バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

ラザロの死

2007-09-13 09:23:08 | 日記・エッセイ・コラム

ヨハネの福音書11章

ここにはラザロの死とよみがえりが書かれている。

ラザロはかなりひどい病気になっていたようで、その姉妹であるマリヤとマルタはイエス様のところに使いを送り、イエス様に来ていただこうとした。
それはイエス様に来ていただければ、イエス様によってラザロの病気は治ると信じていたからである。実際、イエス様にはそれができる。

ところがイエス様は使いの者からその話を聞いてもベタニヤに行こうとされない。

11:4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」
11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
11:6 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。

弟子たちはラザロの病気はたいしたことなく、イエス様が行かなくても治るとおもっただろう。ところが、

11:7 その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
11:8 弟子たちはイエスに言った。「先生。たった今ユダヤ人たちが、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」

と、イエス様はベタニヤに行くと言われた。
弟子たちはラザロのことも大丈夫と思ったかもしれないが、それ以上にユダヤはイエス様の命をねらう人達がたくさんいるところだ。行かない方がよいと思った。

でも、イエス様は行かれた。
そこには既に死んで四日もたつラザロが墓に収められていた。
マリヤとマルタはイエス様に「もっと早く来てほしかった」と泣いていた。
彼女たちはイエス様にはラザロを癒す力があることは信じていたが、まさか死から生き返らせることはできないと思っていたのだ。当然、四日も経っているのだから当然のことだろう。

11:33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
11:34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」

彼女たちの悲しむ姿にイエス様は霊の憤りを覚えられたという。
何だろう?この霊の憤りとは??
わからないが、ひょっとして、彼らの不信仰を憤られたのではなくて、人間に
死によって悲しむことが入り込んだことを憤られたのではないだろうか。

本来、神様は人間を永遠に神様と共に過ごすようにと造られた。ところが罪が入り込み神様との間が切れた。それによって人間は「死」をもつことになった。
その死がこんなにも人間に悲しみを引き起こすのだ。

イエス様はこのあと十字架の死に向かって行かれる。
多くの人がその死を悲しむのだ。

つまり、死は人々に大きな悲しみをもたらす。それは罪の結果だ。
人間に喜びを取り戻すにはこの死を解決しなくてはならない。
死の解決は罪の解決だ。

イエス様はご自分の十字架の死による悲しみの後、復活によって死の悲しみをかなぐり捨ててしまう喜びをもたらされた。
これがイエス様の救いの喜びでもある。

ラザロの死は彼の罪のためというより、人間もって生まれた罪のためだ。その死による悲しみの中にうちひしがれている家族を救うのは、死を解決するしかない。

11:39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
11:40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」

石を取り除け、

11:43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
11:44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

なんと、ラザロは生き返った。
イエス様には死を解決する力があるのだ。
でもラザロはまた死ぬ。

イエス様は永遠の命を得ることができるように、完全な罪の解決を行ってくださった。
それが十字架であり、復活だ。

イエス様の十字架と復活に感謝!!


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