バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

神の教会になぜ問題が起こるのか?

2017-06-18 17:52:03 | 礼拝説教
2017/6/18礼拝説教
【テーマ】  教会の成長
【説教題】 「神の教会になぜ問題が起こるのか?」
【聖書箇所】 使徒6:1-7
  6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
6:5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
  6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。

○ 子どもの発達を勉強していますと、わずか2歳ぐらいで反抗期があります。そして、第二反抗期と呼ばれる時期までにも、親としてやりにくいことが多々出てきます。それを過ぎて大人になるものの、大人になっても色々あるではありませんか? 教会も色々な問題のようなことを通って発達・成長するのではないかと思います。

Ⅰ.初代教会に問題がおこった
A.聖霊に満たされた教会でも問題はある
1.ペンテコステというすごい出来事があって、一気に教会ができ、弟子達によって奇跡のわざ、聖霊の満たしなどが各地で起こりました。そして、救われる人が数千人単位で起こってくるということは本当にすごいことです。
2.こういう状況の中にあった教会ですから、教会は天国のような所と思いがちになりますが、今日のテキストを読むと、早速問題が生じています。苦情の申し立てが起こっているのです。

B.最初の問題とは
1.ここで起こった問題とは、やめもに対しての配給のことで不公平が生じたということです。人は自分が損をすることを見過ごせないものです。「クリスチャンだから自分が損をしても文句を言わなくていいじゃないか」と思いたいですが、初代教会からそれは無理なことでした。特にこれは食べることですから、命に関わるということでも苦情申し立てとなったのでしょう。
2.子どももちょっと量に差がつくと、「●●ちゃんの方が多い」と言って怒ります。こう考えると、初代教会はやはり生まれたばかりの教会だったんだなあと思えます。

Ⅱ.どのように解決したか
A.問題そのものは問題では無い
1.問題が起こるのは悪いことではありません。イエス様がパンを増やされたように、聖霊に満ちた教会は祈ることでパンが増えれば、やはり「すごい!」と言えるのでしょう。が、そんなことは起こらなかったのです。
2.大事なのは、その現実を、神様の許しの中で行われていることと認め、愛と信仰で対処していくことです。

B.聴く人を用意した
1.12使徒が行った解決は食卓のことに仕える人「執事」を決めることでした。しかも、 ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた のですから、ギリシャ語を使うユダヤ人7名を選んだのです。この人達が選ばれることで、明確な働き人が生まれたことになり、初代教会の大きな力となったのです。
2.しかし、ただ言葉が通じるだけではいけないのです。なぜ苦情が生まれたのか、その背景を聞き取ることが必要です。傾聴ということが言われますが、聴ける人が必要ということです。教会の問題は聴ける人で解決していくのです。

Ⅲ.全ては福音宣教のため
A.食卓の問題から宣教拡大に
1.使徒達の按手で祈られた7名は忠実にその仕事を果たしていきます。その結果、 6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。 というすばらしいことが起こるわけです。
2.食卓の問題を解決することが最優先課題というわけではなく、福音宣教がスムーズに進むために何をすべきかということだったのです。この問題解決が使徒達に大事な時間を確保させ、宣教が進んだのです。

B.宣教のために作られる組織
1.多くの教会の牧師は 6:4 もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします と言いたいでしょう。しかし、現実はなかなかそうはいかず、あらゆることを牧師がしています。その解決のために教会組織をしっかりとしていこうとしているのです。
2.しかし、組織は命を失うと危ないことはよく言われるところです。あの7人の執事が選ばれた基準は 御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち でした。つまり、心の通い合う、命のある組織なのです。それによって宣教が拡大されます。

★ 教会に問題が起こることは何も問題ではありません。それを放置しておくのが問題です。問題は教会を分裂させるためにあるのではなく、それによって福音宣教が拡大するためにあるのです。そのためにみんなの知恵を出し合うのです。神は信徒を用いようとされているのです。


私には何があるのか!?

2017-06-11 18:11:58 | 礼拝説教
2017/6/11礼拝説教
【テーマ】  聖霊の力
【説教題】 「私には何があるのか!?」
【聖書箇所】 使徒3:1-10
  3:1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
3:2 すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
3:4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
3:5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、
3:7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
3:8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。
3:9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
3:10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。

○ ペンテコステから弟子達は大きく変化しました。堂々とユダヤ人の祈りの時間に宮に上って行きます。彼らはなぜ変わったのですか? 聖霊ですね。聖霊の力です。

Ⅰ.私たちを見なさい
A.見ていなかった
1. 生まれつき足のなえた人 は宮のそばにいつも来ているのに宮の中に入ったことが無いのです。それは彼が身に障害を持っていて律法の規定に合わないため宮に入ることができないからです。ですから彼は癒されると直ちに宮に入って行ったのです。
2.彼は毎日ここに来ていたようですが、ペテロ達はこの日まで彼を見たことは無かったのでしょうか? ペテロもヨハネも彼のことを知っていたかも知れません。しかし、ユダヤ人の常識に生きていたため、彼を見てもそこに居るのが当たり前で気にも留めなかったのではないかと思います。

B.その人を見た
1.この日の彼らは違いました。足のなえた彼を見るだけでは無く、 「私たちを見なさい」 と言うのです。彼らはこの足のなえた人を今までまともに見ていなかったのです。聖霊に満たされた人は見方も変わるらしいです。
2.自分を見るように、というのは自分に自信があるからです。しかし、彼らの自信は自分というよりも、自分を変えてくださったイエス様(聖霊)によるものです。聖霊の力です。

Ⅱ.金銀は私にはない
A.金銀しか頭に無い
1.当然のことですが、 「私たちを見なさい」 と、言われたら、物乞いをしている人は、何かもらえると思ってその人を見ます。欲しいのは金銀ですから。
2.まさか 金銀は私にはない なんて言われるとは思ってもみなかったでしょう。彼は何の為に生きているのでしょうか? お金をめぐんでもらうためだけに生きているのです。彼の家族も彼に何の期待もしていないし、彼の稼ぎの多い少ないだけが気になったでしょう。
3.多かれ少なかれ、人はお金に動かされているところがあります。これを克服すると人生が変わるのかも知れません。何しろ、Ⅰテモテ6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。 と言われていますので。

B.金銀のことは気にしない
1. 金銀は私にはない と言ったペテロ。本当にお金は無かったでしょう。仕事もしていないですから、食べるものはイエス様の弟子、家を貸してくれているような人達によって支えていただいたと思います。
2.貧乏には慣れていたペテロかも知れませんが、かつては漁師として生計を立てていたのです。その彼の得意分野とは全く違った分野で働くのです。彼は誰かに養ってもらわないことには生きていけないのです。
3.普通なら不安になります。今まではイエス様が側にいたから不安も消えたのですが、もうイエス様はいないし、ペテロはこの新しい集団のリーダーになっているのです。彼を支えるのは聖霊なのです。

Ⅲ.私にあるものをあげよう
A.持っているようで持っていなかった
1. 金銀は私にはない と言い切ったペテロが即座に続けて言ったのは 私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい でした。 私にあるもの とはイエス・キリストの名による権威でした。
2.イエス様と共にいた時は、ペテロ弟子達はイエス様の権威をも持っているように思ったのです。悪霊を追い出したり、病を癒したりすることがあの頃はできたのです。しかし、実は何も持っていなかったのです。自我の力を信仰の力と思っていたのです。

B.持たないようで持っている
1.そのペテロが聖霊のバプテスマを受けると最も大事なものを得たことがわかります。彼は「力を受けます」と言われたとおり、福音宣教の力を受けました。
2.彼はそれまでの自我の力が聖霊によって砕かれました。砕かれたペテロは聖霊によってイエス・キリストの名による権威が信仰によって与えられていることがわかったのです。
3.外目には何も変わらないペテロですが、彼は 私にあるもの を信仰によって、聖霊によって知ったのです。そして、その信仰の一言、愛の一言を受け入れた男性は歩き出したのです。

★ この癒された男性は喜んで賛美し、宮に入って行きました。そのように、全ての人が神に近づくことは私たちの願いでもあります。その働きのために神様は私たちに「力を受ける」と言ってくださったのです。皆さん、ペテロのように 私にあるもの を知っていますか? イエス・キリストの名による権威を聖霊が発揮してくださるのです。


われは聖霊を信ず

2017-06-04 17:08:25 | 礼拝説教
2017/6/4ペンテコステ礼拝説教
【テーマ】  使徒信条・聖霊
【説教題】 「われは聖霊を信ず」
【聖書箇所】 使徒1:8
 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて生ける者と死にたる者とをさばきたまわん。
われは聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。  アーメン

○ 今日はペンテコステの日です。クリスマスは日本人にもよく知られているキリスト教会の行事ですが、最近ではイースターも知られるようになってきました。でも教会の誕生日と言われるペンテコステはまだまだ知られていません。この日に初めて聖霊なる神が、イエスを信じる人々の心にお出でになり、その結果、教会が誕生しました。その聖霊なる神について使徒信条は説明していません。「われは聖霊を信ず」だけです。

Ⅰ.聖霊は神である
A.聖霊は幽霊ではない
1.イエス様が神様であることを信じない人もおられますが、聖霊も神で無いと思っている人が多くおられるようです。多いのは神のエネルギーのようなもの、神の腕のような神の一部と捉えている人です。
2.聖霊を英語で Holy Ghost とも言いますので、クリスチャンでない通訳者が「聖なる幽霊」と訳したという話があります。日本人は霊というと幽霊を考えやすいみたいです。しかし、聖霊は幽霊ではありません。神ご自身です。
3.聖霊は神ですから、全知全能です。単なるエネルギーなどでは無く、人格をお持ちですので、私たちと親しく交わりを持つことができます。ですから、 エペ 4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。 ともあるわけです。聖霊は悲しまれる人格をお持ちだということです。

B.聖霊は私たちの内に住まれる神
1.聖霊は父なる神と子なる神・イエスと共に三位一体の神です。こういう説明をされる方もあります。--父なる神を「私たちの上におられる神」、御子イエス・キリストを「私たちとともにおられる神」、聖霊を「私たちの内におられる神」と。
2.パウロはこう言っています。 Ⅰコリ 6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。 と。その結果、私たちも神の子どもとされるのです。そして、内に住んでくださる聖霊によって少しずつ神の子として成長させていただけるのです。
3.聖霊は私たちの内側にあって助けてくださる助け主です。真理を思い起こさせ、正しいことを行うために力を与えてくださるのです。

Ⅱ.聖霊は力をくださる
A.聖霊を求めよう
1.イエス様は何度か聖霊のことを人々に伝えてこられました。その一つの箇所を見ましょう。 ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。 です。
2.イエス様は 渇いているなら と言われましたが、人間はみな渇いているものなのです。こんな話があります。1996年アメリカ海軍兵ジョイ・モーラが空母から海へ落下したのですが、誰にも気づかれず、彼が漁船に救助されるまでに72時間かかったそうです。そして助かった彼はインタビューの中で、絶望の中、神が励ましてくださったと語ったそうです。彼が海を漂う間、彼の内側から込み上げてくる欲求が彼を支えたと言っています。それは「水が欲しい!」という叫びだったのです。周りは水だらけですが、飲める水が無いのです。
3.私たちも実はそういう渇きの叫びがあるのではないでしょうか。神様に叫んでみてください。イエス様は わたしのもとに来て飲みなさい と言われました。この言葉は正しくは「いつも私の元に来て、いつも飲んでいなさい」です。

B.聖霊のなさること
1.ペンテコステの日に、弟子達はこの聖霊に満たされました。彼らの内側から 生ける水の川が流れ出 てきました。彼らは大きな声で祈り、またイエス様のことを語りました。そこに大勢の人が集まってきたのですが、あの逃げ隠れしたペテロが大胆に語り、なんとその日だけで3000人が救われたのです。
2.今までなら、人々はこのペテロを殺しにかかったかも知れません。ところが、この日大勢の人は聖霊の働きを受けて悔い改めることになったのです。聖霊はそのように人々に正しいことを示し、悪を悔い改める心を与えてくださるのです。
3.その後も弟子達によって救いのわざが各地に起こりました。そのために教会ができていくのです。ペンテコステの日は正に教会の誕生日なのです。

★ あなたも渇いている自分であることを認め、聖霊を溢れるほどにくださいと願ってください。