2018/10/28礼拝説教
【テーマ】 神の国
【説教題】 「神の国はどこに?」
【聖書箇所】 マルコ4:26-34
【新改訳2017】
4:26 またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、
4:27 夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。
4:28 地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。
4:29 実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」
4:30 またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、
4:32 蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
4:33 イエスは、このような多くのたとえをもって、彼らの聞く力に応じてみことばを話された。
4:34 たとえを使わずに話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちには、彼らだけがいるときに、すべてのことを解き明かされた。
○ 今日の午後は青年会が中心になって「ホーム・パーティ」なるものを計画してくださいました。単に楽しいというだけでなく、ここに神の国を見るようなひとときとなると思います。神の国とはどのようなものでしょうか?
Ⅰ.神の国
A.神の国はどこに?
1.「神の国」というと「天国」と考えやすく、いつか死んだら行く世界のように思う人がいます。しかし、イエスの語られる話からはそういう場所的なものではないことが感じ取れます。
2.また、ユダヤ人はこの地上に神の国が形成されると思っていました。ところが、イエスは ルカ 17:20 パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。 と、このように言われました。
B.神の国の王は?
1.神の国というのは神が王として支配されることを言います。そして、イスラエルの人々が「神の国はいつ来るのか?」と考えていたということはまだ神の支配が無かったということです。
2.又その考えの背景にはローマ帝国の支配があり、イスラエルはその属州として組み込まれてしまっていたからです。ローマ帝国という大きな国から独立して、あるいはローマ帝国を滅ぼして神の国が成立することを待ち望んでいたのです。
3.イスラエルの人々はローマ帝国以上の国ができ、ダビデのような王が君臨するということを考えたでしょう。しかし、イエスはそのような目に見えるものではないと言われるのです。
Ⅱ.からし種
A.勝手に大きくなる
1.そこで、イエスは種のたとえを語られました。種を蒔いておけば勝手に育っていく、そして、最後に刈り入れがあるという話です。農民にとってこの話自体はわかるでしょうが、これが神の国とどのように繋がっているのかはなかなかわからないことではないでしょうか?
2. 4:26-27 神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。 と、人にはわからないが勝手に育つように、神の国は私たちにはわからないが、勝手に大きくなるのです。
B.からし種の成長
1.イエスは神の国を「からし種」にたとえられました。それは農民達にとってよくわかる一つの種だったのです。どの野菜の種よりも小さい「からし種」ですが、一旦蒔けば、どんどん成長し、どんな野菜よりも大きくなるというのです。
2.からし種は「からし」の種ですが、私が知っているのは「からしな」というアブラナ科のものでそんなに大きくはならないです。しかし、ある種類のブラックマスタードは、種は1mmもなく、蒔くとどんどん大きくなり、5mくらいになるそうです。そして、その陰も大きいので地面にしっかりと鳥が巣を作ることができるようです。鳥も安らぐことができるのです。安らげるのが神の国でしょう。
Ⅲ.聖霊の働き
A.聖霊の自由な働き
1.人々は神の国を場所的なもの、人間が王として存在する場所を考えました。が、神の御言葉が蒔かれればひとりでに成長するのであって、人にはわからないことだとイエスは言われています。
2. ヨハネ3:8 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。 と、イエスはニコデモに言われましたが、ニコデモには理解できませんでした。理解できなくても後に復活の主に会い、聖霊に満たされると律法の支配を超えて自由になっていったのです。
B.私たちは知らないものです
1.私たちは神様のお考えや、世の中の現象に対して、あまりにも「どうしてこうなるのですか?」と言い過ぎます。ある人は「クリスチャンの心配性」と言いました。信仰によらず、自分の頭でわかることを信じようとするのです。
2.わからないことはいっぱいあるのです。しかし、からし種が蒔かれると勝手に成長して大きな木になり、鳥でさえその陰に安らぐのです。私たちのいただいた御言葉は蒔かれると勝手に成長するのです。どのようにしたら成長するのかではないのです。
● 理論、理屈、そしてそのためにセミナーが開かれ、ある人は勉強することに燃えます。聖会信者、キャンプ信者と言われて、そうした集会が大好きで行く人がいます。悪い事では無いのです。正しい知識を持つことは必要ですから。しかし、蒔かないなら何も起こらないのです。「どうして神の国は来ないのか?」と、また分析はするけれど蒔こうとしない。御言葉は大丈夫だから、良い地に蒔くべきです。良い地に耕す仕事は大事なのかも知れません。しかし、神がどんなことをなさるのか私たちがわかるはずが無いのです。死後の世界さえ知らないのです。 ルカ 17:21 『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」 とイエスは言われました。
★ 神の国は私たちの中にあることを信じますか? 御言葉が蒔かれ、イエスが王としておられる私たちの心が神の国です。同時に私たちの集まりは神の国です。
【テーマ】 神の国
【説教題】 「神の国はどこに?」
【聖書箇所】 マルコ4:26-34
【新改訳2017】
4:26 またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、
4:27 夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。
4:28 地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。
4:29 実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」
4:30 またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、
4:32 蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
4:33 イエスは、このような多くのたとえをもって、彼らの聞く力に応じてみことばを話された。
4:34 たとえを使わずに話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちには、彼らだけがいるときに、すべてのことを解き明かされた。
○ 今日の午後は青年会が中心になって「ホーム・パーティ」なるものを計画してくださいました。単に楽しいというだけでなく、ここに神の国を見るようなひとときとなると思います。神の国とはどのようなものでしょうか?
Ⅰ.神の国
A.神の国はどこに?
1.「神の国」というと「天国」と考えやすく、いつか死んだら行く世界のように思う人がいます。しかし、イエスの語られる話からはそういう場所的なものではないことが感じ取れます。
2.また、ユダヤ人はこの地上に神の国が形成されると思っていました。ところが、イエスは ルカ 17:20 パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。 と、このように言われました。
B.神の国の王は?
1.神の国というのは神が王として支配されることを言います。そして、イスラエルの人々が「神の国はいつ来るのか?」と考えていたということはまだ神の支配が無かったということです。
2.又その考えの背景にはローマ帝国の支配があり、イスラエルはその属州として組み込まれてしまっていたからです。ローマ帝国という大きな国から独立して、あるいはローマ帝国を滅ぼして神の国が成立することを待ち望んでいたのです。
3.イスラエルの人々はローマ帝国以上の国ができ、ダビデのような王が君臨するということを考えたでしょう。しかし、イエスはそのような目に見えるものではないと言われるのです。
Ⅱ.からし種
A.勝手に大きくなる
1.そこで、イエスは種のたとえを語られました。種を蒔いておけば勝手に育っていく、そして、最後に刈り入れがあるという話です。農民にとってこの話自体はわかるでしょうが、これが神の国とどのように繋がっているのかはなかなかわからないことではないでしょうか?
2. 4:26-27 神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。 と、人にはわからないが勝手に育つように、神の国は私たちにはわからないが、勝手に大きくなるのです。
B.からし種の成長
1.イエスは神の国を「からし種」にたとえられました。それは農民達にとってよくわかる一つの種だったのです。どの野菜の種よりも小さい「からし種」ですが、一旦蒔けば、どんどん成長し、どんな野菜よりも大きくなるというのです。
2.からし種は「からし」の種ですが、私が知っているのは「からしな」というアブラナ科のものでそんなに大きくはならないです。しかし、ある種類のブラックマスタードは、種は1mmもなく、蒔くとどんどん大きくなり、5mくらいになるそうです。そして、その陰も大きいので地面にしっかりと鳥が巣を作ることができるようです。鳥も安らぐことができるのです。安らげるのが神の国でしょう。
Ⅲ.聖霊の働き
A.聖霊の自由な働き
1.人々は神の国を場所的なもの、人間が王として存在する場所を考えました。が、神の御言葉が蒔かれればひとりでに成長するのであって、人にはわからないことだとイエスは言われています。
2. ヨハネ3:8 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。 と、イエスはニコデモに言われましたが、ニコデモには理解できませんでした。理解できなくても後に復活の主に会い、聖霊に満たされると律法の支配を超えて自由になっていったのです。
B.私たちは知らないものです
1.私たちは神様のお考えや、世の中の現象に対して、あまりにも「どうしてこうなるのですか?」と言い過ぎます。ある人は「クリスチャンの心配性」と言いました。信仰によらず、自分の頭でわかることを信じようとするのです。
2.わからないことはいっぱいあるのです。しかし、からし種が蒔かれると勝手に成長して大きな木になり、鳥でさえその陰に安らぐのです。私たちのいただいた御言葉は蒔かれると勝手に成長するのです。どのようにしたら成長するのかではないのです。
● 理論、理屈、そしてそのためにセミナーが開かれ、ある人は勉強することに燃えます。聖会信者、キャンプ信者と言われて、そうした集会が大好きで行く人がいます。悪い事では無いのです。正しい知識を持つことは必要ですから。しかし、蒔かないなら何も起こらないのです。「どうして神の国は来ないのか?」と、また分析はするけれど蒔こうとしない。御言葉は大丈夫だから、良い地に蒔くべきです。良い地に耕す仕事は大事なのかも知れません。しかし、神がどんなことをなさるのか私たちがわかるはずが無いのです。死後の世界さえ知らないのです。 ルカ 17:21 『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」 とイエスは言われました。
★ 神の国は私たちの中にあることを信じますか? 御言葉が蒔かれ、イエスが王としておられる私たちの心が神の国です。同時に私たちの集まりは神の国です。