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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

恵みがあるように祈ろう

2021-08-28 17:33:47 | 礼拝説教
2021/8/29 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「恵みがあるように祈ろう」
【聖書箇所】 エペソ6:21-24
6:21 私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。
6:22 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。
6:23 信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。
6:24 朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。

○ 皆さんは手紙をよく書きますか? メールなどのなかった時代。若い人にはそんな時代がわからないのかも知れませんが、そんなに遠くない過去にそういう時代があったのです。パウロの時代は用紙の高価な時代ですから、書き直しのきかない時代、大切にして書いたことでしょう。
 
Ⅰ.様子を知らせる
A.手紙の目的
1.いよいよエペソ書最後になりました。最後の挨拶、どのような言葉にして締めくくるかはパウロだって考えたでしょう。本来ならば、手紙ではなく自分がエペソ教会に出向いてみんなと会って話をし、教会の問題についても話し合ってみたかったのではないかと思います。
2.手紙では知らせきれないことが多々あります。 6:21 私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。 と、パウロの様子を知らせるためにティキコを遣わすのです。手紙と言っても今のように郵便局があるわけでなく、信頼できる誰かに運んでもらうのです。そこで、ティキコが運びました。

B.ティキコを遣わす目的
1.ティキコを遣わす目的は あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです とあります。パウロ達の様子を知って励ましを受けるためです。獄中のパウロのことを勝手に想像して悲しく辛く思っていた人々が、ティキコからパウロが元気でしかも獄中でも伝道していることを知って励まされるのです。
2.私もかつてある先生が不調だったので気になっていたことがあります。しかし、その先生からある日電話がかかってきて、なんと元気にされていることと教会で癒しが不思議に続いて起こり、神の御業にみんなで感謝したことなどをお聞きして励まされたことがあります。

Ⅱ.主にある忠実な奉仕者
A.ティキコという忠実なしもべ
1.ティキコはただ手紙を届けるだけの仕事をしたのではなく、パウロの様子を伝えたということです。様子を伝えることができるということは、パウロのそばにいてパウロの状況もパウロの気持ちも良く理解していたということです。
2.ティキコが聖書の最初に出てくるのは使徒20:4です。 20:4 彼に同行していたのは、ピロの子であるベレア人ソパテロ、テサロニケ人のアリスタルコとセクンド、デルベ人のガイオ、テモテ、アジア人のティキコとトロフィモであった。 と、第三次伝道旅行の際にパウロに同行しています。
3.そして彼は 主にある忠実な奉仕者 と紹介されています。この奉仕者という言葉は「仕える人」という意味です。まさに、私たち新中野キリスト教会の標語「互いに仕え合う」を行った人と言えるでしょう。パウロが大事な手紙を安心して託し、パウロの様子を的確につかんでいる人です。

B.ティキコは励ましを与える人物
1.しかも 6:22 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。 と、ティキコは「励まし」を語れる人だったのです。物事には常に二面性があり、同じ状況を見ても前向きにとれる人と、後ろ向きにとってしまう人がいます。
2.よく言われるたとえですが、かつて靴の営業マンが二人、ある国へ行ったところ、そこの人たちは裸足でした。そこで、一人の営業マンが本社に電話して「ダメです。ここの人は靴を履いていませんから」と。靴を履かない人たちだから靴は売れないと言ったのです。一方、もう一人の営業マンは電話で「売れます。ここの人たちは誰も靴を履いていません」と靴を知らない人たちなら靴の良さを知ってくれるから売れると考えたのです。同じ状況なのに人によって物事の捉え方が違うのです。ティキコは獄中のパウロのことを心配している教会の人々に不安ではなく、励ましを与えることができる人だったのでしょう。

Ⅲ.恵みを祈る
A.祈りは格好では無い
1.いよいよ締めくくりです。 6:23 信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。6:24 朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。 パウロの祈りです。私も手紙の最後に「祝福をお祈りします」などと書きます。なんとなく、一般的な挨拶に終わってしまいそうになります。そこで、祈りを込めて書くようにしています。また、手を止めて祈って書くことがあります。書かれた文字は祈ろうが祈るまいが同じなのですが、やはり何かが違うのです。
2.悪魔との戦いなど、見えない世界の話をしてきましたが、祈りも見えない世界です。祈りの姿として、敬虔そうに見える姿、写真写りのよい姿というのがあります。しかし、祈りは「格好」ではありません。
3.食前の祈りを忘れた人が「あ、祈るのを忘れた。もう一度食べ直しだ」と言った人がいますが(もちろん笑い話ですが)、祈りを忘れて食べ出しても、食べながら「神様、美味しいです。感謝します」と祈るのもよいのではないでしょうか。祈りは心です。

B.恵みを祈られる恵み
1.何にしてもみんなに励ましを与える手紙を書けるといいですね。また、恵みを祈るのはすばらしいですね。パウロの手紙を私たちは私たちに届けられた手紙のようにして読めるというのはまたすばらしいことです。私たちも励ましを受けることができるのです。
2.そのパウロが 信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように と祈ってくれているのは、時間・空間をはるかに超えて2000年後の日本の私たちのために祈られた恵みの祈りでもあると言えます。

★ 私たちは互いに励ましを与えましょう。パウロがティキコを遣わして、自分が神によって祝されていること、恵みをいただいていることを伝えたように、私たちも自分の恵まれている状況を伝えて、他の兄弟姉妹を励まそうではありませんか。


大胆に語れるように祈ろう!

2021-08-07 06:41:24 | 礼拝説教
2021/8/8 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「大胆に語れるように祈ろう!」
【聖書箇所】 エペソ6:18-20
6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
6:19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。
6:20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

○ この前のところで、私たちに与えられている武具を身に着けて悪魔に立ち向かうことが語られましたが、それは何のためなのでしょうか? ただ、悪魔をやっつけるためだけでしょうか? 悪魔をやっつけると福音が前進する準備ができるのです。福音の前進のためにまず悪魔の働きを打ち破るのです。その戦いの武具は現実に見える形の武具ではありませんでした。どうもこのキリストの信仰の世界は見えるものが本当に無いですね。
 
Ⅰ.御霊によって祈れ
A.見えないからこそ
1.悪魔に対して武具を身に着けることを語ったパウロは続いて祈ることを勧めます。信仰の世界の戦力の源は祈りだからです。 御霊によって祈りなさい と大事なことが言われていますが、信仰の世界は見えないだけに、この祈りも実際には見えないものです。
2.この信仰の世界は見えないだけに説明できないことが多いのです。「信じるってどういうことですか?」「聖霊に満たされるってどういうことですか?」「三位一体とは?」等々。説明できないにもかかわらず、クリスチャンは信じています。敢えて言うならば頭で信じるのでは無く、心・ハートで信じています。
3.説明はできないけれども、イエスを信じるとわかるわけです。パウロはわかっていたのです。彼は Ⅱコリント4:18 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。 とも言っています。

B.悪状況の中で
1.パウロの現実はというとローマの獄中です。何ができるでしょうか? 見える世界としてはパウロは伝道できないのです。彼の生きがいが失われたのです。しかし、彼はそんな中で どんなときにも御霊によって祈りなさい。 という見えない世界で行われている神の不思議な働きを体験しています。獄にいても伝道はできるという不思議な体験です。
2.私たちだってこんな不思議な体験はいっぱいあるでしょ。病気をしたからもうダメだと思っていたのに、その病気のお陰で不思議に証ができるようになった、ある人たちとの出会いがあったというようなことです。
3.こうした思いもかけないことがいくつもあるのが信仰の世界ですから面白いし、楽しいです。「証してください」と言われて「いえ、私はできません」と言っていたのに、いざ前に立ったら、不思議とみんなを励ますような証をしていたということがいっぱいあるじゃないですか。

Ⅱ.忍耐の限りを尽くして祈れ
A.目を覚まして祈る
1.パウロはそのために 目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい と言っています。 目を覚ましていて とありますが、祈っていて眠ってしまうことがあります。聖書を読んでいて眠ってしまうことがあります。礼拝中眠ってしまうことがあります。それはまだいいとして、ここでの 目を覚ましていて とは状況をしっかり把握して すべての聖徒のために 今どのような必要があるかを見極めるということです。
2.それが御霊によって祈ることなんです。自力で見極めるのではなく、聖霊に導かれて祈るのです。主を見上げて祈るのです。パウロは獄中でしたが、獄ばかり見て祈ったら悲観的な祈りになったかも知れません。しかし、彼は閉ざされた獄では無く、開かれた天、そこにおられる主を見上げて祈ったのです。ここに 目を覚ましていて の祈りの極意があるのです。

B.忍耐の限りを尽くして祈る
1.そして、祈りには忍耐が必要です。祈りに忍耐を感じない人はまずいないのではないでしょうか。祈っても祈っても、のれんに腕押し、糠に釘のような感覚。「神は聞いてくれているのだろうか?」と疑問に思う人だっているかと思います。そこで信仰が必要ですね。神は絶対にこの祈りを聞いてくださっているという信仰をいただき、何があっても祈り抜くというような忍耐強い祈りが必要です。
2.かといって変に力む必要はないと思います。なぜなら聞かれていると信じて祈るのですから。とは言え、やはり祈りには忍耐が必要ですね。それがあの大先生パウロの学んだことなのです。私たちも誰かのために忍耐を持って祈りたいものです。必ず救われると信じて。あるいは必ず救われると信じ切れるまで祈るというのでしょうか。

Ⅲ.互いに大胆に語れるように祈れ
A.口を開くときに語る言葉が与えられるように
1.私は説教の準備をします。パワーポイントも作ります。週報に挟む説教要旨も作ります。すると説教ができたと思い込みやすくなります。しかし、説教とは語る時こそ説教なのです。皆さんに説教準備のために祈っていただくことももちろん大事ですが、当日語る時のためにお祈りいただきたいものです。
2.同じく、伝道もそうです。こちらは多分に準備が無いものです。突然未信者の方が来られる。語れるだろうかと不安になります。それでいいのです。だからこそ神に委ねる信仰が生まれます。未信者の方を牧師に任せてはいけません。そして、みんなが大胆に福音を語るように祈るのです。
3.「福音とは何ですか?」と尋ねてこられたクリスチャンの方がいます。あなたがイエスを信じたことが福音です。福音とはグッドニュースです。天国に行けないはずの私を天国へと導いてくださったイエス様のわざが福音です。その体験を語れば良いのです。そして、イエスが救い主だということを語ればよいのです。

B.福音の奥義を大胆に知らせることができるように
1.語るのは単なる知識ではないのです。福音であり、しかもそれは奥義であって、なかなか人には理解してもらえないようなものです。ですから語る者が不安をもって語っていたのでは信じてもらえるでしょうか? しっかりと信仰に満ちて大胆に語ることができる必要があるのです。
2.そのためにパウロも願っているようにお互いに祈りをもって支え合うのです。祈りは互いに仕え合う「愛」です。「互いに仕え合う」は同時に「互いに祈り合う」ともなるのです。

★ パウロが獄中でも福音の前進を見たように私たちもコロナ禍でも福音の前進を見ようではありませんか。悪魔は大胆に福音が語られることを当然嫌います。ということは大胆に福音を語っていきたいものです。自分もですが、他のクリスチャンも語れるように祈り合うことが必要です。