2019/1/20礼拝説教
【テーマ】 人を愛し、救うイエス
【説教題】 「この人をも愛したイエス」
【聖書箇所】 マルコ5:11-20
【新改訳2017】
5:11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。
5:12 彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」
5:13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。
5:14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。
5:15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。
5:17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。
5:19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」
5:20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。
○ 今日のテキストは先週の続きです。悪霊に支配されていた男の人から、イエスは悪霊を追い出します。
Ⅰ.神無しに生きる人
A.レギオン
1.今も悪霊の問題を精神的な病としてとらえようという考え方があります。しかし、私は聖書通り悪霊が存在し、この男の人は悪霊につかれて苦しめられていたととらえています。
2.悪霊にも色々なのがおり、色々な悪しきことをしていることがわかります。今回の悪霊は「レギオン」と自称し、大勢だと言っています。レギオンというのはローマの軍隊の単位で一師団約6000人です。 マタイ26:53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。 というイエスの言葉の 十二軍団 がレギオンです。
3.つまり、この悪霊どもは強力だということを誇示していますが、イエスの前に何もできないでいるのです。
B.私を苦しめないで・・・
1.イエスがこの地に来られたとき、誰よりも早くこの男の人がイエスの所に来ました。 5:6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。5:7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」 とあるように、イエスのことを神の子と認めているのですが、これは悪霊の知識によるのでしょう。
2.そして、 私とあなたに何の関係があるのですか。 というのは、「私はあなた(神)無しで生きていくのだ」と言っているのと同じです。そして、 神によってお願いします。私を苦しめないでください。 というのも、神に従う生き方を望むと悪霊に苦しめられることをこの男の人は言っているのです。
3.悪霊に苦しめられるのも、罪に苦しめられるのも、神無しに生きる人というのは何か別のものの虜になっているのです。
Ⅱ.神より他のものを愛する人
A.悪霊は追い出された
1.イエスはこの男の人の本心(救って欲しい)を見抜き、助けるのです。つまり、悪霊を追い出します。悪霊はイエスに逆らえないためにこの人から出て行かざるを得ません。そこで、まだ神の支配の無いか、少ないか、罪に満ちたこの地方に留まりたいようで、たくさんいる豚に住まわせてくれと願うのです。
2.イエスは悪霊の願いを聞くようなお方ではありませんが、ここは神のご計画の中でそれが許されました。悪霊は豚に入るのですが、 すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。 となって悪霊は消えます。
B.人々の大事なのは財産なのか?
1.問題なのはその豚の所有者です。大事な財産を失ったのです。そして伝え聞いた人々がやって来ると レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見 ました。事情を聞いて人々はイエスを受け入れたか、歓迎したかというとそうでは無かったのです。 5:17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。 のです。
2.人々にとってこの悪霊につかれていた人の救いよりも自分たちの財産である豚のことが心配だったのです。目の前に正気に戻った男の人がいるにも関わらず、彼の救いよりも豚のことの方が気になっているのです。2000匹の豚の方が、この男の人より価値があるということになります。私たちも人々の救いよりも自分のお金や財産のことの方が最優先ということはないでしょうか?
Ⅲ.宣教する人
A.生き方を変えていただいた
1.この男の人生はイエスに出会わなければどうなっていたでしょうか? 一生悪霊どもの住まいとして彼は使われていたでしょう。それは人間としての豊かな人生が無いということです。しかも、彼の体は傷だらけで、痛み、苦しみ、命の危険もあったことでしょう。
2.人はみんな罪人ですから、イエスに会わなければ一生罪を持ち続け、その苦しみの中を生きるのです。
3.悪霊につかれていた男の人は、悪霊が出て行くと、本来神が彼に用意した彼の生き方が始まりました。彼はイエス様に着いていきたい、弟子にして欲しいと言うのです。
B.イエスを語る
1. 5:19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」5:20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。 と、イエスは彼をそこに残るように言われました。その結果、彼は デカポリス地方で言い広め始めた のです。この 言い広め という言葉は「宣教する」「説教する」という言葉です。彼は宣教師、説教家となったわけです。
2.私たちも自分の身に起こったことをお話しする、証しするわけですが、それは宣教師であり、説教家なのです。私たちもイエスからどこで語るのか教えられるのではないでしょうか。
● この男の人の話で私はヨブを思い出しました。しかし、ヨブとどこが違うのでしょうか? ヨブも悪魔によって散々な目に遭い、体もボロボロでした。しかし、ヨブは悪霊につかれたわけではありません。愚痴は出ましたが、神を信じて苦しみの中を歩みました。そこは大きな違いです。ヨブは大きな試練を受けたのですが、彼は神と生きた人です。大変な苦しみ、試練を受けましたが、神がいるのと悪霊によるのとでは、その後の人生が違います。
★ この男の人はイエスに愛されました。そして、変えられた彼は、 イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。 私たちもイエスに愛されて変えられました。私たちも私たちに与えられた場所でイエスを語る人になろうではありませんか。
【テーマ】 人を愛し、救うイエス
【説教題】 「この人をも愛したイエス」
【聖書箇所】 マルコ5:11-20
【新改訳2017】
5:11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。
5:12 彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」
5:13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。
5:14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。
5:15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。
5:17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。
5:19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」
5:20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。
○ 今日のテキストは先週の続きです。悪霊に支配されていた男の人から、イエスは悪霊を追い出します。
Ⅰ.神無しに生きる人
A.レギオン
1.今も悪霊の問題を精神的な病としてとらえようという考え方があります。しかし、私は聖書通り悪霊が存在し、この男の人は悪霊につかれて苦しめられていたととらえています。
2.悪霊にも色々なのがおり、色々な悪しきことをしていることがわかります。今回の悪霊は「レギオン」と自称し、大勢だと言っています。レギオンというのはローマの軍隊の単位で一師団約6000人です。 マタイ26:53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。 というイエスの言葉の 十二軍団 がレギオンです。
3.つまり、この悪霊どもは強力だということを誇示していますが、イエスの前に何もできないでいるのです。
B.私を苦しめないで・・・
1.イエスがこの地に来られたとき、誰よりも早くこの男の人がイエスの所に来ました。 5:6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。5:7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」 とあるように、イエスのことを神の子と認めているのですが、これは悪霊の知識によるのでしょう。
2.そして、 私とあなたに何の関係があるのですか。 というのは、「私はあなた(神)無しで生きていくのだ」と言っているのと同じです。そして、 神によってお願いします。私を苦しめないでください。 というのも、神に従う生き方を望むと悪霊に苦しめられることをこの男の人は言っているのです。
3.悪霊に苦しめられるのも、罪に苦しめられるのも、神無しに生きる人というのは何か別のものの虜になっているのです。
Ⅱ.神より他のものを愛する人
A.悪霊は追い出された
1.イエスはこの男の人の本心(救って欲しい)を見抜き、助けるのです。つまり、悪霊を追い出します。悪霊はイエスに逆らえないためにこの人から出て行かざるを得ません。そこで、まだ神の支配の無いか、少ないか、罪に満ちたこの地方に留まりたいようで、たくさんいる豚に住まわせてくれと願うのです。
2.イエスは悪霊の願いを聞くようなお方ではありませんが、ここは神のご計画の中でそれが許されました。悪霊は豚に入るのですが、 すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。 となって悪霊は消えます。
B.人々の大事なのは財産なのか?
1.問題なのはその豚の所有者です。大事な財産を失ったのです。そして伝え聞いた人々がやって来ると レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見 ました。事情を聞いて人々はイエスを受け入れたか、歓迎したかというとそうでは無かったのです。 5:17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。 のです。
2.人々にとってこの悪霊につかれていた人の救いよりも自分たちの財産である豚のことが心配だったのです。目の前に正気に戻った男の人がいるにも関わらず、彼の救いよりも豚のことの方が気になっているのです。2000匹の豚の方が、この男の人より価値があるということになります。私たちも人々の救いよりも自分のお金や財産のことの方が最優先ということはないでしょうか?
Ⅲ.宣教する人
A.生き方を変えていただいた
1.この男の人生はイエスに出会わなければどうなっていたでしょうか? 一生悪霊どもの住まいとして彼は使われていたでしょう。それは人間としての豊かな人生が無いということです。しかも、彼の体は傷だらけで、痛み、苦しみ、命の危険もあったことでしょう。
2.人はみんな罪人ですから、イエスに会わなければ一生罪を持ち続け、その苦しみの中を生きるのです。
3.悪霊につかれていた男の人は、悪霊が出て行くと、本来神が彼に用意した彼の生き方が始まりました。彼はイエス様に着いていきたい、弟子にして欲しいと言うのです。
B.イエスを語る
1. 5:19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」5:20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。 と、イエスは彼をそこに残るように言われました。その結果、彼は デカポリス地方で言い広め始めた のです。この 言い広め という言葉は「宣教する」「説教する」という言葉です。彼は宣教師、説教家となったわけです。
2.私たちも自分の身に起こったことをお話しする、証しするわけですが、それは宣教師であり、説教家なのです。私たちもイエスからどこで語るのか教えられるのではないでしょうか。
● この男の人の話で私はヨブを思い出しました。しかし、ヨブとどこが違うのでしょうか? ヨブも悪魔によって散々な目に遭い、体もボロボロでした。しかし、ヨブは悪霊につかれたわけではありません。愚痴は出ましたが、神を信じて苦しみの中を歩みました。そこは大きな違いです。ヨブは大きな試練を受けたのですが、彼は神と生きた人です。大変な苦しみ、試練を受けましたが、神がいるのと悪霊によるのとでは、その後の人生が違います。
★ この男の人はイエスに愛されました。そして、変えられた彼は、 イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。 私たちもイエスに愛されて変えられました。私たちも私たちに与えられた場所でイエスを語る人になろうではありませんか。