バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

試されるピリポ

2007-06-08 16:54:17 | 日記・エッセイ・コラム

ヨハネの福音書6:5-7 (新改訳)

6:5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
6:6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
6:7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

たくさんの人がイエス様のお話を聞いて、みんな空腹になっている状態。今のようにスーパーもコンビニもレストランも無いのです。

こんなにたくさんの人ではものすごい量のパンが必要だということは誰にもわかりました。ピリポは数量的に計算して「足りない」と言いました。私もピリポのように「足りません」と言うでしょう。

イエス様がこのことを語られたのはピリポを試すためだったというのはおもしろいです。何を試そうとされたのでしょう?ピリポの信仰でしょうか?だとすれば信仰的な答は「イエス様、あなたならできます!」という言葉だったのでしょうか?

こういう言葉は本心から確信を持って出てこない限り、何の力も無いものです。特に人の心を見抜いておられるイエス様の前では。ピリポはごく普通に、常識的に「足りません」と言っただけです。彼はイエス様の どこからパンを買って来て という言葉に意識がいっていたのではないかなあと思うのです。どこかにあるのか?そういう場所があるのか、考えたでしょうかねえ。

常識的な計算を超えた働きをされるのがイエス様です。考え込んだピリポは、このあと、どこからも買ってこないのに、たくさんに増えたパンを見たのです。ここがおもしろいところですよね。

私もこういうようなことを見てきたんだよな。


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