バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

ここは神の家

2022-02-12 07:25:06 | 礼拝説教
2022/2/13 礼拝説教
【テーマ】  神が共にいる
【説教題】 「ここは神の家」
【聖書箇所】 創世記28章
28:10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。
28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
28:13 そして、見よ、【主】がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。
28:15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
28:16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに【主】はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」
28:17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。
28:19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。
28:20 ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、
28:21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、【主】は私の神となり、
28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」

○ 前回イサクの花嫁探しの話でしたが、一気に進みます。イサクとリベカが結婚して双子の男の子が生まれました。兄はエサウ。弟はヤコブ。この双子は似ていません。二卵性なのでしょう。兄は毛深く、荒い性格。弟はすべすべ肌の穏和な性格らしいです。二人が大きくなり、イサクが死を前にしたとき、イサクはエサウを跡継ぎとして祝福しようとしました。が、エサウを好まない母リベカはなんとかその祝福をヤコブに継がせたいと悪巧みを働かせ、ヤコブに兄の格好をさせ、イサクの願った美味しい肉料理を作ってもたせました。目の見えないイサクはまんまと欺されてヤコブを祝福していしまいます。後になって怒ったエサウはヤコブを殺しかねません。リベカはヤコブを自分の故郷に送り、兄ラバンの元で過ごすようにさせました。そこでハランへと向かう途中の出来事が今日のところです。
 
Ⅰ.ある場所が特別な場所に変わる
A.ある場所
1.母リベカにかわいがられていたヤコブは一人ハランへと向かいます。その道中は本当に不安でさみしいものだったと思います。まして夜になり宿も無く野宿するに当たっては危険動物との接触も困りものです。兄を欺したことでこんな事になった自分を悔いたかと思います。
2. 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。 と、さみしい夜を迎えました。色々な恐怖を感じながら、ゆっくり休むこともできない状態ですが、疲れ切っていた彼は眠ってしまいました。その場所は特別な場所というわけでもなく、まさに ある場所 でした。

B.特別な場所
1.そこでヤコブは夢を見ました。それが不思議な夢で、彼のいるところと天とをつなぐはしごが立てられていて、天使がそのはしごを上り下りしているのです。はしごというのは今で言う階段と思ってよいと思います。そこを天使が上り下りしているのです。天につながっているというのはどれくらい高くまで繋がっているのでしょう。それは不思議な夢です。
2.目が覚めたヤコブは まことに【主】はこの場所におられる。 と言いました。彼はその普通の場所が特別な場所と感じられました。私たちもなんてことはない、いつもの場所にいても、特別な場所と感じる事があるのではないでしょうか。それは神の臨在が豊かにあるときです。いつものように礼拝していても、その日は特に神の臨在を感じるということがあったりして、特別な日、特別な場所となるのです。

Ⅱ.ルズがベテルに変わる
A.ベテル・神の家
1.ヤコブはその ある場所 を特別な場所と認識し、「ルズ」と呼ばれていたその場所を「ベテル」と呼びました。ベテルとは「神の家」という意味です。キリスト教会の名前で「〇〇ベテル教会」と名付けられた教会があります。神のおられるところ、神のお住まいになっているところとヤコブは考えたのです。
2.私たちもただ集まるだけなら「ある場所」に過ぎないのです。たとえそれが美しい教会堂であったとしても、神がお住まいになっていない場所ならそれは「ある場所」なのです。しかし、神をお迎えしているなら、そこは「ベテル・神の家」なのです。私たちの教会もベテルです。皆さんの家もベテルなのです。

B.ベテル・祝福の地
1.その場所でヤコブは主の声を聞きました。 「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。 と。ヤコブが横たわっているその地を祝福の地としてヤコブの子孫に与えると約束してくださったのです。この時点の彼はそんなすばらしい約束をいただけるような信仰者でしょうか? 違います。
2.神の家に住むということはそれ自体がすでに祝福です。神は全世界を人間のためにお造りになりました。この地上で領地を広くし、豊かな産物を得ることは神からの祝福です。しかし、この地上の祝福をはるかに超える天の祝福を、ヤコブもまたすべての人々も知らなければならなかったのです。

Ⅲ.不信仰者が信仰者に変わる
A.未熟者のヤコブから
1.神からすばらしい祝福の約束をいただいた後、彼は誓願を立てました。 「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、無事に父の家に帰らせてくださるなら、【主】は私の神となり、石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」 と。十分の一を献げると、献身的なことも言っていますが、彼の祈りを見ると ・・・くださるなら、・・・この石は神の家となります・・・献げます と条件付きの祈りではありませんか。要するに信仰が未熟なのです。
2.信仰が未熟なのは誰もがそうです。そこを通ります。そして成熟へと向かうのです。そのために試練もあるのです。後に父親となったヤコブを見ると決して立派な父親とは思えません。しかし、神の言葉を信じ続け、この誓願を果たしてきたことを思うと彼は長い年月かけて信仰を成長させていただいたのでしょう。そして、召されたときに彼は地上のベテルではない、真のベテルを味わったのです。

B.私たちも信仰者に変わる
1.私たちはどのようにしたら未熟な信仰から立派な信仰へと変えられるのでしょうか。まず、言っておくべきことはこの地上にある限りは決して立派と言える信仰には辿り着かないということです。しかし、神は私たちが聖化されることを望んでおられますから、あらゆる努力をしてきよめられるべきなのです。
2.救われるために努力は要りませんが、救われた者は努力が必要です。それは恵みから恵みへと進む必要があるからです。私たちが ある場所 に留まり続けると信仰は成長しません。神の宮殿に入れていただいても、次々扉を開けていくことで次の恵みの部屋を見ることができるからです。

★ 私たちの ある場所 はすでにベテルとなっているでしょうか? 私たちのいるところが神の家になるのは神の臨在があることです。私たちも ある場所 からベテルに移り住んだ信仰者と成長しているでしょうか。


祈って見つけた花嫁

2022-02-05 07:44:00 | 礼拝説教
2022/2/6 礼拝説教
【テーマ】  祈りは聞かれている
【説教題】 「祈って見つけた花嫁」
【聖書箇所】 創世記24章
24:10 しもべは主人のらくだの中から十頭を連れて出かけた。主人のあらゆる良い品々をその手に携えていた。彼は立って、アラム・ナハライムのナホルの町へ行った。
24:11 彼は夕暮れ時、水を汲む女たちが出て来るころ、町の外の井戸のそばにらくだを伏させた。
24:12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。
24:13 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。
24:14 私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」
24:15 しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。

○ 結婚されている方、皆さんはどのようにして結婚相手を見つけられましたか? 最近ではマッチングアプリで見つけるのでしょうか? これももう古くなっているのでしょうか? その昔、アブラハムの時代に息子イサクの結婚相手を決めるのにアブラハムの使用人(しもべ)が用いられます。彼はどんなことをしてイサクの結婚相手を見つけたのでしょうか?
 
Ⅰ.しもべの祈り
A.アブラハムはしもべに託す
1.イサクが結婚したのは40才だそうです。妻となったリベカの年はわかりません。結婚して20年間子どもができませんでした。やっとイサク60才にして双子の男の子が与えられます。イサクは180才まで生きたそうですから、60才といっても若いと言えるのでしょうか?
2.さてこのイサクに妻を見つけたいとアブラハムは思ったのですが、その地域にはアブラハムの目にかなう若い女性はいませんでした。そこで、親族の住む地に行って相手となる女性を探すことにしましたが、その役目をアブラハムの信頼するしもべに託しました。

B.しもべは花嫁にふさわしい人を祈る
1.しもべはそこで、ラクダ10頭を連れて出かけます。他に一緒に行った人達の数はわかりません。そして、行った先、 アラム・ナハライムのナホルの町 でイサクの花嫁を見つけなければならないのですが、ネット検索などできないわけですから、それは簡単なことではありません。
2.では、このしもべのしたことは何だったでしょうか? ネットより情報の確かな神に祈ったことでした。彼の祈りはかなり具体的な内容の祈りでした。 24:12-14 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」 と。さてどうなったでしょうか?

Ⅱ.祈りに応える神
A.即刻聞かれた祈り
1.こうしてしもべが祈った後というか、祈っている途中というか、リベカという美しい女性が水汲みにやってきたのです。そして、しもべが祈ったように、水を求めたところ、リベカは親切に水を汲んでくれ、さらにラクダの分も水を汲んでくれました。まさにこのしもべの祈ったとおりの女性が現れたのです。
2.このように祈ったことが即座に聞かれる場合もあります。しかし、祈ってからきかれるまでに時間がかかることは普通です。このしもべは大変具体的に祈りましたが、具体的な祈りは大事だと思われます。神は私たちが祈る前からわかっておられる全知全能のお方です。しかし、神は私たちに祈るように言われています。そして、その祈りを聞いてくださるのです。

B.神の応え方
1.神が「聞く」というのは文字通り、私たちの言葉に耳を傾けてくださることです。しかも、その人のことを愛をもって聞いてくださいます。だからといって私たちの願いを皆かなえるという聞き方ではありません。神のご判断があるということです。でもそれが最善です。
2.イサクも祈り心を持って待っていたのではないでしょうか? もしかするとリベカも「ふさわしい結婚相手が与えられるように」と祈っていたのかも知れません。祈りはこのように、不思議と人と人をつなぐことがあります。

Ⅲ.祈りはすばらしい
A.誰でも祈ることができる
1.ここで創世記の話から離れて、「祈り」についてわずかですがお伝えしましょう。祈りというのは神との会話のようなものだと言われます。神は目には見えませんから、電話あるいはメールのようなものでしょう。でも、こちらからは語りかけられるけれど神の声は聞こえないのだから会話ではないように思われがちです。しかし、神のお声は聖書なんです。聖書をよく読んでいますと、私たちの頭に聖書の言葉つまり神様の言葉がいつしか溜まっています。それが必要な時に神様によって思い起こさせられたりするのです。
2.祈りは誰にでもできます。子どもにだって、クリスチャンでなくてもできます。会話も相手を信用して話をするのと信用していなくて話をするのでは大きな違いがあるように、神を信じて祈って欲しいのです。

B.イエスの名によって祈る
1.クリスチャンは祈りの最後に「イエス様のお名前を通してお祈りします」というようなことを言って祈りを締めくくることが多いです。これはなぜかというと、私たちは本来神に祈ることさえできない神と離れてしまった存在だったのです。しかし、イエスが十字架で私たちの身代わりに罪を負ってくださったことで、私たちは文句なしに神に直接お話しできるような存在にしていただけたのです。
2.権威ある方の名前の元には人々はひれ伏します。有名な「このお方を誰と心得る。先の副将軍水戸の光圀公にあらせられるぞ」と印籠を出すとその権威にひれ伏します。イエス・キリストの名前はこの全世界をお造りになった神の子のお名前ですので、すべての権威をお持ちなのです。ですから、イエス・キリストと家族にしていただいたクリスチャンはそのお名前を使うことができるのです。

★ 神はあなたの祈りをも聴いておられます。そして、神の語る言葉も聞いて欲しいと願っておられます。聖書をぜひお読みください。そして、いつでも神とお話のできる人となっていただきたいと思います。