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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

復活 見なければ信じないのか?

2013-03-31 18:03:26 | 礼拝説教

       2013/3/31イースター礼拝説教

【説教題】  「見なければ信じないのか?」
【聖書箇所】 ヨハネ20:24-31

  20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
  20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。
20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
  20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

○ 今日はイースター(復活節)です。キリスト教会が日曜日に礼拝を行っているのはイースターと深い関係があります。つまり、日曜日にイエス様が復活されたからです。

Ⅰ.復活って何だ?

  A.死からよみがえること
    1.死んだ人がよみがえるという話は世界中にたくさんあるらしいです。数年前、私たちと同じ教団のある教会で若い男性が死んでしまったので、葬儀の準備をしておられたそうです。ところが、そのクリスチャンの家族が祈り続けたそうです。牧師先生は「1日以上も経っているのにそれは無理だ」と思いながらも、彼らに頼まれて一緒に祈ったそうです。すると突然「プファー」と息をして鼻に詰めてあった脱脂綿を取ったそうです。何と、本当に生き返ったのです。
    2.こういう話ならばキリスト教でなくてもあります。現に人は死んでから24時間以内は火葬にしてはいけないのです。生き返る可能性が無きにしも非ずだからです。医学的、科学的には分からないのですが、現実に生き返る人がいるのです。
    3.聖書の中では、イエス様が死んでしまった女の子を生き返らせた話や、死んで4日もたってしまった墓の中にいるラザロという人を生き返らせた話などがあります。でも、これらの人はみんな結果的には死にました。
   
  B.普通の生き返りとは違う
    1.じゃ、生き返ることとイエス様の復活は違うのでしょうか? もちろん違います。イエス様は単に死んだけれど生き返ってきたというのでは無いのです。かといって、ゾンビじゃ無いです。
    2.生き返った人はたくさんいるらしいけれど、その人達も必ず死にます。しかし、イエス様は死なない体になって生き返ったのです。イエス様の遺体を入れたお墓は空っぽになっています。イエス様の体が無いのです。それで、「弟子たちが盗んでいった」という嘘の噂を流して、イエス様の体の無いことを説明しようとしたのです。
    3.ところが、500人ほどの人が復活したイエス様に会っています。イエス様とお話しし、一緒に食事もしています。ところが、普通の体と違うと分かるのは、十字架の傷跡がありながらも、痛みを持たない体になっていたということや、閉じられた部屋の中に突然現れたということからです。

Ⅱ.何のために復活したんだ?

  A.十字架無しには語れない!
    1.イエス様は死んでしまってマリヤや弟子たちと別れるのが悲しくて生き返ってきたのかというとそういうことではありません。まず、なぜイエス様が殺されなければならなかったのか考えてみましょう。
    2.2000年も昔のことですが、イエス様は旧約聖書の約束通り生まれました。クリスマスです。イエス様は神様です。でも神様は体を持たないので、そのままでは死ねないので、死ぬことができるように人間の姿で生まれることにされました。
    3.では、なぜ死ぬために? 人はみんな罪を持っています。それでは神様の前で「死刑」の判決を受けなくてはならないのです。そこで、イエス様はその私たちの身代わりに死ぬことで、私たちが死刑判決を受けなくて良いようにしてくださったのです。これが十字架です。
   
  B.罪から解放された証拠
    1.ではなぜ復活? イエス様が本当にみんなの身代わりになったのかどうかどうして知ることができるでしょうか? 罪の身代わりになるのですから、イエス様には罪があってはなりません。イエス様は身代わりに死んでくださいましたが、神様はイエス様に罪が無いことを認めておられますから、今度は復活の体をくださって生き返らせたのです。
    2.同時にこのことで聖書に約束されたとおり、イエス様を信じる人はみんな罪を精算されたことを示しているのです。復活されなければが誰もその真実が分からないわけです。

Ⅲ.見ないで信じられる?

  A.百聞は一見にしかず
    1.トマスという人はイエス様の弟子ですから、いつもイエス様のそばにいて、イエス様からお話を聞いていました。なのに、彼は復活したイエス様に会ったという女達の話も、他の弟子の話も信じませんでした。
    2.彼は 「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」 と言ったのです。私にはその気持ちは良く分かります。私も中高生時代は科学万能くらいに思っていて、見なければ信じないタイプでした。
    3.確かに「百聞は一見にしかず」ということわざがあるように、見れば早いのです。事実トマスに限らず、他の弟子たちも復活のイエス様を見るまではなかなか信じられなかったのです。
   
  B.トマスは見て信じた
    1.そのトマスにイエス様は現れたのですから、トマスはビックリです。 「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」 とイエス様は言われました。トマスははっきり分かりました。イエス様は本当に復活したと。単なる生き返りではなく、復活です。その傷跡も見たのです。
    2.トマスはイエス様がその姿のままで神の国に帰られた後も、イエス様のことを疑うことなく、イエス様が真の神であり、私たちが信じるべきお方であること、私たちの罪からの救い主であることを命がけで伝える人になりました。インドの近くまでイエス様のことを伝えたと言われています。
   
  C.見ないで信じる人が幸い
    1.トマスはイエス様を見て信じたわけですが、イエス様はこう言われています。 「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」 と。現代の私たちは、イエス様を見ることができません。でも、それが幸いなのです。
    2.空気は見えなくても私たちを生かしています。神様も見えませんが、私たちにとってとても大事な方です。親を失っても心の中には親の愛がその人を生かします。神様は見えませんが、その愛で生かされているのです。
    3.イエス様は今は見えませんが、私たちを愛してくださっているのです。私たちもこのイエス様を大事に思うことなのです。

● キリスト教会はイエス様の復活を記念して日曜日に礼拝するようになりました。この日は亡くなった方を思う法事のようなものではありません。見えないけれども今も生きておられる神様、イエス様と楽しく過ごす時なのです。

★ イエス様はあなたのために十字架にかかって身代わりに死んでくださいました。そして、あなたも天国に行けることを示すために復活してくださいました。
    このイエス様を自分の親友にしてください。

今日の聖書の言葉で
● 復活と単なる生き返りはどう違うのですか?

● イエス様以外に復活した人はいますか?

● なぜイエス様は復活したのですか?


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