バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

イエス様からいただいた愛

2016-06-26 18:00:54 | 礼拝説教
2016/6/26礼拝説教
【テーマ】  愛の行い
【説教題】 「イエス様からいただいた愛」
【聖書箇所】 ローマ13:8-10
  13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。
13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

○ 12章から「愛の行い」というテーマできていますが、今日のテキストにはストレートに「愛」という言葉が続出します。

Ⅰ.負債はNG
A.金品の貸し借りは要注意
1.金品の貸し借りはよほど仲の良い友達でも問題が起こらないとは限りません。特にお金に関してはそうです。お金に関するトラブルは親子・親族の間でもたくさんあります。基本的に貸し借りはしないことです。
2.だからといって、聖書がすべて貸し借りを禁じているわけではありません。期日までにはきちんと返済すべき事は教えています。また、返す力の無い者から命に関わるほどの取り立てをしてはいけないことも書かれています。

B.負債は返すべき
1.負債があるということは、相手に対しても失礼になるばかりか、自分もその負債によって心が縛られていることになります。互いに自由を奪い、より良い人間関係を壊してしまいかねません。
2.会堂建築の際、教会債を発行してお金を借りることがあります。多くの牧師は返済が済むまでは心が安まらないと言います。確かに返すのだけれど、負債は辛いものです。正しい負債であっても負債は心の平安を欠きます。

C.証になる生き方をしよう
1.パウロはここで、 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。 と強く言っています。これは社会人としてのマナーというか義務だということです。負債(借金)が神様の栄光を表さず、証にならないことが多いからです。
2.お金の管理、管理能力を問われるのではないでしょうか。未信者の方は、神様そのものがわからないのですから、クリスチャンの言動から判断することが多いのです。

Ⅱ.愛の負債はOK
A.負債と義務
1.パウロは基本的に負債はダメだと言いますが、 ただし、互いに愛し合うことについては別です。 と言います。この言葉が今日の中心です。「愛」という負債です。
2.負債は返すべきですが、「愛」という負債だけはいつまでも残るのです。お金なら借りた分を返せば良いのですが、愛は無限です。返しきれないのです。
3.ここのところは「人を愛すべき義務がある」というふうに読んでもよいと思います。私たちは互いに愛し合うべき義務があるのです。

B.福音宣教という負債
1.パウロは、 ローマ1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。 と言っています。パウロは異邦人から何かを借りたのでしょうか? ここは異邦人に福音を伝えるべき責任・義務を感じているということです。
2.パウロは神様から愛されてきたユダヤ人でした。それなのに、かつて彼はイエス様を迫害したのです。そんな滅ぼされて当然の彼が赦され、救われたのです。
3.罪深い自分を赦してくださった神様は異邦人も救われることを知ったパウロは、異邦人宣教を自分の義務と考えたのです。しかも、それは単なる義務感ではなく、「愛」からです。

Ⅲ.愛は律法を全うする
A.律法と愛
1. 「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」 という律法を守る人は 律法を完全に守っている 人です。 :10 愛は律法を全うします。 と同じです。「全うする」は「満たす」「成就する」という意味で、愛は律法の具体的な要求を満たすのです。
2.ユダヤ人にとって大事な 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め という十戒は 「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。(参照 レビ19:18) と言っています。イエス様も言われたように、律法というのは神を愛することと、人を愛することに要約されるのです。
3.律法は神に対して、人に対して、正しい関係をつくるために設けられたものです。その中心は「愛」です。ですから愛すれば律法を全うしているのです。

B.イエス・キリストは愛の人
1.パウロはみんなに「愛の人」になって欲しくて、律法を持ち出しますが、律法を守れば社会的には「善良な人」になるかも知れませんが、「愛の人」になるわけではないのです。
2.よく言われることですが、「愛」を「イエス・キリスト」に置き換えてみるとわかりやすいです。 イエス・キリストは隣人に対して害を与えません。それゆえ、イエス・キリストは律法を全うします。 となります。その通りです。しかし、自分の名前を入れてはどうも上手くいきません。愛の人はイエス様だけです。

C.イエス様の愛をいただこう
1.私たちはこのイエス様に愛されたのです。私たちはイエス様に返すことのできない愛の負債を負っています。だから私たちもイエス様がなさったように 「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」 を実行するのです。
2.愛のない私たちはどこまでもイエス様から愛をいただかねばなりません。借りたって返せませんから、いただくのです。だから神様は聖霊を私たちにくださったのです。聖霊は「愛」ですから。聖霊を返してはいけません。

★ 愛の行いには「貸し借り」をしない関係がありますが、「愛」は別です。イエス様から受けた愛は大きすぎて返せません。イエス様から受けた愛が私たちの内側で燃えて、「救われて欲しい」という熱愛になるのです。さらに、「祝福して欲しい」と祈る心になるのです。


絶対、神に従う!

2016-06-12 17:20:09 | 礼拝説教
2016/6/12礼拝説教
【テーマ】  愛の行い
【説教題】 「絶対、神に従う!」
【聖書箇所】 ローマ13:1-7
  13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
13:2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
13:4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。
13:5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。
13:6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。
13:7 あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。

○ パウロが政治的権力について取り上げるのは珍しいことです。それは、ローマ教会がローマ帝国の首都にある教会であるという事情があったかも知れません。また、地上の権力の問題などには全く無関心な教会を戒めるためであったとも言われます。

Ⅰ.上に立つ権威に従う
A.上に立つ権威
1. 13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。 と始まる13章ですが、「従う」ことが命じられています。 上に立つ権威 はローマ帝国の皇帝であり、またその下に設けられた諸権威者です。このことはヘブル人への手紙にも ヘブル 13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。 と書いてあります。
2.上に立つ権威は、家庭にあっては父親でした。結婚式で読まれる エペソ5:22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。 と、妻は夫に従うように言われています。また、 エペソ6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。 と子どもたちは両親に従うように言われています。
3.パウロは 神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。 というように、上に立つ権威は神から与えられたものだというのです。

B.完璧な権威者はいない
1.この箇所は昔から物議をかもし出したところです。「どんなにひどい権威者にも従うべきなのか?」と。神をも信じない、聖書的では無い権威者は昔からどこにでもいました。そういう権威者にも従うのか? ということはずっと疑問でした。
2.Ⅰサムエル8章からのところで、イスラエルの人々も目に見える王が欲しいと願い、神様は民衆の言うことを認めてくださったのです。そこで第一代目の王に選ばれたのがサウル王でした。 Ⅰサムエル10:24 サムエルは民のすべてに言った。「見よ。【主】がお選びになったこの人を。民のうちだれも、この人に並ぶ者はいない。」 と、サウル王は神様によって立てられました。
3.しかし、完璧な人はいません。不完全な人間に支配されるわけですから、人々にとって大変なことがあり得るのです。どんなに神から認められた権威といえども人間は完璧では無いことを覚えておかねばなりません。

C.納税に従う
1.上に立つ権威があるので、法律が決められ、税も課せられました。その税金に関しては、イエス様の有名な言葉 カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。(マタイ22:21) があります。
2.また、神殿の納入金のことでも マタイ17:27 しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」 と、神殿税を支払っておられます。
3.パウロも 13:7 あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。 と言っています。

Ⅱ.神の権威に従う
A.100%神に従ったイエス様
1.人としてこられたイエス様は父なる神に徹底して従われました。それは ピリピ2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。 とある通りです。イエス様が十字架にまで従われた姿こそ最高の「愛の人」の姿です。
2.しかもその従い方は「いやいや」ではなく、心から進んでなさったので、「愛の行い」と言えるのです。その愛の人イエスの「愛の行い」によって私たちは救われたのです。
3.私たちもこのイエス様に倣おうとしているのですから、100%神様に従われたイエス様のように、私たちも心から神に従うべきなのです。しかし、罪人である私達はそれを実現させることはできません。

B.神を愛する人たち
1.ペテロ達はイエス様のことを語ってならないと命じられたとき、上に立つユダヤの指導者に対して 使徒4:19 「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。 とも、 使徒5:29 「人に従うより、神に従うべきです。 と言っています。
2.神様の権威に従うという大原則は、神の立てた権威にも従うものです。バビロン捕囚に遭った少年ダニエル達はバビロンの王に忠実でした。しかし、 ダニエル1:8 ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。 と、神様第一を貫く少年達でした。そして、王の金の像を拝まず燃える炉の中に投げ込まれようとも、王自身を拝さずライオンの穴に投げ込まれようとも、神様第一を貫いたのです。
3.神様の権威を超える権威は人間にはありませんから、いくら神の立てた権威に従うと言っても、神様の命令を無視して人間の権威に従うことはどうでしょうか?

C.心から従う人達
1.パウロが献金のことで Ⅱコリント9:5 そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 と言っています。決まりとか律法ではなく、心からするのが「愛」です。
2.「心から」は、心に神の霊「聖霊」がおられることでできるようになるのです。神に従うとは心を神に委ねることです。

★ 「絶対、神に従う!」という決意と愛の聖霊の助けを願うことが神にも人にも従う人への道、「愛の人」への道です。


神様のくださる良いものとは?

2016-06-05 17:50:04 | 礼拝説教
2016/6/5礼拝説教
【テーマ】  私たちに最も必要なもの
【説教題】 「神様のくださる良いものとは?」
【聖書箇所】 マタイ7:7-11
  7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

○ 求めれば与えられるのであれば、何を求めますか? すぐにもらえなくても、求め続ければ必ずもらえるとわかればどうですか? 

Ⅰ.求め続けなさい
A.諦める人
1.皆さんは諦めやすいタイプですか? それとも諦めないタイプですか? 絶対に諦めない頑固なタイプですか? どれが良いのでしょうか?
2.私は諦めやすいタイプかもしれません。それは自分に自信が無いからです。自分の言っていること、思っていることが絶対正しいと思えないので、自信が無くて諦めずに言い続けることが出来ないのです。

B.諦めない人
1.しかし、この自信の無い私がイエス様のことに関しては絶対に正しいと言い切れるのです。イエス様は私たちを愛し続け、絶対に救ってくださると確信しているのです。
2.諦めない人。色々な発明品はそういう人達のお陰で出来たように思います。失敗しても失敗しても諦めないで頑張ったエジソンのような人達のお陰で私たちの役に立っているものが沢山あるのです。

C.求めなさい
1.イエス様は「求めなさい」と言われましたが、この言葉、直訳では「求め続けなさい」になるのです。ルカ11章のたとえ話に夜中にパンを3つ貸してくれという話があります。 ルカ11:8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。 と、頼み続けることが書かれています。
2.神様はその程度の友人ではありませんから、求め続ければ、必要なものは必ず与えられるというのです。

Ⅱ.神様は必要なものをくださる
A.必要でなければ与えない
1. 7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 とは面白いたとえです。どんなにパンと石が似ていても石は食べられません。パンが欲しいと言う時に石を与える親はいないです。
2.先日、甘いものを欲しがる幼児がお母さんに「甘いものが欲しい」と言いましたが、お母さんは「もう少しで晩ご飯だからダメよ」と言ってその子の願いを受け入れませんでした。これはこれで正しいことです。すると、その子はお母さんに黙って、あめ玉を見つけて食べたのです。それを見たお母さんはそれを口から取り出して捨てました。その子は大泣きでした。あめ玉自体は悪いものでは無いですが、このお母さんの判断は正しく、子どももある程度わかっていますが、欲しかったのです。
3.神様は私たちが「欲しい」と願い続けても、与えてくださらないことは多々あります。でも与えないというわけではないのです。「今は必要ない」という時には神様も与えないのです。

B.みんなに与えてくださる
1. 7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 も、また面白い言い方です。鰻だったら蛇に似ているかも知れませんが、普通の魚は蛇に似ていないと思います。
2.パンと魚と言えば、5つのパンと2匹の魚の話を思い出します。この時、人々は求めたわけでは無かったと思います。イエス様が空腹の群衆を見て、弟子たちに何か食べ物を与えるように言われたのですが、そこには少年の持っていた5つのパンと2匹の魚だけがあったのです。イエス様はパンを石にすることも魚を蛇にすることもできましたが、パンと魚を増やしてくださったのです。
3. 7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。 とありますが、イエス様も食べたかったので、他の人にもそうしてあげたのでしょうか。

C.大事なものを与えてくださる
1.「蛇」はサタンの使いのように悪しきものの代表になっています。魚は良いものです。神様は良いものを求める人にサタンに属する何かを与えることは絶対に無いのです。
2.イエス様は人々の必要を知っておられます。だから主の祈りを教え、「日用の糧を与えたまえ」と祈るように教えておられます。
3.しかし、もっと大事なものがあることも事実で、イエス様はそれを与えたいのです。

Ⅲ.聖霊を求めよ
A.神の国と神の義を求める
1. 7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。 と、求める人に、神様は良いものをくださることがわかります。では、良いものとは何でしょうか?
2.イエス様が求めよと言われた言葉を見ると マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 神の国と神の義を求めるように言われているというのは、私たちの心に神様の支配があること、神様ご自身が住んでくださることです。

B.聖霊をくださる
1.この7:11はルカの福音書ではこう書いてあります。 ルカ11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」 聖霊を与えてくださるというのです。聖霊とは神様ご自身ですが、私たちの心の中に住むことのできる方です。
2.この聖霊が神の国と神の義なのです。神様のおられるところが神の国ですし、その聖霊が心に満ちれば私たちの心も神様の義に満ちてくるのです。

★ 人間にとって最も大事なことは心に聖霊をいただくことです。神様は求める人に聖霊を与えてくださるのです。