バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

洗礼とは何か?

2019-06-30 18:28:15 | 礼拝説教
2019/6/30 礼拝説教
【テーマ】  洗礼式
【説教題】 「洗礼とは何か?」
【聖書箇所】 マタイ28:18-20
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
28:19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
28:20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

○ 今日は洗礼式をいたします。洗礼について皆さんにも知っていただきたく思います。

Ⅰ.洗礼はイエスの命令
A.バプテスマの語源
1.「洗礼」という言い方が日本語では一般的ですが、正式には「バプテスマ」です。これは「浸す」とか、「一つにする」という意味で、布を染料に浸けてその色に染めるようなことを意味します。
2.バプテスマのヨハネは「悔い改めのバプテスマ」を説き、悔い改めた人々がバプテスマを受けましたが、今の私たちの受けるバプテスマは「イエス・キリストと一つになる」ことを意味しています。

B.洗礼だけが大事なのではない
1.なぜバプテスマを受けるのかというと最初に聖書をお読みしましたように、それがイエス様の命令だからです。ただ、この命令は 父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け と言う部分だけではないことに注意したいと思います。 あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 ということと、 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。 ということが語られています。
2.つまり、洗礼を受けさえすればよいというのではなく、弟子になること、イエスの教えを守ることが大事なのです。

Ⅱ.洗礼は死と命を表す
A.水に沈むことは
1.ローマ人への手紙にはこう書いてあります。 6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。 イエスと一体化するということはイエスが死なれたように、罪人の私たちは死んだのです。それを表しています。
2.そして、 6:6 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。6:7 死んだ者は、罪から解放されているのです。 とあるように、罪から解放された者であることを洗礼は意味しています。

B.水から上がってくるとは
1.そして、水から上がってくるように、私たちはイエスの復活の命をいただいたことも表しています。 ローマ6:5 私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。 とあるとおりです。
2. 6:8 私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。 や 6:11 同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。 とあるように、罪に死んだだけではなく、キリストと共に生きる者となったのですから、キリストらしく生きる必要があるのです。

Ⅲ.洗礼はイエスとの結婚式
A.家庭をつくるように教会をつくる
1.ガラテヤ書では 3:26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。3:27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。 と教えています。キリストを着るとは私たちはキリストと一体化したことを言っているのです。
2.結婚すると家庭をつくるのですから、イエスと結婚すると共に教会(エクレシア)をつくるのです。使徒達は各地に教会をつくってきました。その最初が 使徒2:41彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。 と、集まるようになり、互いに祈り合い、励まし合い、奉仕し、伝道していったのです。これが私たちもすべき事です。

B.人々に宣べ伝える
1.洗礼は霊的に救われたことを目に見える形で表した型です。ですから洗礼を受けたら救われるというわけではありません。結婚は結婚式をしなくてもできます。しかし、結婚を神に祝福していただくため、また、みんなに知ってもらい喜んでもらうために結婚式をするように、イエス・キリストとの結婚式のようなものが洗礼式です。
2.洗礼を受けるのは霊的にイエスと一つとなったことを表しているので、当然教会を大切にし、教会生活を守るのです。そしてなによりも、最初の御言葉のように、人々にイエス・キリストを宣べ伝えるのです。

●  結婚する前、いや結婚したとしても伴侶を知り尽くせないものです。でもどうして結婚するかというと伴侶を信じるからです。一生愛すると決心したからです。洗礼式は結婚式に似ていますね。

★ 洗礼はイエス・キリストとの結婚式であり、一緒に家庭をつくることを決意するものです。みんなで共にキリストの体を建て上げる働きをしていきましょう。

黙っていられない

2019-06-23 18:04:21 | 礼拝説教
2019/6/23 礼拝説教
【テーマ】  開かれた心
【説教題】 「黙っていられない」
【聖書箇所】 マルコ7:31-37
7:31 イエスは再びツロの地方を出て、シドンを通り、デカポリス地方を通り抜けて、ガリラヤ湖に来られた。
7:32 人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。
7:33 そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。
7:34 そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。
7:35 すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。
7:36 イエスは、このことをだれにも言ってはならないと人々に命じられた。しかし、彼らは口止めされればされるほど、かえってますます言い広めた。
7:37 人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。耳の聞こえない人たちを聞こえるようにし、口のきけない人たちを話せるようにされた。」

○ 6月9日はペンテコステでした。2000年前のペンテコステの日、弟子達の開かれた心に聖霊がおいでになったすばらしい日でした。そこからわずかの間に多くの人がイエスを信じ教会ができ、さらにどんどん福音は広がっていきました。
ペンテコステ祈祷会から2週間。私たちはどうでしょうか? 
今日はまだイエスの宣教活動の時に戻ります。一人の 耳が聞こえず口のきけない人 が癒されるところです。

Ⅰ.聞く耳に
A.一人のろう者との出会い
1.異邦人の地をグルーッと回ってガリラヤ湖に来られました。そこに連れてこられた 耳が聞こえず口のきけない人 も異邦人かと思われます。
2.このデカポリス地方では5章に登場した悪霊につかれて墓場に住んでいた人が癒された話がありました。もしかすると、その人によってイエスのことが広まっていたとも考えられます。そこで、この誰によっても癒されない人を連れて来たのかも知れません。しかもこの人も悪霊につかれている可能性があるのです。

B.聞こえるようになった
1.人々がいくらイエスのすばらしい噂をしていても、この人にはその噂も聞こえなかったということです。誰かが彼を連れて行かなければ彼にはイエスがわからなかったのです。イエスの所に連れて行く人がいるのはとても幸いです。
2.彼はイエスを見ました。目の前にです。イエスのことを説明されても聞こえなかった彼にとって、目の前にいる人が誰なのかわかったのでしょうか? 癒しを願ったのは連れてきた人たちです。
3.イエスはその人たちの願いを聞いて、彼に触れられました。さらにツバをつけた指で彼の舌に触れられました。聞こえない彼にはそれがとてもわかりやすかったのかも知れません。 そして、彼の耳は聞こえるよう、口は話せるようになりました。

Ⅱ.語る口に
A.エパタ
1. 7:34 そして天を見上げ、深く息をして と、あります。この〈深く嘆息〉する(34)(〈ギ〉ステナゾー)の名詞形〈ギ〉ステナグモスは,ロマ8:26で,御霊の「深いうめき」を表すのに用いられている. と、聖書の達人には載っています。彼の今までの辛さを感じ、悪魔の支配に怒りを覚えらえたと思います。
2.そして、イエスがアラム語で「エパタ」と言われると、 すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった のです。彼は全く話せないわけではなく、話そうとしても舌がもつれたのは悪霊によって縛られていたからとも言われています。

B.語れるようになった
1.悪霊に支配されて閉じていた心がイエスの「エパタ」によって開かれたのです。つまり悪霊は退散したということです。彼の心の声「助けて!」をどこに向かって叫んでよいのかわからなかったのですが、その心の声さえもイエスには届いていたのです。皆さんの心の声はイエスに届いています。
2.すると、彼は福音を聞く事ができるようになったばかりか語れるようになったのです。今まで「助けて」とさえまともに言えなかった彼の口から「イエスは主です」と神をたたえる言葉が出るようになったのです。

Ⅲ.開いた心
A.開くのは神
1.自分の心でありながらなかなかその心が開けられない、そういう人がたくさんおられると思います。確かに私たちが心を開くことでイエスが心の中に来てくださるのです。
2.しかし、私たちは神の前に行けるようにしていただけたのもイエスのお陰。全てはイエスのお陰です。 黙示録3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 と、あるとおりです。
3.心を開こうという人間的努力をやめてイエスの所に行きましょう。そして祭壇に捧げられた生け贄の動物のように神に任せましょう。イエスが「開け」と言ってくださいます。

B.心から溢れるものがある
1. 7:36 イエスは、このことをだれにも言ってはならないと人々に命じられた。しかし、彼らは口止めされればされるほど、かえってますます言い広めた。 黙っておれないのが福音です。私たちは福音を語っているでしょうか? 
2.この人に 「開け」 と言われたイエス。彼の何が開いたのでしょうか? 耳も口も開きましたが、悪霊によって閉ざされていた心まで開き、その心に福音が入ったなら、今度は聖霊は溢れ飛び出してこられます。

● かつて教師時代、生徒が「先生。私の好きな人知りたい」と言うので「別に」と言ったら、「教えてあげる!」と言って無理矢理言ってくるのです。好きになってしまうとみんなにも知ってほしいものなのです。イエスに心を開くというのはそういうことです。

★ あなたの心はイエスに開かれていますか? そして、あなたの口は人々に対して開いていますか?


ペンテコステとは何か?

2019-06-09 16:35:12 | 礼拝説教
2019/6/9 ペンテコステ礼拝説教
【テーマ】  聖霊が注がれた日
【説教題】 「ペンテコステとは何か?」
【聖書箇所】 使徒2:1-4、41-47
2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

○ 今日はペンテコステの日です。私たちがなぜユダヤの祭を祝うのでしょうか? この日はどういう日なのでしょうか? 私たちとどんな関係があるのでしょうか?

Ⅰ.ペンテコステとはユダヤの祭
A.50日目の祭
1.ペンテコステとはギリシャ語の50番目という言葉で、ユダヤの過越の祭から50日目の祭のことです。両方とも農業祭でもあるのです。五旬節(五旬祭)、七週の祭と言われます。
2.過越の祭の時にイエスが十字架につけられ、復活されました。その50日後の五旬節に聖霊降臨があったので、今もなお聖霊降臨のあったときのことをペンテコステと呼んでいます。
3.後にキリスト教ではイエスの復活を起点としてその50日の日曜日をペンテコステとして祝います。イースターが毎年変わるので、当然ペンテコステの日も変わるわけです。

B.人々はエルサレムに集まっていた
1.イエスの十字架刑の時も、過越の祭を祝うために人々はエルサレムに集まっていました。ですからイエスの死の目撃者がユダヤ人の中にもたくさんいたわけです。
2.そして、五旬節も人々はエルサレムに集まっています。一気に多くの人がイエス・キリストを信じることになったのもこうしたユダヤの祭のために多くの人が集まっていたことが挙げられます。これは神のご計画と言えるでしょう。

Ⅱ.その日に聖霊が降った
A.120人に一斉に聖霊が降った
1.その五旬節の日に初めて聖霊が人の中に注がれました。注がれるという言い方をすると何か聖霊は水のような物質として考えられそうですし、またエネルギーのようにも考えられそうです。しかし、聖霊は三位一体の神です。
2.120人ほどの弟子達が同じ家に集まっていたのですが、その彼らに聖霊が降りました。その時に激しい風のような響きが起こったため、祭に集まっていた人たちがその家の方に集まってきたというのです。人々を集めるために神のなされた特別な方法でしょう。

B.色々な言葉で語り出した
1.そこで、弟子達は聖霊が語らせるままに他国の色々な言葉で語り出したので、人々は驚いたのです。この出来事の中で人々が何が起こったのかわからず、勝手なことを言っているときにペテロが説明し、人々がイエスを信じるに至ったのです。
2.旧約聖書の約束通り、イエスがお出でになり十字架にかかってくださいました。そして、復活の後この聖霊が人々に注がれることが起こりました。すべて聖書通りです。

Ⅲ.教会が誕生した日
A.人々がひとつになった
1.イエスがおられないのにイエスを信じる人はどんどん増え、ユダヤ教の一派として急成長したのですが、ユダヤ教からは相容れないことでキリスト教ができていきます。その集まり、グループがエクレシア(教会)と呼ばれるようになります。
2.見えないキリストを中心として教会は一つになり成長していきます。イエスがおられないのにそうなるのは聖霊が一人一人の中におられるからです。

B.キリストの体を建て上げるよう励んだ
1.ひとつになるというのはキリストの体を建て上げるためでした。それはイエスを信じたら勝手にキリストの体ができるわけではありません。イエスを信じる喜びから起こる彼らの意志によるところが大きいのです。
2.私たちもこの時から続いて教会・キリストの体を建て上げています。聖霊を受けたら自動的に良い教会が出来上がるのではありません。そこにはイエスとの一致から始まる私たちがひとつとなってイエス・キリストを伝えていくという強い意志によるのです。

● あの日からずっと聖霊は信じる人の心にお入りくださっています。今もイエスを自分の罪からの救い主と信じる人の心に即座にお入りになっています。そして、イエスの思いを追求していくのです。

★ ペンテコステとは祭に過ぎませんでしたが、神がその日を選び、弟子達に聖霊が降った特別な日です。その歴史的一時点の出来事が世界中にまた再臨まで続くすばらしい神のご計画の日でした。今、私たちはその恵の時代に生きています。