2013/4/7礼拝説教
【説教題】 「幽霊を信じる? 復活を信じる!」
【聖書箇所】 ルカ24:36-53
24:36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。
24:37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
24:38 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。
24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
24:44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」
24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
24:48 あなたがたは、これらのことの証人です。
24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
24:50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。
24:51 そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。
24:52 彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、
24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。
○ 先週がイースターでした。今週もイエス様の復活のお話をしたいと思います。皆さんは霊をどう思いますか?
Ⅰ.幽霊では無いイエス様
A.弟子たちは霊だと思った
1.十字架に死んだはずのイエス様が生き返ったというのは、一般的に言われる蘇生ならわかりやすいです。しかし、イエス様は十字架にかかった時、その体というのは見るに堪えない傷だらけの体でした。生き返るなんてあり得ない体でした。
2.ですから、弟子たちは、自分たちの前に現れたのはイエス様の霊だと思ったわけです。ユダヤの人たちは一般的に死者の霊は3日間地上をさ迷い4日目に離れていくと信じていたからです。日本風に言えば成仏しきれない霊が地上をさ迷っている状態だということになるでしょうか。
B.イエス様には体があった
1.そういう中でイエス様はご自身が霊では無いことをお示しになるのです。 「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」 と。彼らの迷信を逆手にとって、霊ではなく、復活の体をもっていることを示されるのです。霊には体は無いのです。しかし、イエス様には手足があり、肉も骨もあると言われたのです。
2.なかなか信じられない弟子たちに霊では無い証拠、幻でも無い証拠に、イエス様は焼いた魚を一切れ食べられたのです。人間というのはなかなか聞いても信じなくて、見ないと信じない、見ても信じなくて、触らないと信じないような者です。
C.イエス様の体は特別な体だった
1.しかし、イエス様の体は単に生き返った、つまり蘇生しただけのからでは無いことが分かります。というのは、蘇生しただけなら、あの傷だらけの体はまだまだ回復していないはずなのです。
2.弟子たちがイエス様であることが分かりながらも、傷の癒えているイエス様の体は私たちと同じ体では無かったのです。それは復活の体であり、特別なものでした。食べたりできるし、触ることもできる体でありながらも、空間に支配されない体なのです。
3.この体はいずれ私たちにも与えられる体です。私たちも特別な復活の体をいただく時が来ます。ただ現時点ではイエス様以外にこの体を持った人はいません。
Ⅱ.聖書を悟らせるイエス様
A.弟子たちはよく分かっていなかった
1.こういうことを話すと、私たちの常識の範囲を越えますし、科学的でも無いということで、現代人のように多くの知識を持っていても信じない人が多いのです。ましてや弟子たちにすれば当然のことかもしれません。
2.弟子たちはイエス様から十字架と復活の話を聞いていました。しかし、彼らはその話がよく分かっていませんでした。まだ、信仰的に見ること、考えることができなかったからです。自分たちの経験、知識に頼っていたので、分からなかったのです。
3.無理もありません。私たちは不思議に遭遇すると、脳がフル回転し、しまい込んである知識も持ち出して必死でそれに正当な理由が付けられて理解できるように考えるのです。が、復活はそんな知識をはるかに超えています。
B.聖書には十字架と復活が書かれている
1.イエス様が弟子たちに語ってこられたことは旧約聖書に書かれていることでした。弟子たちはイエス様からこの聖書の中身をしっかりと教えてもらっていました。ユダヤの指導者の間違った教えではありません。
2.私たちも聖書を読んだからと言ってすぐに理解できるわけではありません。旧約聖書を読んでいて、その中にイエス様を見出すことができますか? そこが大事なのです。
C.この復活のイエス様が世界に宣べ伝えられる
1.イエス様は、聖書にはイエス様のことが書かれていて、全部成就することを教えておられます。100%預言が成就するというのです。こんなすごい聖書を私たちはもっと大事にすべきでは無いでしょうか。しっかり読むべきでは無いでしょうか?
2.この聖書の中心であるイエス様が十字架で死に、3日目に復活することが書かれており、このイエス様が全世界に宣べ伝えられるのです。その証拠に日本人の私たちも2000年後の今、イエス様のことを聞いているのです。
Ⅲ.祝福されるイエス様
A.イエス様は約束のものをくださる
1.イエス様のお話はそこで終わりでは無かったのです。イエス様の十字架は私たちの罪を取り除くためのものであり、イエス様は私たちの身代わりに死なれたわけです。復活はイエス様が命に満ちた神であり、罪に支配されないお方であることを示し、私たちにもその復活の体をくださることを前もって示してくださったのです。
2.そして、更にすばらしいのは あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。 と言ってくださった事です。いずれ天国に行けるという約束で終わらず、現時点でもイエス様の働きを手伝うことができるのです。その約束のものとは[聖霊]です。
B.イエス様は弟子たちを祝福された
1.良くできた弟子たちをイエス様が祝福されるのなら分かります。しかし、弟子たちはイエス様のことがよく分かっていないのです。イエス様が復活されたことは信じることができました。が、まだまだです。
2.イエス様が弟子たちを集められた時も、学があるとか、立派な人だからとかいう理由では無かったように、弟子たちが十分成長したから祝福されたのはありません。彼らが復活のイエス様を信じ、言われたとおり、祈り待つ人たちだから祝福されました。
C.イエス様は天に帰られた
1.イエス様はまだ弟子たちが十分ではないのに彼らを置いて天に帰られました。それはイエス様が彼らを信じ、聖霊が彼らに働くことを信じておられたからです。
2.ここからはイエス様無しに弟子たちだけで活動するのです。イエス様がいても一致しにくいような彼らが一致して伝道していけるのは聖霊によるのです。
★ 私たちは一般的な常識の方を信じやすいのですが、聖書が真理です。一般常識から言うと信じられないイエス様の復活は真実なのです。このお方を信じて生きることが生き生きした人生なのです。
今日の聖書の言葉で
● イエス様の復活をあなたはどう思いますか?
● 復活で無ければイエス様はどうなったのでしょうか?
● 復活の意義は何ですか?