2020/12/27 礼拝説教
【テーマ】 クリスチャンの成長
【説教題】 「もう子どもじゃない」
【聖書箇所】 エペソ4:14-15
4:14 こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。
○ 2020年は今までにない不思議な感覚の一年でした。コロナ、コロナでさーっと過ぎ去っていった気がします。教会ではイベントや聖餐式、ランチの中止、オンラインによる礼拝、集会、多くの方々と会えなくなるという本当に大変な一年でした。このことは「教会とは何か?」「礼拝とは何か?」ということを考えさせられる時でもありました。エペソ書を見てきましたが、まさにこの書は教会を教えているものです。クリスマスを終えて、またエペソ書から学ばせていただきましょう。
Ⅰ.もはや子どもではない
A.新しくクリスチャンとして生まれる
1.先週は洗礼式をし、今日は入会式をいたしますが、教会に属するのはどういうこと、クリスチャンになるというのはどういうことでしょうか。
2.今日のテキストに 私たちはもはや子どもではなく とありますが、クリスチャンは新しく赤ちゃんとして生まれて成長していくものだということを言っています。
3.つまり、私達は徐々にクリスチャンらしく進化していくのではありません。全てのクリスチャンが新しく生まれて子どもとして歩み出すということです。イエスがニコデモに語った言葉 ヨハネ3:3 人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。 とあるように、この世とは別に新しく生まれるのがクリスチャンです。
B.徐々に進化するのではない
1.新しく生まれるのであって、徐々に世から分離していくのではないし、進化してクリスチャンになるのでもないのです。イエス・キリストを信じたときにスパッと完全に世と分離して、新しく生まれたのです。
2.全てのクリスチャンは最初赤ちゃんなのです。いくら世的には立派な仕事をしていてもそれは世の人であってまだ神の人ではありません。そこで、新しく生まれることで神の人となり、赤ちゃんからスタートするのです。そして、クリスチャンとしては徐々に成長するのです。世の人の状態から徐々に聖徒(4:12)になるのではありません。
C.すでに聖徒とされている
1.クリスチャンの中には「私はとても聖徒ではありません」と言う人がいますが、気持ちは分かるのですが、聖書は徐々に聖徒になるとは言っていません。すでに聖徒にされていると言っているのです。つまり世とは分離していると言っているのです。
2.「聖人」という言葉があるので勘違いしやすいのかも知れません。上に立つ人が「聖人」と決めないと「聖徒」になれないのではありません。神が直接私達を「聖徒」と呼んでくださっているのです。イエスを自分の罪からの救い主と信じて生まれ変わったとき、すでに私達は「聖徒」なのです。そして、子どもとして歩んでいるのです。
Ⅱ.愛をもって真理を語る
A.子どものままの教会は・・・
1.全てのクリスチャンは赤ちゃんからスタートします。そして、 もはや子どもではなく なので、いつまでも子どもでいてはならないということです。ヘブル書には厳しい叱責があります。 ヘブル5:12 あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。5:13 乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。5:14 固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。
2.子どものままの教会は 人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た教えの風に吹き回されたり、もてあそばれたりする のです。まず、子どもからの成長のためには Ⅰペテロ2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。 霊のミルクが必要です。御言葉のミルクです。御言葉で成長しなければならないのです。私達は主と恵みを知っていく必要があります。
B.成長していく教会は・・・
1.御言葉で成長して、 愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長する というところへ向かうのです。私達は真理を知っています。ピラトが「真理とは何か?」とイエスに問いましたが、私達はイエスが真理だと知っています。このお方を愛をもって語っていくのです。
2.イエスは十字架という恐ろしい場面でうろたえなかったのです。神は私達にもそういう信仰者に成長して欲しいと願っておられることを感じませんか。
● コロナで明け暮れた一年ではあったかもしれませんが、神の恵みが薄れた一年だったのでしょうか? 私達の年度当初の計画がことごとく崩れたように見えましたが、同時にそれは私達に新たな伝道の道を開いてくださるためだったのではないでしょうか。また、コロナウイルスとの戦いは不安との戦いでもあり、神に信頼すること、委ねること、礼拝の大切さ等々を教えてくださる良き機会となったのではないでしょうか。
★ 今年一年、思わぬ出来事によってですが、神の愛を、神のご計画のすごさを改めて知るときとされたことを感謝しましょう。
【テーマ】 クリスチャンの成長
【説教題】 「もう子どもじゃない」
【聖書箇所】 エペソ4:14-15
4:14 こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。
○ 2020年は今までにない不思議な感覚の一年でした。コロナ、コロナでさーっと過ぎ去っていった気がします。教会ではイベントや聖餐式、ランチの中止、オンラインによる礼拝、集会、多くの方々と会えなくなるという本当に大変な一年でした。このことは「教会とは何か?」「礼拝とは何か?」ということを考えさせられる時でもありました。エペソ書を見てきましたが、まさにこの書は教会を教えているものです。クリスマスを終えて、またエペソ書から学ばせていただきましょう。
Ⅰ.もはや子どもではない
A.新しくクリスチャンとして生まれる
1.先週は洗礼式をし、今日は入会式をいたしますが、教会に属するのはどういうこと、クリスチャンになるというのはどういうことでしょうか。
2.今日のテキストに 私たちはもはや子どもではなく とありますが、クリスチャンは新しく赤ちゃんとして生まれて成長していくものだということを言っています。
3.つまり、私達は徐々にクリスチャンらしく進化していくのではありません。全てのクリスチャンが新しく生まれて子どもとして歩み出すということです。イエスがニコデモに語った言葉 ヨハネ3:3 人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。 とあるように、この世とは別に新しく生まれるのがクリスチャンです。
B.徐々に進化するのではない
1.新しく生まれるのであって、徐々に世から分離していくのではないし、進化してクリスチャンになるのでもないのです。イエス・キリストを信じたときにスパッと完全に世と分離して、新しく生まれたのです。
2.全てのクリスチャンは最初赤ちゃんなのです。いくら世的には立派な仕事をしていてもそれは世の人であってまだ神の人ではありません。そこで、新しく生まれることで神の人となり、赤ちゃんからスタートするのです。そして、クリスチャンとしては徐々に成長するのです。世の人の状態から徐々に聖徒(4:12)になるのではありません。
C.すでに聖徒とされている
1.クリスチャンの中には「私はとても聖徒ではありません」と言う人がいますが、気持ちは分かるのですが、聖書は徐々に聖徒になるとは言っていません。すでに聖徒にされていると言っているのです。つまり世とは分離していると言っているのです。
2.「聖人」という言葉があるので勘違いしやすいのかも知れません。上に立つ人が「聖人」と決めないと「聖徒」になれないのではありません。神が直接私達を「聖徒」と呼んでくださっているのです。イエスを自分の罪からの救い主と信じて生まれ変わったとき、すでに私達は「聖徒」なのです。そして、子どもとして歩んでいるのです。
Ⅱ.愛をもって真理を語る
A.子どものままの教会は・・・
1.全てのクリスチャンは赤ちゃんからスタートします。そして、 もはや子どもではなく なので、いつまでも子どもでいてはならないということです。ヘブル書には厳しい叱責があります。 ヘブル5:12 あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。5:13 乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。5:14 固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。
2.子どものままの教会は 人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た教えの風に吹き回されたり、もてあそばれたりする のです。まず、子どもからの成長のためには Ⅰペテロ2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。 霊のミルクが必要です。御言葉のミルクです。御言葉で成長しなければならないのです。私達は主と恵みを知っていく必要があります。
B.成長していく教会は・・・
1.御言葉で成長して、 愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長する というところへ向かうのです。私達は真理を知っています。ピラトが「真理とは何か?」とイエスに問いましたが、私達はイエスが真理だと知っています。このお方を愛をもって語っていくのです。
2.イエスは十字架という恐ろしい場面でうろたえなかったのです。神は私達にもそういう信仰者に成長して欲しいと願っておられることを感じませんか。
● コロナで明け暮れた一年ではあったかもしれませんが、神の恵みが薄れた一年だったのでしょうか? 私達の年度当初の計画がことごとく崩れたように見えましたが、同時にそれは私達に新たな伝道の道を開いてくださるためだったのではないでしょうか。また、コロナウイルスとの戦いは不安との戦いでもあり、神に信頼すること、委ねること、礼拝の大切さ等々を教えてくださる良き機会となったのではないでしょうか。
★ 今年一年、思わぬ出来事によってですが、神の愛を、神のご計画のすごさを改めて知るときとされたことを感謝しましょう。