Ⅲ.天に国籍をもつ人々
A.愛に満ちた天国
1.もう少し天国をお伝えしますと、天国は「愛」に満ち溢れた国であって、全く憎しみや恨み、悲しみや辛さの無い国です。なぜなら、そうした人間の醜い罪を解決するために、イエス様は十字架にかかって身代わりになってくださったからです。
2.天に帰られた人々は誰一人として、地上の皆さんに対して恨みも憎しみも持っていません。仮に故人に対して、大変申し訳ないことをしてしまっていたとしても、そのすべてがイエス様の十字架で完全に罪が赦されたように、故人も天国では完全に赦せています。
B.同じ国籍をもつ
1.パウロが言った 私たちの国籍は天にあります と、私達もしっかりと告白したいものです。同じ天に国籍を持つ私達はその故人と出会えます。それも、最高の「愛」だけの心で出会えるのです。
2.イエス様とつながっている人はみな同じ天に国籍をもつのです。皆さんの愛する故人は天国にいるのです。天国で皆さんと会えるのを楽しみに待ってくださっています。イエス様と共にです。
★ 天に帰った方々は最高に幸せなのです。聖書はそのことを教えています。私達も同じ幸せをいただこうではありませんか。